波乱は続きます。
「くふふふっ! あはははははははははははは! 姉さん、必死な顔して馬鹿みたい! どうせ部屋の外で、会話を聞いてたんでしょ? ふふっ、そんなに私とお兄ちゃんがキスするのが嫌なの? ……でも、今までに私とお兄ちゃんが何回キスしたと思ってるの? ……お兄ちゃんのファーストキスだって、私が貰ったんだよ? ……あ、でも姉さんは全部忘れちゃったから、そんなことも知らないんだよね?」
摩夜の笑い声が、ただ響く。それはまるで悪魔の叫び声のように、俺と姉さんの心を直接、揺さぶる。
「……ねえ、真昼くん。それ……本当?」
姉さんは心を落ち着かせるように小さく息を吐いて、揺れる瞳で俺を見る。
「…………」
俺は思わず、言葉に詰まる。……確かに俺のファーストキスは、摩夜だ。あの夢のような虚ろな朝。まだ辛辣だった摩夜が突然俺の部屋を訪れて、俺に……キスをした。
それが、俺の初めてのキスだった。
でもそれを姉さんに伝えるのは、どうなんだろう?
……いや、伝えなきゃならないんだろう。第一、ここで黙り込んでしまった時点で、答えを言ってしまったようなものだ。
だから俺は、意を決して言った。
「……ああ、そうだよ。俺のファーストキスは、摩夜だよ……」
「………………そっか……」
姉さんは俺の言葉に小さな返事を返して、そして視線を摩夜に向ける。
「……摩夜ちゃん。でもどうせ、貴女が無理やり迫ったんでしょ? ……正直、 貴女のことはまだよく知らない。でもどうせ、さっきみたいに無理やり真昼くんに迫ったんでしょ? ……最低だよ」
姉さんはとても冷たい瞳で、摩夜を見る。対する摩夜は、ただただ楽しげな笑みを浮かべて、見下すように姉さんを見つめ返す。
「……そうかな? でも……お兄ちゃんの方から、私にキスをしてくれたこともあったよ? ……お兄ちゃんも、覚えてるでしょ? あのお風呂場の時、お兄ちゃんは確かに自分の意思で、私にキスしてくれた。……そうだよね? お兄ちゃん……」
「…………」
俺はまたしても、黙り込んでしまう。だってそれも、真実だから。あの時は確かに、俺が俺の意志で摩夜にキスをした。
どんなに言い訳を重ねても、その事実は覆らない。だから俺は、ただ黙ることしかできない。
「……真昼くん。それも……本当なんだね?」
「……ああ。…………その……ごめん……」
謝るべきでは無いと分かっているのに、俺の口からはそんな言葉しか出てこない。
「…………」
……姉さんはそんな俺を、いつもとは違う色の抜けた目でぼーっと眺める。そして摩夜は、そんな姉さんの姿を楽しそうに見つめながら、ゆっくりと口を開く。
「ねぇ、姉さん。貴女は──」
……けど、まるで摩夜の言葉を遮るように、姉さんが唐突に俺を強く抱きしめた。
「真昼くん。愛してる」
そして姉さんは、そのまま俺にキスをする。まるで摩夜に見せつけるように、これは自分のものだと分からせるように、何度も何度も何度も何度も、姉さんは激しくキスをする。
「────」
思考が消える。視界も消える。何も見えず、何も考えられない。ただ姉さんの感触だけが、俺の全てを染め上げる。
今までで、1番激しいキス。
呼吸の暇も無く、まるで溺れるように、ただただ姉さんの熱さが送り込まれる。
「……っ……! ……はぁはぁ……」
姉さん唇が、俺から離れる。まるで、永遠のような一瞬。そんな一瞬を終えて、俺は思わず膝をつく。それほどまでに、今のキスは激しかった。今の一瞬、死んでいたと言われても納得してしまうくらい、姉さんのキスはとても激しかった。
「……ふぅ。……これで分かったでしょ? 摩夜ちゃん。今の真昼くんは、私のものなの。貴女が過去にどれだけ真昼くんと仲良くしてたとしても、そんなの関係無い」
「…………」
摩夜は言葉を返さない。ただ黙って、姉さんを見つめる。
「真昼くんはね、私が過去の全てを忘れても……私を好きでいてくれた。だから私も、真昼くんの過去にどんなことがあったとしても、真昼くんを愛する。……貴女が何をしたって、私の愛情は揺るがない」
姉さんは真っ直ぐに摩夜を見る。摩夜はそんな姉さんを、ただ冷めた目で見つめ返す。
「……くふっ。くふふふっ。あははははははははははははははははははははははははははは!」
そして唐突に、笑い出す。まるで耐えられないと言うように、摩夜は声を上げて笑う。そしてそのまま、嘲るように言葉を告げる。
「姉さん。貴女は本当に、バカだね。……私の愛情は揺るがない? 何を馬鹿なことを言ってるの? 貴女のことなんて、誰も興味ないの。……それより、今のお兄ちゃんの顔、見てみなよ? これが、恋人にキスされた顔に見える? 肩で息をして、唖然と姉さんを見上げてる。これのどこが愛情なの? 笑わせないでよ! 姉さん!」
「……真昼くん……」
