第19話 約束

「ほらっ、連れて来たわよ。審判」


 希美代は息せき切って審判に見せつけるようにシリルを前に押し出す。まだ一言も言葉を発していなかったシリルは当惑の色を隠せない。


「いや、そんな事言われても……」


 審判も同様に当惑の色を隠しきれない。


「今言ったようにこっちのチームはインフルエンザと捻挫で控えも含めた三人が欠場してる上に、昨日牡蠣かきを食べ過ぎて食あたり起こした選手まで出てきちゃったんだから今GH組で出場できるのはもう矢木澤さんしかいないの! わかるでしょう。じゃ坂田あとはよろしくね」


 坂田と言われた生徒は明らかに不満顔だ。その不満の視線が乱反射してシリルにちくちくと刺さる。シリルの苦手な目だ。坂田の表情に希美代の表情も更に険しくなる。


「なによ。優勝したくないの」


「そこまでして優勝したくない」


 不貞腐れと不満が一緒になった顔でボールを玩ぶ坂田。ベリーショートの髪形やボールの扱いに慣れてそうな仕草からするとバレーボール部員に見える。


「そこまでってどこまで? 矢木澤さんを入れてちゃ優勝したくないってこと?」


 希美代の声が静かになったのとは裏腹に確かな怒気を孕む。それだけで坂田は半歩後ろに下がった。


「い、いや、まあ、そうは言ってないけど」


「じゃ、どう言いたいのよ! もうこの話は終わりっ。さっ、早くっ」


 不承不承坂田智代は位置につく。他の生徒も全く気乗りのしない顔でのろのろと位置についてウォーミングアップを始めた。


 シリルは一人途方に暮れたようにして立ちつくす。そこへ希美代がぱたぱたと駆け寄りチップメモリを渡した。


「これ。読める?」


「これは」


「大丈夫。変な物じゃないから。そんな酷い事をするように見える? 私」


「……」


 皮肉な笑みを浮かべる希美代には何も言わず、シリルは黙ってチップメモリを手に置く。目を閉じて意識を集中すした。バグやセキュリティのチェックをしてみたが危険はなさそうだ。

 その間に希美代はシリルの後ろに回って慣れた手つきでシリルのロングヘアを手際よく一本の三つ編みにする。

 チップのデータがシリルの中に刻みこまれる。バレーボールのルールや基礎的な体の動かし方についてのデータであった。


「あの、このメモリ」


「もしかして役に立つかと思って」


「そんなにこの試合が?」


「そう、あなたが出場する以上これは私にとっても大切な試合だから。色々な意味で」


「色々な意味で……?」


「まあ、こんなもんでいいでしょ。あなたの人造毛髪少し柔らかすぎない? ねえ、それ役に立つと思うけどどう?」


 シリルが目を開くと、髪を結び終わった希美代が何故か気づかわし気な目でシリルを見ていた。


「ええ、とても役に立つと思います」


 希美代の表情に応えるように少し微笑んで答えるシリル。あくまでも形だけ。シリルは未だこの紀美代という生徒を信用するつもりはなかった。


「そう、良かった。それとあなたの通信コード教えて。大丈夫、悪用しないから。お願い」


「……ええ。気は進みませんが、必要と言うのなら時間限定コードを」


「もちろん必要だから言うのよ。ありがと」


 希美代の口ぶりは素っ気ないものだったが、それでもやはり少し微笑んでいたように見える。それでもシリルは心から笑みを返す事が出来ない。硬い表情で希美代に向き合って固い声で希美代に伝える。


「あの、荻嶋おぎしまさん」


「なあに。今更いやになって来たの」


「違います。私はアンドロイドですから回りくどい事は言いません。この取引は不公正です」


「そうね」


「荻嶋さんが取引を守る担保を下さい」


「それがあってもあなたのする事は変わらない」


 涼しい顔なのか、無関心なのかわからない顔で希美代は言ってのける。両手を腰に当ててシリルを見上げる。


「変わらなくても、安心材料が欲しいのです。私は島谷さんと違って簡単には人間を信じられません」


「アンドロイドなのに人間を信じないの? 機能的に問題ありね」


 微笑から、最後にはいつもの皮肉めいた笑みを浮かべる希美代。シリルには難しい交渉事は判らない。あくまで正面突破を図るしかないのだ。


「荻嶋さんによってもたらされるであろう、私に関するいわれのない風説の流布によって、島谷さんが被害を被らないよう、細心の注意を払う必要があります」


「それは好きだから?」


 小首をかしげ挑発するように囁く希美代。自分たちの関係を確信していると感じるのに十分な表情だった。シリルの返事は自然と冷たい怒りが乗せられた声色になる。


「理由をお話しする必要はありません」


「気にしなくていいのよ。所有者同様、いいえ所有者以上に島谷さんと心を通じあわせているのは、想像するに難くないから」


 話せば話すほどシリルの怒りや警戒感は深まる。そんなシリルを気持ちを知ってか知らずか希美代は話を続けた。


「それに、矢木澤さん、自分で言ってても分るとは思うけど私の方から担保提供なんてできない。分るでしょ。人間が取引を守るかどうかなんて、結局はその時その時の気分次第なんだから」


 希美代は取引なんて守る人間ではない。半ば確信したシリル。声は更に冷たく固くなる。


「その誠意を欠いた発言で私は更に荻嶋さんを信用できなくなりました」


「そ。まあ、でも私は破るつもりなんてないから。人間もね、守る時はちゃんと守るの、約束を」


 シリルの冷たい怒りなぞ意に介さず一方的な話をする希美代。その顔からはどこか人見下したような表情も皮肉な惠美も消えていた。


「約束」


「そ、私矢木澤さんに約束する。矢木澤さんの脳機能の事。島谷さんとお付き合いしている事。誰にも言わないから。心配しないで」


 今までとは違う顔と声でシリルに対する希美代に、少しはっとした。さっきまでの不信感が消え、なぜだか一瞬、嘘をつく人間ではなさそうに見えた。



【次回】 

 第20話 希美代さん、それ間違いなく恫喝です

 5/4 22:00 公開予定

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