第3話 証拠
警視庁本郷東警察署の一室で、二人の男がパソコンの画面に見入っていた。窓もドアもない物置のようなその部屋は、机上にノートパソコンが置かれており、雑音を遮断して作業したい時などに利用した。
「自殺する様子が撮影されていました。飛び降りる直前までですが」
「死んだのが、会田・・・」
椅子に座り、じっと腕組みをしていた捜査一係長の
「会田安宏。44歳。この劇団、
部屋の入り口に寄りかかり、多村の肩越しに画面を眺めていた
昨夜8時過ぎ、人が血を流して倒れていると119番通報があった。警察にも連絡が入り、急行した。現場の歩道に、血まみれの会田の死体が横たわっていた。目の前にある7階建てのビルの最上階にある劇団、逢友社の稽古場から転落したとのことだった。
以前は貸し会議室だったと言うその稽古場には30畳ほどのスペースが広がっている。片側を舞台に見立て、反対側には中央にディレクターズチェアが、その後ろにいくつかのパイプいすが並んでいる。さらにその後ろに、この様子を撮影したカメラが設置されていた。あくまでも舞台に見立てただけで段差はなく、真後ろに設置すると椅子に座る人の頭が映ってしまうからと、舞台側から見て左側、やや斜めの位置から撮影されていた。それで椅子から立ち上がったり、舞台に近づいたりすると演者以外も写り込んだ。
他にこのフロアにあるのはビデオデッキとDVDプレーヤーが接続されたテレビ、古いビデオテープやDVDに本や書類が並ぶ本棚。事務用の机の上にはFAX付きの電話機、ノートパソコンとプリンターが置かれ、その前に貼られたカレンダーには所々に印が付けられている。折り畳み式の会議用テーブルやホワイトボードは隅に追いやられ、壁では丸い時計が静かに時を刻んでいる。舞台側に窓があり、その外が会田が飛び降りたベランダだった。
奥に2つ小ぶりの部屋があったが、1つは衣装や小道具などを置く倉庫として、もう1つは更衣室として使用されていた。
警察が到着すると、スペースを持て余すように、劇団員は舞台側の中央に固まって嗚咽を漏らしていた。鑑識と並行して行われた事情聴取では、
話を聞きながら、桜井は横目で劇団員を観察して内容とすり合わせた。
「私が悪いんです。私のせいです」と泣きじゃくっている若い女優が
「あなたは悪くない。あなたのせいじゃない。そんなに自分を責めないで。悪いのは私だから」
国村里沙を抱きかかえてなだめているのが
呆然と座りこんでいるのが
鑑識の結果も事件と示す痕跡はなく、自殺と結論づけられていた。当直が明け、帰宅しようとしていた桜井だったが、出勤してきた直属の上司である多村と顔を合わせ、本件を報告したところ興味を示したため映像の視聴に同席していた。
「主宰者っていうのはトップってことか?」
劇団事情に明るくない多村は桜井に訊ねた。
「そのようですね。劇団のトップで、自分でも出演したり演出したりしながら、運営にもあたっていたようです」
桜井も多村と同様だったが事情聴取を通じて内部事情がいくらか分かってきた。
「会田は前日まで『ひいらぎ』と言う劇団の舞台に出演していました。茨城にある劇団です。急病人が出たことによる代役で、急な出演だったそうです。『ひいらぎ』の主宰者が、以前会田がいた劇団の先輩だそうで、世話になった先輩の頼みなので引き受けたようです」
「急に呼ばれてできるもんなの?」
演劇を知らなくても、台本を覚え、稽古をしなければならないことぐらいは多村にも想像がついた。
「映像でも言っていたように、なんとかなったようですね。前日が最終日で、その後打ち上げをして今日、日付が変わって昨日になりますが、こっちに帰ってきました。この舞台は自殺とは無関係でしょう」
「うまくいったって、満足そうに話してたからな。それなのに」
多村は映像が終わった黒い画面に目をやった。
「この通りです」桜井は頷いた。