姉さんが俺を見る。俺は……俺はできる限り笑おうとするけど……上手くいかない。……勿論、姉さんのキスが嫌だった訳じゃ無い。
……ただ今のキスはあまりに激しくて、あまりに唐突で、そしてあまりに深かったから、楽しむ暇も感じる暇も無くて、ただ……圧倒されてしまった。
「姉さん。その……今のキスが嫌だった訳じゃないんだ。ただいきなりで、驚いただけで……」
「…………ごめん。急だったね……ごめん、真昼くん……」
姉さんは辛そうに、俺から視線を逸らしてしまう。俺はそんな姉さんの姿を見てられなくて、姉さんに手を伸ばす。
……けどまるでそれを遮るように、摩夜は唐突にその言葉を口にした。
「姉さん。貴女……まだお兄ちゃんに、抱いてもらえてないでしょ?」
俺は思わず、摩夜を見る。でも摩夜は俺には視線を向けず、ただ嘲るように姉さんを睨みつける。だから姉さんも負けじと、摩夜を睨み返す。
「………………だから? そんなの……貴女には関係ないでしょ?」
「ふふふっ。やっぱり、抱いてもらえて無いんだね……。お兄ちゃんと付き合って、もうどれくらいの時間が経ったと思う? もう2ヶ月近くの時間が流れたんだよ? それなのに貴女は、お兄ちゃんに愛してもらえて無い! ……ねえ? 姉さん。本当は分かってるんでしょ? お兄ちゃんは、貴女なんて……好きじゃないのよ」
「…………そんなの、いいよ。関係無い。私たちには、私たちの付き合い方がある。だから貴女にそんなこと言われても……真昼くんは……」
姉さんは縋るように俺を見る。だから俺は、今度こそ姉さんを抱きしめる。なんて声をかければいいのか、分からない。だから俺はできる限り優しく、姉さんを抱きしめ続ける。
でも摩夜はそんなの御構い無しに、楽しそうに言葉を続ける。
「……ふふっ、ねえ? 姉さん。そっちの初めても私が貰ったって言ったら……姉さん、どうする?」
「────」
姉さんの表情から完全に色が抜ける。でも摩夜は止まらない。
「あの時のお兄ちゃん……優しかったなぁ。優しく私の頭を撫でてくれて、それでそのまま……。ふふっ、最高だったよ……」
「摩夜。それは嘘だ。その嘘は、流石に俺も許せない。撤回してくれ」
俺は真っ直ぐに摩夜を見る。でも摩夜は怯まない。
「……お兄ちゃんがさ、風邪で寝込んだ時、私……裸でお兄ちゃんの隣に寝てたよね? あの時のこと、お兄ちゃん覚えてる? もしかして風邪で頭がぼーっとしてたから、覚えて無いのかな? でもあの時、お兄ちゃんは私を──」
「うるさい」
「うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい……! うるさいんだよ、お前!」
姉さんは壊れたようにそう叫んで、俺の手から離れて摩夜の頬を叩く。
「お前みたいな女を、真昼くんが抱くわけない! ……私だって、私だって……! まだなのに……。なのに真昼くんが、そんなに簡単にお前を……!」
姉さんはまた、手を振り上げる。俺は慌てて、それを止める。
「姉さん! 暴力はダメだ! ……それに、摩夜も! これ以上、姉さんを侮辱するようなことを言ったら、いくら摩夜でも許さないぞ……!」
「…………真昼くん。……真昼くん……!」
姉さんはまるで子供みたいに、強く強く俺に抱きついてくる。だから俺は、ただ優しくその背中を撫でてやる。
そして、摩夜は……。
「…………分かったよ。お兄ちゃんがそこまで言うなら、もう言わない。……いや、最後に一つだけ、これだけは言わせてもらう」
摩夜は真っ直ぐに俺を見る。姉さんでは無く、ただ俺だけを見つめて、摩夜はその言葉を告げる。
「お兄ちゃん。お兄ちゃんは、そんな女のこと愛してないの。お兄ちゃんは優しいから……ただ義務感と責任感だけで、その女の側にいるだけ。……だから、お兄ちゃん。もう、辞めにしない? その女の側にいても、お兄ちゃんは絶対に……幸せにはなれないよ?」
「…………」
俺は摩夜のその言葉には返事を返さず、ただ黙って摩夜の部屋を後にする。摩夜はもう、何も言わなかった。そして姉さんも、何の言葉も発さず、ただ黙って俺の背中についてきた。
そして俺は、自分の部屋に戻ってくる。勿論、姉さんも一緒だ。
「…………」
「…………」
けど姉さんは、何の言葉も発さない。ただ黙って俺のベッドに腰掛けて、ぼーっと窓の外を眺める。だから俺もそんな姉さんに倣うように、窓の外に視線を向ける。
沈黙が場を支配する。
秒針の音が、静寂を刻む。俺は、何も言えない。そして姉さんも、何も言わない。だからただ時計の秒針と、いつからか降り出した雨音だけが、部屋に響き渡る。
そうやって、どれだけの時間が流れたのだろう?
永遠みたいに続いた沈黙は、姉さんの唐突な一言によって打ち破られる。
「ねぇ? 真昼くん。私を……抱いて?」
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