さらわれ少女の消えた理由 6『いつか聴いた唄』
それからまた少し経って、エリュシオンが邸に帰って来た。
「おかえりなさいませ、エリュシオン様、エミュリエール様。それと、ようこそおいでくださいました、アシェル殿下に、アレクシス様も」
アルフォンスを代表に、出迎えた使用人たちが一斉に頭を下げる。この邸では、この光景もしばらく見られていなかったものだ。
「彼女はどう?」
「少し取り乱していましたが、大人しくお待ちです」
「当たり前だろう! 全く、寝ているのをいい事に連れ去るようなマネをして」
エミュリエールが腕を組んで、弟に冷たい眼差しを向ける。
「ごめん、て。でもこの前、奉納式終わったら、邸に連れていきたいって僕、言ったよね?」
「そんなこと言ったか?」
「だけどまさか、終わったからってすぐだと思わないだろ」
アレクシスが腰に手をあてて呆れていた。
はて? 聞かれた記憶がない。エミュリエールは顔を傾け、確かめるようにアシェルの方を向く。
「あぁ……って返事してたぞ、お前」
上の空だったけどな、と付け加える事はせず、アシェルが苦笑いを浮かべると、まさかそんな、とエミュリエールがショックを受け、口を押さえた。
「お前も紛らわしいことするなよ! 城まで手紙が飛んで来たんだぞ」
「痛いっ、もうっ叩かないでよ、アレクシス! 手紙だって送ったでしょ?!」
「お前のは、城に送った後、届いたからな」
エミュリエールが得意げに胸を張った。
「えぇ、そんな遅くなかったのに? もうちょっと様子見ようよ!」
だけどそれで、どうやらサファはバウスフィールドの邸にいる、と言う事がわかり、大事には至ることはなかったのだ。
「もういいでしょ? 無事なんだし。アルフォンス、準備はできてる?」
「はい、もちろんです」
そう言って、前を歩いていくエリュシオンを、3人が
「こちらになります」
扉の前で立ち止まる。そこは、普段から食事をする時に使っている応接間だった。3人は呼び出したエリュシオンから事情を聞いたあと、ついでに昼食でも、と家に呼ばれていた。
扉が開くと、そこにはサファがいた。確かにいるのだが、
「ウソだろ?」
アレクシスが呟いた。
「あ、あの」
みんなが無言で眺めているからだろう。戸惑いを隠せない様子で、おろおろと、胸の前で彼女は手を握り合わせていた。
「やっぱり似合わないですよね?」
と、顔を曇らせる。
「ほらぁ、みんなが変な目で見るから」
彼女の前に立ち、エリュシオンがその俯いた頬に手を添えた。
「へぇ、すごい……聞いてたはいたけど。ホントに宝石みたいだ。見て? みんな、あまんりに綺麗だから黙り込んじゃってるよ?」
「え?!」
そうなの? とサファがエミュリエールを見ると、自慢げに頷いた。
いつもつけている眼鏡は外されている。白金に輝く髪は言うまでもなく、後ろにある窓から差し込んだ光で、顔は暗く見えるのに、瞳だけが精巧に磨かれた宝石のように、影の中で煌めいている。
木香黄薔薇のドレスを
腕を組んだエミュリエールが、ため息をついた。
少なからず自分もこういう格好を、いつかはさせてみたい、と考えなかった訳ではない。しかし、それを先に越されてしまった事については、だいぶ複雑な気持ちだった。
「あの、エミュリエール様? 怒ってますか?」
「いや、怒ってはいない」
エミュリエールがサファを椅子にのせ、自分もその隣に座った。
「やられたな」
「え?」
「大袈裟だね。可愛がりもいいとこだよ」
「母のドレスを着せているお前に言われたくない」
「母の?」
「……ドレス?」
他の面々も席につくと、待っていたかのように料理が運ばれてくる。アシェルとアレクシスはポカンとしていた。
「私たちの母が気に入ってよく着ていたものだ。まあ、」
横を向いてサファを見おろし、エミュリエールは柔らかく笑った。
「とてもよく似合っているから、これはこれでいいが。直してもらったのか?」
「そうだよ。だって、うちは
「お前、確信犯じゃないかよ!」
アレクシスが、エリュシオンを指差した。
アニスというのは、侍女をしているこの家の使用人だ。長らく世話をする女主人がいなくて手持ち無沙汰だったのだろう。
「なるほど。まぁ、いい。食事もきた事だしな」
「そうだね。食べようか」
特に揉めることもなく、皆が料理に手をつけ始める。
怒ってないみたいでよかった、とサファも会話の色合いに安心して、カトラリーに手を伸ばした。
「ところで、そっちは特に変わりはなかったのか?」
「今のところは、引き取りたい、という話がちらほら来ているくらいで、全部断っています」
