二章
1
《西暦21517年 誠1》
よくある名前の本条誠は、よくいる平凡な青年だ。
しかし、一つだけ非凡なところがある。
非凡と言っていいのかどうか。
誠の他人とは違うところ。
それは親が犯罪者だということ。
パンデミック前ならいざ知らず、徹底的に御子化された今の時代、法を犯す者など、ほぼいない。
二万年におよぶクローン再生と記憶複写によって、善人だけが、ふるいにかけられ生かされてきた社会である。しかも、その善人はサイコセラピーによって、つねに理想的に精神が安定している。
どんな人間にも適正にあった職業が用意され、貧富の差もない。よって社会不満もたまらない。そんな社会では犯罪の必要性がない。
その上に乗っかっているのが、御子の存在だ。争いのない世界をみんなの手で造りましょうと、御子は
御子のたぐいまれな美貌と不老長寿という甘い誘惑で、世界はそのようになった。
善き市民にはポイントが加算され、御子から特典が与えられる。記憶複写や不老、御子とのご拝謁など。
そんな世界で、いったい誰が犯罪行為に手を染めるというのだ?
殺人という文字は、とうの昔に辞書から消えた。虐待や窃盗、詐欺、暴力……そういぅた単語が次々と。
何よりも、戦争がこの世のどこにも存在しなくなった。
ただ一つ、うっすらと残った犯罪がある。
ストーキングだ。御子に対する——である。
御子はみんなの神さま。
だから、多くの人は御子をあがめ、慕っている。オンラインで公開される御子の映像や声をくりかえし見聞きし、自分の恋人であるかのように、御子の写真を寝室に飾る。
でも、それは御子だから。
キリストやマリアの像を飾るのと同じだと、たいていの人は自分でも信じている。信仰の裏には、もちろん、御子の美に対する憧憬があるが、自分のなかのその気持ちに気づく者は少ない。
これがちょっと進むと、御子さまグッズに給料のほとんどをつぎこむようになる。御子にちょくせつ会うことのできる栄誉に浴そうと、必死に市民ポイントをためる。
そこまでは、まだいい。御子の公演やイベントに足しげく通う追っかけも、かろうじてセーフ。
問題なのは、ここからだ。
御子が自分一人だけの神さまじゃないと我慢できないと感じる。異常行動を起こす。
異常行動とは、一般には極秘にされている御子の隠れ里を探そうとして、世界首都周辺をうろつきまわる。御子のイベントで楽屋に押し入ろうとする。あまつさえ、御子の誘拐をたくらむ、と言った行為。
皮肉なことに、これは記憶複写を受けた人間に多い。エンパシーによる記憶複写は細かい部分がぬけおち、強い感情や印象深い記憶だけが残る。しかも、何度も複写されているうちに、その思いが強調されるという副作用がある。
この問題は記憶をバックアップし、機械処理で複写することによって解決された。機械でなら、何度複写しても、同じ記憶を再現するだけで強調はされない。
残念ながら、誠の父の時代には、まだこの機械複写は実現されていなかった。
父はとてもマジメな人間だったらしい。御子信仰も深かった。それで何度か記憶複写を受けた。だが、その信仰は歪んでいたのだ。周囲は気づいていなかったが。
父が御子さまストーキング罪で捕まったのは、誠が二歳のときだ。御子さまの乗るボート(小型宇宙船の愛称)に爆弾を仕掛けようとした。
父は御子の隠れ里の研究員だった。御子にきわめて近い側の人間だったのだ。日記には御子へのゆるされぬ想いが連綿とつづられていた。
とうぜん、父は監獄に送られた。当時の人間の住む最果ての星。木星の衛星カリストだ。そこは御子さまストーキング罪などの犯罪者だけが送られる監獄星だ。
父はカリストで囚人として死んだ。
今度は記憶複写をされなかった。犯罪者のクローン再生じたい、通常ならゆるされない。
ところが、父には犯罪者になる前に、すでにクローンが一体、造られていた。そう。それが、誠だ。
御子たちはこのクローンのの処置に困った。それで監獄に送る父の腕に、人工子宮からひっぱりだした誠を抱かせた。誠は犯罪者の遺伝子を持っているというだけで、幼少時に監獄へ入れられたのだ。自分自身は悪くないのに。
監獄の暮らしは、さほど苦しくない。
父は早々に育児放棄したものの、看守のアンドロイドが育ててくれた。
ただ、そこは御子が自分だけのものと信じるパラノイアの集団が暮らす場所だ。健全な社会生活が営めるわけがない。
ノーマルなのは誠だけだ。
誠は御子の顔を見たことがない。だから、父の生きざまを知らされても、『へえ』と思うだけだ。バカなことをしたもんだなと。
何不自由ない隠れ里の研究員という特権をすててまで、なぜ、御子に執着する必要があったのだろうか。
どれほど美しいとはいえ、しょせん御子だって人間だ。ほんとの神ではない。死なないだけ。
だから、誠は現状をはなはだ不満に思っている。オリジナル(正確にはオリジナルの記憶を持つクローン。そういう者をオリジナルクローンと言う)が何をしようと、記憶を受け継がなかったクローンは別人格だ。
元と同じ研究員にしろとまでは言わない。せめて、この監獄星から出してくれたっていいのではないか。一生、御子の前に現れたりしない。月の衛星コロニーあたりで、実験用のマウスの飼育でもしてるのに。
そんな不満を持っているのは、誠だけではない。囚人のなかには父以外にも、誠のような子どもを託されて送られてきた者が数人ある。
その子どもたちは誠の幼なじみだ。誠をふくめ、誰も善人になるための教育を受けていない。しかし、I.Qは高い。オンラインから知識を得て、人並み以上の学力もあった。
あるとき、その幼なじみのうちの一人、修士が言った。
「知ってるか? 地球の衛星コロニーで、最新兵器の研究してるんだってさ」
「最新兵器?」
「そんなウワサだよ。バイオ兵器。開発が進むと世界がくつがえるんだそうだ」
「御子の世界がくつがえるのか?」
「さあ。そこまでは知らない。とにかく、厳戒態勢で一般人は誰も入れないんだって話」
「へえ。そいつを手に入れれば、世界を変えられるのか」
しばし、誠は修士とたがいの顔をうかがった。誠の考えは修士の考えでもあると、その表情からわかる。
「……おれ、ここのセキュリティくらいなら、マザーコンピューターをハッキングして停止させられるけど?」
誠が言うと、修士も応える。
「定期輸送船を拝借すれば、監獄星は脱出できるな。おれ、宇宙船の操縦シュミレーションは大得意」
「秘密研究所を襲撃するんなら、もっと人数いるよな」
「トムとコリンは射撃、百発百中」
「いいね。ノーラは医学の知識あるし、バイオ兵器のとりあつかいに役立つかも。おれが誘えばついてくる」
「じゃあ、おれはベスつれてく」
ノーラは誠の彼女。ベスは修士の。
全員、十代から二十代で、この監獄星にはウンザリしている。誠たちが声をかけると、目を輝かせてとびついてきた。
「どうせ、おれたちは社会的には殺された人間だ。このまま、つまんない一生送るぐらいなら、いちがばちか、やってやろうぜ」
こうして、誠たちはたった六人のクーデターを起こした。
計画は入念に立てられた。
決行の日は二ヶ月後。
次の輸送船が来る日……。
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