第16話 追悼公演

 逢友社は予定していた公演を『会田安宏追悼公演』として予定通り行うと発表した。中止でもおかしくなかったが、演劇ファンからは逆に注目を集め、売れ残っていたチケットは会田の死が報じられた途端完売となった。


 公演は1週間に渡って行われ、月曜日が初日で千秋楽は日曜日。平日は夜、土日は昼夜2回公演で、計9回上演される。


「よかったらご覧になりますか?私は撮影が入ってしまって行けないので」

 倉本を訪ねた日、多村は帰りがけにチケットを譲られた。会田に貰ったというそのチケットは、会田の追悼公演―もちろん当初はその予定ではなかったが―の初日のものだった。


 開演は19時。多村は勤務を終えて向かった。都心の駅から徒歩10分、裏通りにある劇場は、周りを囲むように植えられた木々が周囲の飲食店との繋がりを遮断し、都会の雑踏に忍ぶ隠れ家のような佇まいだった。


 仕事が長引いたせいで、多村はそんな環境を楽しむ余裕はなく、駅から走って開演ぎりぎりになんとか間に合った。稽古場は再訪できていないが、顔を覚えられているかもしれないからと、呼吸も整わないうちにポケットから出したマスクを着けて劇場に入った。季節柄マスク姿は街にも見られ、目立つことはない。


 入り口に貼られた今公演のポスターは会田の死の前に制作されたものらしく、国村里沙や西野佑樹とともに会田も写っている。その上に『会田安宏追悼公演』の文字が貼られ、隣には遺影が飾られていた。劇団のプロフィール写真を引き伸ばした遺影は穏やかな笑顔を浮かべているが、その細い目と痩せた頬が会田の内面を映しているようだった。


 中に入ると150ほどの席はすでに埋っていた。先日行った劇場とは異なり、座席は一つずつ分かれていたが、開演間近とあってすでに満席で、多村は最後列の後ろにある、通路にパイプいすを置いた臨時席を案内された。小さな劇場だから最後部からもステージはよく観えた。


 座るとすぐに公演が始まった。開演に先立ち、会田へ哀悼の辞を述べると思ったが、それはなかった。多村が到着する前に終えたのかもしれない。開演直前より、少し間を持たせた方が出演者も役に入りやすいだろう。



『復讐するは我になし』と題された公演は、国村里沙が主演で、西野佑樹と古山博美が脇を固める。妻子ある男と不倫していた女が、妊娠した自分を捨てたその男への復讐を誓い、最後は本妻まで味方につけ、男を破滅へ追い込んでいく。その顛末をシリアスとコミカルを織り交ぜて描いていた。あの映像の冒頭で流れた国村が西野に妊娠を告げるシーンも舞台上で実際に演じられた。


 上演中は随所で客席から笑いが起こり、場面によっては静まり返る、ふり幅の大きなストーリーで、ラストシーンは国村と西野と古山、そしてその子供たちとの奇妙な同居生活が始まる、というもの。そこでは子供に見立てた、明らかにそれとわかる人形を抱いているシュールな画が観客にインパクトを与えた。


 小劇場での観劇が2度目の多村にもそう感じさせるほど作り込まれた劇で、盛大な拍手で幕を閉じた。それは会田への追悼ではなく、作品に対して送られたもの。面白い舞台だったからこそ起こったものだった。


 終演後も多村はいすに座ったままだった。先日観た舞台と同じなら、この後出演者が客席に降りて観客や知人と挨拶を交わす。それを待って観察するつもりだった。


 多村はチラシに視線を落とした。入場時に今公演をはじめとした演劇のチラシの束を受け取った。先日の劇場でも配られていたのだが、演劇ファンはこういったチラシで次に観る公演を選ぶのだろうか。聞いたことのない劇団の知らない顔ばかりの中に、テレビで見かける俳優もちらほら交じっていた。映画やドラマと違い、観客の反応をダイレクトに受け取れる舞台はその分やりがいもあるのだろう。やり直しの効かない緊張も大きいだろうが。

 

 それにしても『復讐するは我になし』だ。多村は頭の後ろで手を組んだ。何度となく観たあの映像はこの舞台の稽古で、日もさほど経っていない。それが、今しがた目の前で繰り広げられた芝居は、映像から受けた印象とはかけ離れたものだった。

 と、こっちへ歩いてくる人が目に入り、とっさに多村は頭の後ろで組んだ手を解き、腕組みをして顔を伏せた。しかし出演者ではなく、前の座席の観客がトイレから戻ってきたようだ。男は席に座ると隣の男と話し始めた。


「あの主演の子、良かったな」


「な、これが初舞台だとさ」


「久しぶりにいい女優を見つけたって感じがするよ」


 国村里沙のことを話している。どことなく演劇関係者のような口ぶりだった。


「この劇団が続いていくなら客の呼べる看板女優になるかもな」


「顔立ちもちょっと柳田に似てなかった?」


「『女柳田』?さすがにそれは褒めすぎだろ」

 と言って二人は笑い合った。


 たしかに、観劇初心者の多村にも分かるほど、国村は復讐に燃える女を見事に演じていた。衣装とメイクによって大人の女に変わり、演技からはオーラさえ感じられた。終演後の拍手は彼女に送られたものと言ってもいいほどだった。


 それだけに違和感も覚えた。あの映像の自信なさげな、怯えたような表情とはまるで違った。拙い演技で、それゆえ実力ではなく、身体で役を取ったのではなかったのか。それが短期間でここまで変わるとは。


 舞台の内容も、会田の死後の短期間でここまで作り込めるものなのか。滝沢は脚本に手を加えたと話していたが、会田が演じる予定だった役はどうなったのか。四十過ぎの男は出てこなかった。


 不意に二人が立ち上がり「お疲れ様です」と声を掛けた。


 声の先にいたのは滝沢だった。ジャージに着替え、リラックスした表情で二人と握手を交わした。滝沢は後ろに座る男を気にすることなく談笑を始めた。


 二人とは知り合いで、すでに会田への悔やみは済んでいるのだろう、すぐに舞台のことを話し出した。素晴らしい舞台だったと賛辞を受けた滝沢は謙遜気味に、無事に初日を終えてほっとしていると話した。


「それにしてもいい女優さんですね」


「国村ですよね。ありがとうございます」

 礼をいう滝沢の口元に笑みが漏れた。


「新人さんでしょ?」


「本格的な舞台はこれが初めてです」


「それで主役に抜擢ですか。まあ、それだけの価値はありますよ」


「ああいう女優さんがいると、脚本を書くのも楽しいでしょうね」

 二人は褒め言葉を並べた。社交辞令でないことは、さっき耳にした会話で分っている。


「僕が言うのもなんですけど、彼女は天性の女優です。役を理解するのが早く、肝も据わっているんで、指導するが必要ないほどです。将来が楽しみですよ」

 滝沢も国村への称賛を惜しまなかった。


「脚本は滝沢さん?」


「会田さんが遺したものを、僕が脚色しました」


「本当は初めから滝沢さんが書いたんでしょ?ゴーストライターしたんじゃないの?」

 冗談ぽく言われて、いやいやと滝沢は笑顔で首を振った。


「千秋楽に向けて、これからもっとよくなっていくでしょ」


「僕も楽しみです」

 それでは失礼しますと滝沢は会釈してその場を離れ、別の観客のもとへ移って行った。


―どういうことだ?―


 映像の中で滝沢は国村里沙に厳しく当たっていた。演技を否定するように。それが今は絶賛に変わっている。口ぶりからも、稽古で成長したわけではなく、以前から才能を高く評価していたことがうかがえた。


 多村は立ち上がって劇場内を見回した。ステージの側で、国村里沙が友だちらしき同年代の女性と話しているのが見えた。映像と同じようなスウェット姿だったが、表情はまるで別人のように自信が浮かんで見えた。

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