「それならもういっそ、アシェルの婚約者とかにしちゃえばいいんじゃない?」
「貴族になってないのにそれは無理だろう」
エミュリエールが首を振った。
「まぁそっか。じゃあ、
「おいおい、それはいくらなんでも、なぁ」
「なぁって……」
アレクシスに言われ、アシェルが目を逸らす。その先にいたサファと目が合った。
「え? えっと。わたしあんまり色気とかないですが、その。がんばります」
小さい手で拳を握り、意気込む。どうも、お前が答えろ、と勘違いしたらしい。
いたって真剣に答える彼女に、皆が思い思いの表情を浮かべた。賢いはずなのに、サファはいつもどこか斜め上だった。
「サファ、間に受けないでくれ。冗談だ」
「え?」
「兄上も大変だねぇ」
大きくため息をつくエミュリエールに、エリュシオンがケラケラと笑った。
食事も終わりそのあとも歓談が弾む。サファは混ざる様子もなく、ぼんやりとみんなの話す様子を眺めていた。
「どうした、退屈か?」
「いえ、皆さんの会話が、優しくて、楽しそうな色をしていて、とても心地いいのです」
色? アシェルが首を
「つまり、眠いのか」
「すみません、なんだか安心してしまって」
このままじゃ、本当にそうなってしまいそう。サファは眠そうな目で彼を見あげた。
「なんかやりたい事ないのか?」
「そうですね」
奥にはピアノが見えている。そう言えば、とアシェルは顎を撫でた。
「聴きたい曲があるんだが」
「わたしの知っている曲ですか?」
「大丈夫だ、多分お前しか唄えないから」
わたししか? 首を傾げた。
「洗礼式の時に唄っていたやつ」
「え?」
「あの時、途中でやめたろ? 続きが気になってな」
あの曲には、あまりいい思い出がないので、あれから一度も唄った事がない。それをまさか、聴きたい、と言われるとは思ってなかった。
「いいね、僕も聴きたいな」
いつの間にか、他の3人も2人の会話に耳を傾けており、エミュリエールが頷くのを見て、サファは立ちあがった。
「分かりました」
サファがピアノの前に立ちペダルに足をかけ、ゆっくりと旋律を作りはじめる。
あの時よりも柔らかいのは、きっとサファに変化が起きたからなのだろうと、エミュリエールは静かに聴き入っていた。
『生きていることは辛く
知らないということは罪』
知りたかったのは、この先
『人は生まれながらその罪を持ち
知ることで
あぁ、そうか。
体に染み込んでいくようで。アシェルは聴いた後、長年の謎が解けたかのようにスッキリした気分だった。
その唄が終わったあとも、サファは気分がいいのか、何曲か披露していた。見計ったようにエリュシオンが来て、エミュリエールの横に座り、顔はピアノの方を見たまま話し出す。
「なんだ、サファに聞かれたくないことか?」
「できれば。昨日、浮浪児のこと気にしてたから」
「ふむ、それで?」
「ある孤児院で子供が1人行方不明になったらしいんだけど。それを調べてて、ここ最近浮浪児たちが何人も居なくなっているみたいなんだ」
「そんな事、よく分かったな」
浮浪児なんて、国もみて見ぬふりをしており、それがいなくなったなど、普通なら分かるはずもない。
「たまたまだったんだよ。関係あることか分からないんだけど、一応、この前言ったことと一緒に気にしておいて」
「分かっている」
結局、サファの誘拐騒ぎはただの、エリュシオンの紛らわしい行いだった、という事で終わった。
ただそれとは別に、エミュリエールには気にしていたことがあった。
大聖堂に帰って、着替えをしていた手を止める。
エリュシオンの口から「サファのような存在があったら何に使うか」と聞いた時、それは弟自身も考えた事だと思った。
バウスフィールド家は、貴族界で序列二位。これ以上の権力は必要ない。
ならば、理由は他にある。
統治に関わらせるためか? いや、違うな。それなら、考えられるのは一つしかない。
恐らく、自分の
エミュリエールは目を
色々考えた末、後日、空色のペンダントがサファの首にかけられる。作ったのは、もちろんエミュリエール。彼は密かにその石に付与をつけることにした。それは『追跡』というものだった。
その後、特に何事もなく年は明けた。皆が
差出人は、エミュリエールの補佐官をしている、ハーミット=グローヴァー。
「どうした?」
覗き込んだアレクシスが、エリュシオンを見て目を半分にする。同じように見た
「お前じゃないのか?」
「残念ながらね」
「大聖堂に行くぞ!」
手紙には『サファが何者かに連れ去られた』と書かれてあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます