第208話 合宿の最後





「まゆ先輩、みはね先輩、陽菜コンクールに出たいです」


合宿3日目の昼食が終わり合奏の前に陽菜ちゃんがまゆとみーちゃんに言う。陽菜ちゃんの言葉を聞いたみーちゃんは嬉しそうに微笑む。きっと、まゆもみーちゃんと同じような表情をしているだろう。


「よっしゃ。じゃあ、陽菜ちゃん。一緒に頑張ろう!何かあったら私に言うんだよ。練習とかいつでも付き合うからね」

「はい。よろしくお願いします」


今回の合宿、いろいろあった。部員同士の仲が深まったり、カップルが成立したり、何より、みーちゃんと陽菜ちゃんがコンクールに出てくれることになった。


合宿最後の合奏、楽しまないとね。


まゆの横にバリトンサックスを持った陽菜ちゃんとみーちゃんが座る。バリトンサックスがあるのとないのでは本当に変わるからこうして隣にバリトンサックスがいると安心できる。  




あっという間に、合奏練習の時間は過ぎ去って行く。

楽しい合奏、楽しい合宿の終わりが近づいて、最後に課題曲と自由曲の通し合奏が行われる。


課題曲、マーチはゆいちゃんたちトランペットとりっちゃんさんたちトロンボーンが勢いよく演奏を始める。勢いのまま曲は流れ中盤のtrio、僕と及川さんはマウスピースから口を離す。春香一人が刻むチューバの優しいリズム、何度聞いても心地よいリズムが鳴り響く。


春香の優しいリズムの上ではさきちゃんたちフルートとこう君のファゴットが掛け合いをしていて美しいメロディーを鳴り響かせていて曲が美しいものになった。


trioが終わり、マーチのフィナーレを迎える。春香の美しいロングトーンが終わり、僕と及川さんも再び曲に加わり勢いをつけて最後まで全力で吹ききる。


課題曲が終わり、すぐに自由曲に移り変わる。マーチの最後の勢いとは異なり、安定したスタートで曲が始まる。しばらくすると曲の安定感をりっちゃんさんが意図的に壊す。勢いをつけたりっちゃんさんのバストロンボーンに釣られてトランペット、トロンボーン、ユーフォニアム、チューバの勢いが増し、落ちついたところでテナーサックスの…まゆのsoloパート、美しいまゆのテナーサックスの音が鳴り響き、バストロンボーン、バリトンサックス、バスクラリネット、ファゴットが参戦し、曲は再び盛り上がる。




指が…震える。

どうしよう……上手く……フルートのキーが押せない。どうしよう。どうしよう…どうしよう。


自由曲の最後、私が苦手なところで……私の手が震える。


大丈夫だよ。


そう言う、声が…音が聞こえた気がした。優しい、ファゴットの音色……


指揮者や周りを見る余裕がなく、楽譜の一箇所だけを睨むように見つめていた私はふと、目線をあげた。私の視界にファゴットを吹いているこう君が映る。


私がこう君の方を見ると、大丈夫だよ。と言うようにファゴットを吹きながら微笑んでくれた。

こう君の表情を見て、私も無意識のうちに笑顔を浮かべる。


私、顔、強張っていたな。周りが見えなくなっていたな。力みすぎていたな。落ち着いて呼吸できていなかったな。楽しむことを忘れていたな。


ありがとう。こう君、思いっきり…楽しく吹くね。


上手くなった。そうは思わない。楽器の技術が急に上がることなんてそうそうない。私は下手くそなままだ。でも、成長はしたよ。最後まで、ちゃんと、吹ききれたよ。


出来たじゃん!課題曲と自由曲の通し合奏が終わり、こう君と目が合うと、こう君はそう言うように口を動かしていた。私は笑顔でありがとう。と声には出さずに口を動かした。




合宿最後の通し合奏、終わっちゃったなぁ。

楽しい合宿が終わる。

楽しい合宿が終わり、大好きな春香とまゆと一緒に過ごす日常に戻るのだろう。そう、思っていた。




「フルート、最後よかったよ。昨日の録音聞かせてもらったけど1日で成長したね。その調子で頑張って」


吹奏楽部の顧問であり、コンクールで指揮を振ってくださる先生が各パートやセクションなどに次々と感想や今後練習して欲しいことを述べていく。先生は大学の教員でもかなり上の立場にいる方でかなりお忙しい。昨日も出張でかなり遠くまで行っていたらしくかなりお疲れの様子だったが、指揮を振る時は楽しそうにしていた。もう、結構なお歳のおじいさんなのに凄いと思う。


先生のスコア(全部のパートの楽譜が一冊にまとまっている楽譜のようなもの)は付箋だらけになっていて、吹奏楽に対する情熱のようなものを感じる。そう言った先生の姿勢は本当に尊敬できる。


「最後、チューバ、マーチのtrio、春香ちゃん1人で吹いてるよね?」

「はい」


先生の質問に春香が答えると先生は少しだけ考える素振りをした。


「trioちょっと弱くなりすぎている気がするから…もう少し音出すか、どちらか吹いてない方が入ってあげて欲しいかな。そこの調整は及川に任せる」

「わかりました」


先生は淡々と、告げた。ここに至るまでの過程、そういったものも先生は及川さんから聞いていた。それでも、曲を良くするために、必要なことだと考えたのだろう。春香は横で悔しそうな表情をしている。


こうして、各自、新たな課題を抱えて合宿は終わった。





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