見つめ続けます。



「お兄さん。話があるんスけど……いいっスか?」


 家の前で俺を待ち構えていた天川さんは、真っ赤になった瞳で俺を見る。


「……話をするのは別にいいんだけど、目が凄く赤くなってるけど、大丈夫?」


「……これは、大丈夫っス。お兄さんにふられてから、悲しくて辛くて痛くて……ずっと泣いてたから、ちょっと赤くなってるだけっス」


「…………」


 俺は言葉を返せない。慰めるような言葉も突き放すような言葉も、今の俺には言えない。だから俺はただ黙って、天川さんの言葉を待つ。


「聞いたっス。あの……あの女が事故に遭って記憶喪失になったって……。お兄さんはそれでも……あの女が好きなんスか? 自分のことを全て忘れられても、お兄さんの想いは……変わらないんスか?」


「ああ、変わらないよ。他の皆んなにも言ったけど、俺は例え忘れられたとしても姉さんのことが好きなんだよ」


「……そっか。そうっスよね。お兄さんなら、そう言うって分かってたっス……」


 天川さんは空を見上げる。まるで青い空を飲み込むように、虚ろな瞳でただ空を見上げて、ゆっくりと言葉を続ける。


「ずっと胸が痛いんス。どうにもできないくらい胸が痛くて、仕方がないんス。……お兄さんは、あたしを選んでくれなかった。その理由を、ずっと考えてたんス。お兄さんが選択を間違えるわけ無いから、どこかあたしにダメなところがあったんだって……」


 天川さんの瞳から涙が溢れる。でも天川さんはそんなこと気にした風もなく、淡々と言葉を続ける。


「……でも、分からなかった。何も分からなくて、ただ胸が痛くて、どうしようもないくらい悲しくて、あたしはずっと……泣いてたんス」


「…………」


 天川さんの姿はあまりに痛々しくて、俺は思わず手を伸ばしてしまいそうになる。……でも、俺は彼女を選ばなかった。そんな俺がこの場限りで彼女に優しくするのは、ただの自己満足でしかない。


 だから俺は、ただ黙って彼女の言葉に耳を傾ける。


「そんな時、お姉さんが事故に遭ったって聞いたんス。……運命だって、そう思ったっス。お姉さんみたいな女はお兄さんに相応しくないから、神さまが罰を当てたんス。やっぱりお兄さんは神さまなんス。例え間違った選択をしても、運命がそれを修正してくれるんス」


 天川さんが俺を見る。その瞳からは涙が流れ続けているのに、彼女は本当に嬉しそうに笑っていて、俺は思わず一歩後ずさる。


「やっぱりお兄さんは、あんな女の側に居ちゃいけないんス。例えお兄さんがあの女を好きだとしても、あんな女と付き合っちゃダメっス。お兄さんは神さまなんだから、お兄さんはあたしだけの神さまなんだから、あたしの側に居てくれないとダメなんス……!」


 天川さんは涙を拭うこともせず、俺の方に一歩ずつゆっくりと近づいてくる。俺は……俺は大きく息を吐いて、そんな天川さんを真っ直ぐに見つめる。そしてそのまま、胸を張って自分の想いを告げる。


「天川さん。俺は、神さまなんかじゃ無いんだよ。俺はただの弱い……人間なんだ。だから……だからさ、ごめんな。俺は天川さんの想いには応えてあげられない。だって俺は……姉さんが好きだから」


「……痛い。痛いよ……。神さまがそんなこと、言わないで欲しいっス。お兄さんが居なくなったら、あたしは死ぬしか無いんス。だから……だからお願いだから、あたしを……愛してよ……。お願い、だから……」



 天川さんは、縋るように涙を流す。


 ドキドキと、心臓が跳ねる。目の前で女の子に泣かれると、胸が痛くて仕方がない。でも……それでも、受け入れるわけにはいかないんだ。


「お兄さん……。あたしじゃ、ダメなんスか? あたし……なんでもするよ? お兄さんの為なら、なんだってするっス。お兄さんが望むなら、あたしの身体に何をしたって構わないっス。どんな傷をつけてもいいっス。だから……側に居させて欲しいんス。お兄さんは、だって……神さまなんスから。……居なくなっちゃダメなんス。あたしを……1人にしないで……」


「…………」


 どうしても、伝わらない。どうしたって、分かり合えない。そういう相手は、どこにだっている。そういう相手と上手くやるには、距離を置くしか方法は無い。


 ……でも、その相手が俺に好意を持ってくれていて、そして俺はその好意に応えてあげられない。



 そういう場合は、一体どうすればいい?



  ……天川さん、俺は神さまなんかじゃ無いから、そんなことも分からないんだ。



「お兄さん……」



 天川さんは潤んだ瞳で、俺に手を伸ばす。




 俺はそれを……。







 ──そこでふと、声が響いた。




「あれ? 真昼くん、そんな所で何やってるの? ……ってあれ? その子は、お友達かな?」



 姉さんだ。どこかに出かけていた姉さんが、家の前で見つめ合っている俺と天川さんを、不思議そうな目で見つめる。




「姉さん。……彼女は摩夜の友達の──」






 そこで不意に、頭が真っ白になる。



 一瞬、何が起こったのか理解できなかった。まるで背後から思いっきり後頭部を殴られたみたいに、俺の頭は真っ白になる。




 キス、された。




 俺が姉さんに意識を向けた一瞬の隙をついて、天川さんが俺にキスをした。姉さんの前で、まるで見せつけるかのように、天川さんは深く深くキスをする。


「……!」


 俺は慌てて、天川さんを振り払う。加減なんて、できなかった。……でも天川さんは、笑う。まるで悪魔にでも取り憑かれたようにニヤリと口元を歪めて、彼女は真っ直ぐにその言葉を告げる。



「お兄さん。あたしの神さまは、絶対にあたしの手で取り戻してみせるっス。だから……待っててくださいね」


 天川さんはそれだけ言って、早足にこの場を立ち去る。


「…………」


 残された俺は何の言葉も発することができず、まるで言い訳をするように、ゆっくりと姉さんの方に視線を向ける。



「────」



 姉さんはそんな俺の姿を、ただ唖然と見つめていた。


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