第14話 旗揚げ
先に演劇の世界に足を踏み入れたのは会田だった。
会田は高校卒業後運送会社で住み込みで働き始めたが、仕事の辛さに耐えかね、入社3か月で夜逃げ同然で寮を飛び出した。
当てどなくふらついていた時に目にしたのが、劇団麒麟座の「研究生募集」の広告だった。
書類と面接による入所審査に通過すれば研究生となり、レッスンを経て入団審査で承認されれば正式な団員となる。
募集要項には、麒麟座は清掃会社の支援を受けており希望すればその会社で働けて寮にも入れる、と記されていた。入所金、月謝はなしとのことだった。
芝居には興味のない会田だったが、レッスンを受ければ仕事と住むところがもらえる、と軽い気持ちで応募した。当面の生活をしのぐのが目的で、本気で入団を目指していたわけではなかった。
芝居の経験はなく発声も何もできない素人の会田は入所審査で落とされてもおかしくなかったが、拾ったのが倉本俊夫だった。面接の場に居合わせた倉本が「こういう子が一人ぐらいいてもいいんじゃないですか」と助け船を出してくれた。麒麟座は小規模な劇団で、元々審査も厳しいものではなかった。
役者として見込みがなければ正式入団は認めない、と釘は刺された上で、会田は麒麟座の研究生となった。
清掃会社で住み込みで働きながらレッスンを受け始めた会田は、入所後2か月ほどして柳田を誘った。研究生に一人欠員が出た、一緒に芝居をやらないかと。
いかに演劇が面白いか、舞台の魅力を熱っぽく語ったが、本当は一人で寂しかったからだった。もともと人付き合いが苦手な上に演劇に対する情熱も持ち合わせていなかった会田は、麒麟座で孤立していた。時々倉本が話し掛けてくれたものの自分から積極的に話しかけることはなく、友人と呼べる人はいなかった。それで柳田に声を掛けた。
「麒麟座では私が1期上で、会田はすぐ下の後輩になるんだけど、なんか暗い子だなって。最初は話しかけても会釈ぐらいしかしなかったし。やる気もあんまり感じなかったわね」
小林は遠い目をしてそう話した。
柳田は自動車整備工場に就職したものの、物足りなさを感じていた。このまま年を取りたくない、何か熱くなれるものが欲しいと漠然と思っていた。その矢先に会田に誘われた。会田の話に心を動かされ、工場を辞めて麒麟座に入団した。
もともと人好する柳田は、すぐに劇団員と打ち解けた。先輩とも後輩とも親しくなり、便乗する形で会田も劇団に馴染んで行った。
すぐに舞台に立てたわけではなく、初めは演技や体づくり、発声やダンスなど基礎練習が続いた。公演があっても舞台には立てず、裏方として支えるだけだったがそれでも柳田は楽しくて仕方なかった。
これこそ自分が探し求めていたものだと、演劇に夢中になっていった。
「柳田は会田に感謝してた。自分を芝居の世界に導いてくれた恩人だと思っていたみたいね」
柳田の事を語る時の小林の穏やか表情が、故人の人柄を物語っていた。
柳田は団員に昇格し、役が貰えるようになると一層尽力し、麒麟座の主要キャストに成長して、主演も張るようになった。
麒麟座を背負って立つ役者になると期待さたが24歳の時、会田、小林と3人揃って退団した。
「麒麟座に不満があったわけじゃないのよ。いい劇団だったわ。もうないけど」
麒麟座は3年ほど前に解散している。
「自分たちで何かを始めたいって想いに駆られたの。若かったせいね」
そして劇団を旗揚げした。
「『逢友社』っていい名前でしょ?柳田が付けたの。「友に逢う」っていうのと、for you、「あなたのために」っていうのがかかってるの。聞いた瞬間即決よ。私は『逢友社』の一員なんだって思ったら胸が高鳴ったわ」
しかし旗揚げしたところで、すぐに何ができるわけではなかった。
「早まったかな、と思ったわよね。もちろん何度も話し合ってはいたんだけど、いざ始めると何をしたらいいのか分からなくなっちゃった。3人しかいないし、お金もないじゃない。これからどうしようって」
とにかく芝居がしたい。暇を見つけては稽古に励んだものの、客前に出ないと芝居勘が鈍ってしまう。しかし劇場を借りる金はない。ようやく答えを見つけた3人は路上演劇を始めた。
「代々木公園よ。ちょうど原宿のホコ天が廃止された頃で、代々木公園に流れてきた人も多くて、私たちもあそこで芝居を始めたの。パフォーマンスという方が近いわね。アイデアを出し合って、平日に稽古をして、日曜日に披露する。これが意外と受けて。帽子を置いておくと結構なお金が入ったの」
次第に固定客がついて観客も集まるようになり、その分収益も増えた。貯めた金で小劇場を借り、ついに舞台公演ができることになった。路上公演の後、集まった客にチラシを配ったおかげで、満員とまではいかないまでも十分な客が入った。
嬉しかったのは客入りより、内容が評価されたことだった。路上パフォーマンスと演劇が融合した芝居になり、斬新さを評価された。
