第13話 連弾

 どこかしらシリルと似た笑顔を見せシリルに語り掛けるハル。人間とアンドロイドなのに、なんだか本当の母娘のようだ。いくらシリルのオリジナルがハルの娘であるミラだからと言って、こんなに表情や面差しが似るなんて不思議だ、と伊緒は思う。


 その一方、二人だけで会話が進んでいるようでちょっと疎外感も感じ、伊緒は控えめに割って入った。

「連弾…… ってなんですか?」


「2人で引く曲目の事ですよ。島谷さんはピアノのご経験は?」

「いや、それが全然経験ないんですけれど……」


 伊緒の意思を置いてきぼりにして伊緒も演奏をする流れになってしまいそうで少し困惑する。


「カノン(※1)はどうかしら。ミラは弾けるわよね」

「はい。暗譜も出来ます」

「じゃ、私伊緒さんの楽譜を持ってきますね」

 ハルが二階へ上がるとシリルは機敏な動作で横長の連弾用椅子を軽々と持ち出してくる。

「ねえ、なんかすごいことになっちゃったみたいなんだけど。あたしにピアノなんて弾けるかな」


 すっ、と感情プログラムを切り替え、今現在の彼女本来のが現れる。途端にいつもの完全に人間と同じ表情に切り替わる。

 シリルは重たい連弾椅子をちょうどよい位置にセットする。

「ふふ、とっても簡単だから試しに弾いてみるのもいい経験だと思うわ。でも驚いたのはがあんなに張り切ってることね。もし伊緒が構わないと言うなら彼女の為にももう少し付き合って下さる?」


「シリルの頼みとあらばお安い御用だよ」

 少し無理をしてはいるのは否めない伊緒だが、シリルの為になりたいと思っているのもまた間違いない。


「ありがとう。わがまま言ってごめんなさい。伊緒が優しくて本当にうれしい。」

「いやいや、なんのなんの。それにシリルと一緒に何かするなんてちょっとわくわくするんだ」

 シリルが飛び切りの笑顔をくれると伊緒まで嬉しくなる。それにシリルと一緒に演奏ができると知って興味も沸いた。


「楽譜持ってきましたよ。勿論初心者用のですから島谷さんも心配しないでね。じゃあこちらに座って。ミラはそのままで届くわね?」


 リビングに戻ってきたハルが伊緒に楽譜を渡す。伊緒がこれを開いて三人で覗き込むが、伊緒は途端に途方に暮れた。


「えーと…… これは…… ああすいません楽譜の読み方も忘れてしまって。音楽の授業ちゃんとやっとけばよかったなあ」


 3DTVの大自然ドキュメンタリーで見たカエルの幼生。それそっくりの黒くてちょろちょろした何かが群れているように見える音符の羅列。伊緒は戸惑いを隠せない。そんな伊緒に失望するでもなくにこやかに楽譜を楽譜台に掛けるハル。


「ふふっ、すぐ覚えますよ。シリルさんは教えるのが巧いから」


 伊緒の横でシリルが鍵盤をひとつずつ教えていく。シリルはまだミラの感情プログラムと入れ替わっていないようだ。

「ここがファの#(シャープ)(※2)ですよ。わあ、島谷さんは覚えるのが早いですね!」

「いや、まだ最初の音なんですが」

「くすっ」

「くっ」

「これをファ、ミ、レ、ド#、シ、と隣の鍵盤を弾いていきますからね。指届きますか?」

「ううううう……」


 憮然とする伊緒にシリルの横眼は笑っていた。ここにきてまたからかわれているのか、と思うとなかなか悔しい伊緒なのだが、ピアノを弾くなど小学校の授業以来なので仕方がない。甘んじてシリルの教示を受けようと腹を括る。


「ふふっ、その調子であっという間に覚えられますよ。」


 なんだかハルにまでからかわれてるような気がする。不思議なことにやはり親子なのか。



 シリルとハルに優しく教わりながらどうにかこうにか一曲弾き終えた伊緒だが、既に強い挫折感が伊緒を襲っていた。


「これほんとに初心者用なんですか…… 無茶苦茶難しいんですけど」


 半ば呆然とする伊緒をシリルは元気づける。


「誰だって初めは初心者、初めては誰にだってある、って言うじゃないですか。気を落とさないで」


 天を見上げる伊緒。


「ああ、あたしこのまま永久に初心者のままなんじゃないかな…… そんな気がしてきた」

「まさか。一回弾くたびに必ず上達するものなの。例え目に見えなくても、ね」


 ね、のところに力を入れて、伊緒を力づけるようにシリルは微笑んだ。


「でも、無理にとは言わないから。楽しくなかったら意味ないでしょう。だから島谷さんの気持ちを尊重するわ」

「そんな! 楽しくないだなんてことないよ! よしっ、矢木澤さんに見合った腕前になってみるから。ね、もうちょっと練習しよう。いいかな」

「もちろん」


 はたと何かを思いついたような顔をするシリル。

「でも、確かにこれ、初心者には少し難しいかも知れませんね。もっと簡単な楽譜も探せばあるんじゃないかしら」

「それ早く言って下さいよ……」

 腰が砕ける伊緒。


 笑顔の二人を見ながら、シリル、いやミラのは気づいた。ミラの音楽にはアンドロイドの自動演奏とは違う何かが織り込まれている事を。それはもしかしたらミラの魂が自分の為にそうさせているのかも知れない、そう思った彼女は少しばかり心を慰められたのである。



▼用語

※1カノン:

 一般的には楽曲様式としてのカノン(追複曲)を指すよりも、「パッヘルベルのカノン」と呼ばれる楽曲そのものを指すことが多い。ヨハン・パッヘルベルが旧世界西暦1680年頃に旧世界の神聖ローマ帝国で作曲した、ヴァイオリン3つと通奏低音のための室内楽曲。原曲はカノンの後にジーグが演奏される。旧世界クラシックの入門曲として取り上げられることが多い。

※2ファの#

 ファとソの間にある黒鍵。三つ並ぶ黒鍵の一番左手に当たる。



【次回】

 第14話 取引-1 というよりむしろ脅迫

 4/28 22:00 公開予定

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