第十六話 グアテマラ・フルシティロースト

「うん、まあ付き合っていると言うかその、うん、そんな感じ、あはは。で、会社辞めてあたしが立ち上げたデザイン事務所に由花が来てくれたってわけ」


 リビングでは彩希が軽い口調で伊緒に説明する。心なしか常よりやけに明るそうな声色だ。


「そうなんだ、びっくりだよ。ずっと黙ってるなんて水臭いなあ」


「そ、こうやってびっくりさせようと思って。ねっ?」


 彩希が由花の方を向く。


「え、ええ、そうね。驚いた?」


 由花が勇気を振り絞って伊緒に声をかける。会ってみたいとは思っていたものの、いざこうして会ってみるとどうしていいか、何を言ったらいいかわからない。


「驚いた驚いた! ねえねえ、いつごろから付き合ってるの?」


「そうだな、伊緒が婚約発表した年、くらい?」


 彩希の何気ない言葉に由花はぎくりとする。伊緒とシリルの結婚については、伊緒への想いが消えた今となっても考えたくない話題であった。想いを寄せていた人が機械に入れ込んで挙句結婚するなど由花の理解を遥かに超えていた。


「そしたら七、八年経つのか。長いんだね」


「ふふっ、もう腐れ縁みたいなもん。ね?」


 彩希が笑うと、由花は苦笑しながら首を縦に振った。


 マイアは夢中になって伊緒の隣でブロック遊びをしている。


 シリルが四つのカップを乗せたトレーを持って軽やかに広いリビングへやってきた。たちまち得も言われぬ薫りが四人のいるリビングに拡がる。


「わあ、すごい。なにこれ」


 彩希が少し大げさに嬉しそうな声を上げる。


「アルパンタン(※)・グアテマラでいいのがあったからフルシティーローストに挑戦してれてみたんです。お気に召しますかどうか。よろしかったらブラックでどうぞ」


「いや既にもうすっかりお気に召してますよ。いい薫りですねえ」


「花みたいな薫りだね」


 伊緒と彩希の前に洒落たコーヒーカップが置かれる。シリルはおずおずと由花の前のローテーブルにも湯気の立つコーヒーカップをかちゃりと置いた。


「……その、五十畑さんも、どうぞ」


「……」


 由花は返事もせず目の前のコーヒーを黙って見つめる。この色、この薫り。

 不思議だった。機械が淹れたコーヒーならレオナルディでもアクィラでも飲める。由花が勤めていた会社で開発されたアンドロイドだってコーヒーを淹れるくらい造作もないことだ。

 でもこれは違う。何かが、何かが全く違った。


 由花は目を閉じそっとカップに口をつける。果物のような酸味とコク、優しい苦味が口いっぱいに拡がったかと思うと、次にはふわりとした甘みがとって代わって鼻を抜けていく。


「甘い……」


 思わず声に出してしまった由花。


 リビングいっぱいの花の薫りと、口に残る穏やかな甘み。コーヒー一杯で人はこんなにも心癒されるのかと由花は感嘆した。


 三人は無言で、しばしの間グアテマラを味わう。



 ▼用語

 アルパンタン:

 アルパンタン山。惑星ローワンにある独立峰で標高5,334メートル。コーヒーの栽培が盛んで、中でも旧世界から親しまれてきたグアテマラは非常に高く評価されている。山の名称の由来は不明。旧世界の中南米にいたとされる神の名前だと言われているが、そのような神は存在しない。



◆次回

 第十七話 由花とシリル

 2020年10月26日 21:30 公開予定


※2020年10月27日 誤記を訂正しました。

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