ガスパルは約束を守る男
カフェに着くと大男はガスパルと名乗って、それから瓶ビールを二本とカウサを注文した。
この国の伝統的な料理カウサはマッシュしたジャガイモに鶏肉にレモン汁、マヨネーズを加えて隠し味に唐辛子を混ぜ、型に入れてケーキのような形にしたポテトサラダ風の料理だ。
皿に乗ったカウサはマヨネーズとゆで卵のスライスに彩られ、わずかに香る(決して辛味はない)唐辛子の風味を感じるたびに僕は日本で食べた明太子を思い出す。
「僕の名前はレナルトだ」
「レナルトか、君はどこから来たんだ?」
自己紹介しながら僕らは常温のビール瓶の底をぶつけた。上品ではないガラスの音色が響いて、瓶の底から細かい泡が立ち上る。
「国籍はどこか、って事?」
「まあ、そうだな……ほら、君も食えよ」
ガスパルはテーブルに運ばれたカウサにスプーンを伸ばしながら進めてくれるんだけど、生憎何か食べたい気分じゃない僕は「腹は減ってないよ」と言ってビールに口を付けた。
「一応、日本だよ。故郷と言えるのかわからないけどね」
カウサを頬張りながらガスパルが眉をひそめた。帽子を取った彼の頭は短く刈った赤毛が汗と砂埃で固まっている。サボテンみたい。
「八年くらい日本に居てね。両親は今も日本で暮らしてるよ。その前はベトナムにスペイン、韓国、オーストラリアも。僕は子供だったからあんまり覚えていないけど」
「それは良いね。両親はどこの生まれだい?」
「父は日本とフランス、母はフィンランドとエクアドル。僕は人種のチャプスイってわけ」
僕の冗談にガスパルは口に付いたマヨネーズを指で拭いながら笑った。
「君はどうなの、ガスパル。生まれは?」
「ポルトガルだよ。ガキの頃からずっとリスボンに住んでた。行った事はあるかい?」
「去年、行ったよ。ワインが美味かった」
故郷を褒められて嫌な顔をする奴はいない。類に漏れず、ガスパルも満足そうにビールを口に流し込んで
「ところでレナルト、さっきは急いでたみたいだけど何があった?」
ガスパルはカウサを平らげた後、ビールをもう二本注文してから尋ねた。
「情けない話なんだけど、金を盗まれてね」
「強盗か?」
ガスパルの眉間に皺が寄る。
「いや、そうじゃないよ。そいつもバックパッカー風の男でさ、四日前にこの街で知り合って、金に困ってるって言ってたんだ。すぐに返せる当てがあるって話だったから……」
「貸しちまった、ってわけか?」
「今日、そいつと会って金を返してもらう予定だったんだけど約束の時間を過ぎて来なくてね。で、外に出たらバイクで逃げてくそいつを見つけて……」
ガスパルは飲みかけのビール瓶をテーブルに置いてから小さく右手を上げた。
「追っかけてる時に俺とぶつかった……お人好しだなレナルト。手持ちは幾らあるんだ?」
「すっからかん。自分でも馬鹿だと思うよ」
「なんでそんな金を?」
「理由はよく知らないけど……ただ困って、悩んでいるようだったから」
「そいつも旅行者だったんだろ?」
「ああ、多分」
「世界中を見て回って、いろいろ経験して、その上でまだ何かに悩むようじゃ世話ないな」
そう言ってからガスパルはビールを飲み干した。僕も瓶を掴み酒を煽った。
「あんたの言う通りだよ、ガスパル」
「で、レナルト。これからどうするんだい?」
「これくらいじゃ悩みはしないから心配いらないよ。こう見えて結構いろんなトコを回って、見て来たんだ。……まぁ、少し落ち込みはするけどね」
ガスパルはバックパックから地図を取り出すとテーブルに広げ、現在地周辺を指してから一本の大通りをなぞって
「実は俺、この道に行きたかったんだけど迷っちまってさ。それでさっきこの地図を買って、そうそう、この十字路だ、レナルトとぶつかった場所。で、例のバイクが走ってった道なんだけど、この街に進む主要道路なんだ」
地図をなぞるガスパルの指が隣町の上で止まる。
「随分詳しいね」
「そりゃ、俺はこの街に行こうとしてたんだから。ま、完全に逆方向に進んでたけどな」
ガスパルは苦笑いしながら言った。
「明日の朝までにこの街に行くつもりだ」
「本気で? 結構な距離だよ」
「まあ、一晩中歩けば着くだろう。それでだ、レナルト。君も一緒に来ないか? 上手くいけば金を盗んだ男に会えるかもしれない」
僕は椅子の背もたれに寄り掛かり、腕を組んで少しだけ悩んだ。悩んだ直後、思い悩む自分の姿が馬鹿馬鹿しくなって思わず吹き出した。
「見た目通りタフなんだな、ガスパル。良いよ。面白そうだ」
そう言った後、僕はテーブルの上に拳を突き出した。ガスパルも手を突出し、馬鹿でかい拳が僕の拳にぶつかる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます