精地門 バッシュ その3

 どれくらい気を失っていたのだろうか。エスティは見知らぬ部屋のベッドで目覚めた。日の光がどこからか差し込んでいる。最後に見た光景が頭をよぎった。はっ、となって上半身を起こす。すぐそばに、椅子にもたれて眠る少年の姿があった。


「ルキフォ……」


 名を呼んだ。ルキフォが顔をあげた。安堵ため息がエスティの口から漏れた。


「気づいた?」


 ルキフォが言った。


「ごめんなさい」


 エスティはうつむいて呟いた。


「いいって、目は覚めてたから」


 ルキフォはわざととぼけてみせる。


「……ごめんなさい」

「だから、いいって」

 顔を上げて、ルキフォを見る。

「違うの、」

「判ってる、気にしてないから」

「え?」


 とまどった様子のエスティに、ルキフォは笑顔で応えた。そして真顔になって、


「どうなってるのか話してくれるよね?」

「うん」


 しばらく間を置いてエスティは頷いた。もう隠しておくことはできない。


「私の瞳、普通じゃないでしょ? でもね、もともとは碧かったの」


 静かに、でもはっきりとエスティは語り始めた。


「わたし、十三歳の誕生日を迎えた日から一年間、ずっと眠ったままだったの。一年間も眠ったままだったなんて、わたしにも信じられない。でも、本当だった。はっきりと覚えていないけど、その間ずっと夢を見ていたような気がする。そして、目が覚めたとき、瞳が銀色に変わっていたの。

 怖かった。何が起こったのか判らなくて、すごく怖かった。父様も母様もずっと前に死んじゃったから、教えてくれる人がいないから、どうしようって思って。でも、グレン兄様がずっとそばにいてくれたから、少しだけ安心できた」


 兄の名を口にしたエスティの顔が安らいで見えた。


「目はちゃんと見えたし、ほかに変なところはなかったの。みんな普通に相手してくれた。だから忘れかけてたのよ、自分の目のこと。鏡を見た時には思い出すけど、その時だけ。いつもは気にしないでいれたの。

 でもある時、精霊の声が聞けることに気づいたの。父様と兄様は精火門の元素術使いだったけど、わたしと母様は違った。だから、わたしに精霊の声は聞こえないはずなの」


 そして、そのことに気づいた日から、エスティの生活は変化していった。平凡でそれゆえに平穏な日々が失われたのだ。銀色の瞳とエスティが精霊の声を聞けるようになったことは、またたくまに精火門だけでなく他の門派にも伝わった。何人もの人間がエスティを見る為にやってきた。


「そして瞳が銀色なのは精霊皇の娘の証だって教られたの」

「あいつらも言ってた。精霊皇って?」


 馬車の中でトイスンとかいう男が言っていたのと同じ言葉だ。


「すべての精霊の頂点に立ち、すべての精霊を支配できる、元素界の主のことよ」

「でも、なんでエスティが狙われなきゃいけないんだい? 確か元素術って、精霊を支配してその力を利用する術法だろ?」


 ルキフォが訊いた。元素術の人間にとって精霊の声を聞き、支配するというのは決して珍しい能力ではないはずだ。


「それは、自分たち以外の門派を支配する為よ。元素術ってね、門派同士の仲は悪いの。

 元素術の使い手は、地・水・火・風の四大精霊のどれか一つの系統しか支配できない。精火門の人間なら、火の系統に属する精霊を。精地門の人間なら地の系統に属する精霊しかだめなの。だからわたしみたいにどんな精霊も支配できるっていうのは特別なのよ」


 エスティの口調には、自慢する様子も、嬉しそうな様子もなかった。むしろ自分のこの力を嫌っているようだ。


「今まで仲が悪いだけでなにもなかったのは門派同士の力が同じだったから。でも、わたしに宿った新しい力がそれを変えてしまった」


 言葉の端ばしに、十五歳の少女とは思えない響きがあった。純粋に少女として生きられない。そんな業をエスティは背負わされてしまったのだ。この少女は、大人の持つ権力に対する妄執の犠牲者といえた。


「他の門派はもちろん精火門にも、わたしは狙われてる。兄様は四つの門派に逆らって、ずっとわたしを守ってくれた。精地門の人たちが攻めてきたときも……」


 エスティはつい一週間前に起こったことを、ルキフォに聞かせた。

 グレンは〈門〉を使ってエスティを逃がそうとしたこと。その行き先は兄の恋人のところであったこと。〈門〉が壊されてまったく違う場所に転送されてしまったこと。


「これから、どうするつもりなんだい?」


 ルキフォの言葉に、エスティはしばし黙り込んだ。


「フィンナ姉様のところに行く。最初は兄様のことが心配だったから、トリフ山脈まで帰るつもりだつたけど、兄様無事に逃げたみたいだから……。兄様が無事なら、きっと姉様のところにわたしを捜しに行くはずだから」


 今はそう信じるしかなかった。ここでルキフォと別れ一人で行くつもりだった。その決意が顔に出たのか、エスティの思考を遮るようにルキフォが言った。


「じゃあ、今のうちにしっかり休んどくんだ。昼間じゃ見つかりやすいから、夜になってここを出よう」


 エスティが驚いてルキフォを見た。決心が揺らいだ。ルキフォの言葉が、兄と別れてぽっかりと開いたエスティの心の穴を埋めていく。


「……ルキフォ、一緒に来てくれるの?」


 エスティは嬉しさと悲しさが入り混じったような、複雑な表情になった。


「当たり前だよ。約束したろ? お兄さんに会わせてあげるって。今度こそ守るよ」


 ルキフォが言った。もう〝守る〟という言葉に違和感を感じない。そうさ、俺がエスティを守るんだ。そう自分に言い聞かすことができる。


「本当にいいの? 昨日より危ないかもしれないよ?」


 エスティは「だめ」とは言えなかった。今のエスティにとって、ルキフォは自分を支えてくれる大事な存在になっていた。


「途中で帰っちゃったら、また師匠に怒られちゃうよ。それにね何度も言うけど、後悔したくないんだ」

「ルキフォ……」


 目に一杯のうれし涙を溜めて、エスティは咲いたばかりの花のように微笑んだ。あまりの眩しさに、ルキフォは思わず目を細めた。多分これが、エスティの本当の笑顔なのだろう。人の心を満たしてくれる笑顔だ。

 照れ隠しにルキフォが立ち上がる。その瞬間、脇腹に激痛がはしった。少しよろめく。


「大丈夫? もしかして怪我をしたの?」


 心配そうなエスティの声。

 昨夜負った傷だ。バッシュから逃げた後、いったん荷物を取りに宿に戻り、ルキフォはこの空き家に忍んで傷の手当をしたのだ。持ってきた薬はゴルドの作ったものだったから、効き目は保証付きだ。昨夜にくらべ随分と楽になった。だがそれでも、動けばやっぱり痛い。


「大丈夫。まだ、寝ぼけてるみたいだ」


 元気に見せるために、ことさら大きく体を動かして見せた。痛みを我慢する。エスティに余計な心配はさせたくなかった。今心配しなければならないのは、バッシュたちの目を逃れこの街を無事に出ることだ。


「さあ、昨日の晩から何も食ってないだろ? これを食べなよ」


 エスティが何か言う前に、調達してきた食事を差し出した。それを見て、エスティの腹の虫が鳴った。


「あ……」

「昨日の夜から何も食べてないからね。お腹も減るさ」


 エスティは顔を真っ赤にしてうつむいた。

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