とぎれた唄 5『籠の鳥と洗礼式』

 それから。エミュリエール様が言った通り、わたしは、大聖堂の3階で過ごすことになった。


 だけと、最初の半月(30日間)は、ピアノ弾いたり、本を読んだりして、そこそこ、退屈しない日々を過ごしていた。


 日が過ぎて、それがひと月半にもなると、さすがに本も読み尽くして、飽きてくる。


 もう、こんな時期。


 サファは窓を開けて、そう、思っていた。




 そんな時、洗礼式の日を迎える。


 この日は、出席することできないし、外部の人間が、全て居なくなるまでの間、ピアノ弾く事すら禁止された。


 仕方なく書斎に行って、棚から本を取り出し、出窓で胡座あぐらをかく。


 今日は、これ。

『魔法陣の種類と構成の仕方について』

 ちなみに、読むのは2回目になる。


 この書斎には、エミュリエール様の言っていた通り、魔術に関する本がたくさん置かれていた。それも、もう、大体読んでしまったのだけど。その中で気になったものを、こうして、読み返している。



 庭や街にえる木々達が、急激に緑を伸ばし、日ごと風景が変化するのに……


 サファはため息をついた。


 この時期特有の重い空気が、まるで、わたしの気持ちを表しているかのように、じめじめとしていた。



 ムワっとした、くさいきれの匂い。

 着ているものは薄手の長袖から半袖へ。それでも日中は汗ばむくらい暑い陽気となっていた。


「はぁ……」


 息を吸って吐く。


 酸素は足りているはずなのに、息苦しい。だけど、サファは、気持ちにふたをして、言葉を飲みこむ。エミュリエールが自分のためにこうしている事がよく分かっていたからだった。



 本を一冊読み切る頃に、わぁっ、という歓声が聞こえる。

 洗礼式が終わったらしい。

 前は、やりたくもなかった筈なのに、何故かサファは無力感で、手に持った本を静かに……閉じた。



 時間は6の刻過ぎ。

 少し遅れて、世話係のルアンナが昼食を運んできた。


「そんなに、丁重にされたら困ります」


 ルアンナさんは、まるでお嬢様のような扱いをするので、わたしは、少しだけ居心地が悪かった。


「エミュリエール様から言われてますから。遠慮しないでくださいね」


 孤児だもの、遠慮するよ。

 サファは、困った表情かおをしていた。


「洗礼式は終わったのですか?」


「はい、少し前に。もう半刻もすればお客様も帰られるのでは無いのでしょうか?」


「ピアノ弾いても大丈夫でしょうか?」


「ええ、たぶん、その頃には大丈夫かと思いますよ」


 彼女は、母親のような、温かみのある笑顔をして言った。


 それなら、もう少しの辛抱かな。サファはゆっくりと昼食をとり始める。早く、ピアノが弾きたいと思った。



          ※



「エミュリエール! アシェルどこに居るかしらないか?!」


 背が高く、がっしりとした体格の、声の大きい男が、片付けをしていたエミュリエールにたずねていた。


「殿下は式を抜け出してどこかで休んでいるんだろう? 自分で探してきてくれアレクシス」


「まったく、あいつは面倒になるとすぐ逃げる」


 アレクシスが頭の後ろを掻き、ブツブツ言って礼拝堂を出ていく。エミュリエールは両手に道具を持ち、横目でその様子を見ていた。




「今日はあの子、どうしてるの?」


 今度は後ろから声がした。


「エリュシオン。お前は探しに行かなくていいのか?」


 振り返ると、壁に寄りかったエリュシオンが、手をひらひらと振っている。彼を一瞥いちべつして、エミュリエールは片付けを再開した。


「彼女は孤児院にいる」

「ふーん。補佐役なのに?」


 相変わらず、いやらしいヤツだ。きっと、疑っているんだろう。それは、無理もない。

 全く……


 エミュリエールは何も言わなかったが、眉を寄せ、表情かおを険しくした。


「システィーナが自邸待機になっちゃって。困ってるんだよね」


「まぁ、襲撃されからな。だが、それは、私にどうする事もできない事だろう?」


 祈念式の後、システィーナの父親のゲーンズボロ卿に会った時、確かにそう言っていた。


「サファちゃんだっけ。もしかしてる、唄えるんじゃないの?」


 軽い口調でそばに立ち、エリュシオンがエミュリエールの顔を覗き込んだ。作業の手を止め、その視線を受け止める。


「あの子は孤児だ。そんな訳ないだろう」


「あの日、確かに魂送たましいおくりの光が昇った。だけどさ、システィーナは気を失ってたんでしょ? それなのに誰が魂送りをしたの?」


 どうやら、情報は漏れていないらしい。


 目を細める。エリュシオンは、エミュリエールの周りをさぐるように歩きまわっていた。


「兄上もトラヴギマギアは使えるけど……確か『魂送り』は使えなかったよね?」


 今までにっこりとしていたエリュシオンが、急に攻撃的な視線を向けた。


「…………」


 これは、少々厄介かも知れない。少し脅しておいた方が良さそうだ。


 そう思ったエミュリエールは、手に持っていた道具を近くの台に置き、ため息をついた。


「彼女は、祈念式の事件で心に傷を負って、医者に診せているんだ。詮索すると言うなら、私も容赦はしない」


 エリュシオンをにらみつけると、エミュリエールは突然魔力を膨張させる。


 普段、穏やかなエミュリエールが威圧的になるのは珍しく、2人の魔力はぶつかり、周りにいた人がその圧で顔を青くした。


「わぁ! こわいこわい。僕はアシェル王子殿下を探してこよ」


 引いたのは、エリュシオンだった。


 エリュシオンが、調子良く口笛を吹きながら、礼拝堂を出て行く。あの調子だと、また来そうだ。


 エミュリエールはフッと魔力を閉じ込め、置いた道具を手に取り、鼻から静かに息を吐き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る