その後も路上公演を続けながら、定期的に公演を行った。演劇ファンの間では知られるようになり、入団希望者も現れようになって、新人を採用した。その中に滝沢淳、西野佑樹、古山博美の姿があった。
「役者って体力が資本なのよ。舞台になると2時間ぐらい出ずっぱりのこともあるから。だからストレッチとか筋トレとかもするんだけど、柳田はそう言うことにも手を抜かなかった。その姿をみていたから、後輩たちも柳田についていったのよ。会田は面倒臭そうにしてたけどね」
小林は懐かしそうに笑った。
たった3人で始まった逢友社は歩みを続け、結成10周年を迎えるまでになった。その記念公演が『別れの哀殺』だった。
隣にいる人間が称賛を浴びている。自分が誘って、自分より後に芝居を始めたにもかかわらず。自分は見向きもされない。会田には屈辱にすら感じられた。
追い打ちをかけることが起きた。
『別れの哀殺』に目を付けた映画会社が、映画化したいとオファーしてきたのだ。思ってもみない話に逢友社は沸き立った。出演するのは別の役者と分かっていても、それでも自分たちが創り上げた舞台が認められたのは嬉しかった。
そこで、会田は冷水を浴びせられる。
制作側が提示した案に、柳田一人が出演者として名前を連ねていた。舞台と同じ主役の一人として。会田が演じたもう一人の主役は別の俳優が演じるという。興行面を考えれば当然のことだったが、会田には恥辱にすら感じられた。それでも喜ぶふりをして柳田に祝福の声を掛けた。それが本心ではないことに周りは気づいていた。
しかし、一人だけ気付いていない男がいた。それが柳田だった。自分が脚本演出を手掛け、主演した舞台が映画化される。そして主演を務める。これ以上ない喜びに普段は冷静な男が浮かれた。親友の祝福を疑わなかった。企画書を読んで舞い上がる姿も会田を刺激した。
やがて柳田は映画の撮影に入った。予定していた女優が出演できなくなり、代わりに小林美恵子もチョイ役ながら出演した。
その間逢友社も公演を行ったが、客入りは乏しかった。看板俳優の柳田優治が出演していないのだから客足は遠のいた。
反対に映画『別れの挨拶』は公開前から話題を呼んで大ヒットし、映画賞を軒並み受賞した。ほんの少し前まで無名の舞台俳優に過ぎなかった柳田優治が一躍脚光を浴びていた。
「主演男優賞は山下純一郎が獲ったけどね。事務所が大きいから。でもあの映画を観た人はみんな、本当に賞に相応しいのは誰かわかったはずよ」
「柳田さんには、他の映画のオファーはなかったんですか?」
多村が『別れの挨拶』を観てからずっと抱いていた疑問だった。
「殺到したわよ。当たり前じゃないの。映画界が放っておくわけないでしょ。私がキャスティングディレクターなら真っ先にキャスティングするわよ」
「それならばなぜ」
「それも会田よ」
多村の言葉が終わらないうちに、小林が口を開いた。
「表向きは柳田が断ったことになっているんだけど、実際は会田が仕向けたのよ。大手の事務所から誘いもあったんだけど、それも断った」
主演映画の成功という、俳優としてこれ以上ない喜びを味わった柳田。親友の会田も喜んでくれていると思っていたが、そうではなかった。
関係者を集めて開かれ完成披露試写会に逢友社の団員も招待された。そこで柳田は共演者と共に登壇した。テレビや映画で見る人気俳優たちと柳田が壇上で並んでいた。会田はそれを客席から見上げていた。会田は試写が終わると用事があるといってすぐに会場を後にした。
柳田は会田の感想を聞きたくて何度も連絡したがつながらなかった。仕方なく後輩の滝沢淳に連絡したところ、どこか口ごもっている。正直に話してくれと頼むと、滝沢は言い辛そうに、会田は映画を酷評していると打ち明けた。『別れの哀殺』を汚されたと憤っていると。
柳田はその時に初めて会田の気持ちに気付いた。
『別れの哀殺』は会田と二人で、いや、会田だけではなく、逢友社みんなで作り上げたものだ。それなのに自分だけのこのこと映画に出演して浮かれている。
回りが見えなくなっていた、と己の無神経を恥じた。
そして柳田優治は映画界から静かに去った。
「劇団のみんなは自分のことのように喜んでいたのよ。会田以外妬んでいる人なんて一人もいなかった。私なんて一緒に映画に出ちゃったし。それがきっかけで今の事務所に入って、テレビにも出るようになったんだけど。会田はそのことには特に不満もなさそうだったから、やっぱり親友だけに許せなかったのかしらね」
小林は続けた。
「俳優にとって映画は一つの憧れだから、それを捨てるって辛い決断だったはずよ。成功は約束されていたようなもんだったんだし。まあそれで会田との関係は修復されたみたいだけど」
柳田は舞台俳優として生きることを選んだ。公演にはファンが殺到し、逢友社はチケットの入手が困難な人気劇団となって、公演にはスポンサーもついた。
そして結成15周年を迎えた。
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