「もとから評判が悪いうえに、ピンハネにセクハラまで発覚して、最後は飛び降り自殺、か。劇団の経営状況は?」
「そこまでは分かっていません。ですけど儲かっていそうな感じではないですね。役者も知らない人ばかりでしたし。ただ以前は結構な人気だったようです。この映像でも名前が出ていた柳田優治が在籍していましたから。ご存じですか?」
「ヤナギダユウジ・・・」
聞き覚えはあるが、顔は出てこなかった。あまりテレビを見ない多村は芸能界に明るくない。
「この人も5年程前に自殺しているんです」
あぁと多村は頷いた。現場は担当していないが、ニュースでも取り上げられていた。美形ではないが男受けしそうな、渋みのある顔を思い出した。
「柳田も舞台俳優だったんですが『別れの
わかれのあいさつか、と独り言のようにつぶやいてから、多村は次の質問をした。
「劇団の稽古場が、なんでまたビルの7階にあるんだ?」
「僕もなんとなく地下にあるイメージだったんですけどね。大声を出すでしょうからその方がいいでしょう。ですが、このビルのオーナーが柳田優治のファンだったそうで、それで稽古場として使用するOKを出したとのことです。6階がこのオーナーが倉庫代わりに使っているフロアなので、音量も気にせず使えたらしくて」
「それにしてもなんでまたカメラの前で飛び降りたのかね」
多村は頭の後ろで手を組んだ。これが考え事をする時の、この刑事の癖だった。
この事故には単なる自殺とは異なる点があった。人が見ている状況での飛び降り、と言うのもそうだが、自殺に至るまでがカメラに収められていた。
滝沢によると「稽古の撮影は、日頃からよくやります。自分の芝居を客観的に観るのはいい勉強になりますし、舞台全体の向上にもつながりますから。撮影は出番の少ない役者が担当するので、今日は近藤でした」
稽古開始から撮影し、飛び降りる直前、会田のもとに駆け寄ろうとして止めたと近藤は話した。
事情聴取の途中で、稽古場のテレビで撮影した映像が再生された。滝沢と西野は立ち会ったものの、ショックを受けている他の団員は部屋の隅に移動し、視界を遮るようについたてが置かれた。
結果、この映像が自殺と断定する決め手となった。それで、桜井がこれを見るのは2度目だった。
「なんていうか、自殺ってこういうもんなんですかね。生々しいというか。自殺の現場なんてみたことないですけど、こういうのが本物なのかなって」
現場に当たっていた人間は、程度の差こそあれみな如何ともしがたい感情を抱えたという。多くの現場を踏み、凄惨な死体を見てきた桜井も、映像とはいえ実際に自殺する場面を見たのは初めてだった。
「映像でもキツイですから、現場で見ていた人間は相当ショックだったでしょうね」
桜井は国村里沙の泣き顔を思い出した。
「でもなんでまた口論の場面まで撮影してるんだ?」
なにもない画面を見つめながら、多村が疑問を口にした。両手は頭の後ろで組んだまま。
「口論なんて撮られたくないし、そんなもの見ても勉強にはならんだろう」
桜井は軽い唸り声をあげ、首を捻って思案した。
「止める理由もないからじゃないですかねぇ。そのままの流れでって感じで。小まめに止めてたらきりがないでしょうし」
桜井はその点を気にしていない様子だ。
「でも結構な時間が経過してるんだから、止めるタイミングはいくらでもあっただろう。第一この映像、芝居の場面なんてほとんど映ってないじゃないか」
「そう言われればそうですけど」
桜井は口に手を当てて大きな欠伸をした。眠気が限界に近く、頭が回っていないことに多村も気づいていた。桜井は「すみません」と詫びた。
「分かった、ありがとう。帰ってゆっくり眠ってくれ」
失礼します、と出ていった桜井の背中を見送ってから、多村はマウスを動かし再び映像を再生した。
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