第23話 いつかの呼び声


 ブツブツと。

 途切れ途切れのノイズの隙間から、懐かしいあのひとの声がする。

 あれからずいぶんと歳を取ってしまったようだけど、それでもメイルゥには彼の――ダニエル・チャップマンの声だと分かった。

 話し方、間の取り方、言葉のチョイス。真剣な話なのに時折ジョークを挟むから、本気がどうかなんてついぞ分からなかった。

 だが久しぶりに聞いた彼の声は『夜会』にまつわる一連の疑念をひとつにつないだ。




 ……メ……ルゥ……この蝋管が無事……みのもとへ届くことを信……こ……ッセージを残す……すまないがあまり時間……いんだ……ユーモアに欠け……許し……れ……




 すでにおのれの死期を悟っているかのような話し方だった。

 ノイズの隙間から在りし日の彼の様子がありありと浮かんでくる。

 メイルゥはただ静かに、とても明瞭とはいえない蓄音機の再生音に耳を傾けた。



 しかしどこから話したものかな――。

 きみと会えなくなった頃から、私は才能ある若者たちのパトロンとなって学問の普及にちからを入れた。こんな私を拾ってくれたサムザ公国への恩返しのつもりでね。

 田舎の高原地帯にちょっとした別荘を建てて、競走馬の飼育をしながら若者たちと暮らしたものさ。愉快な日々だったね。


 若い研究者のなかには錬金術師たちもいた。

 あの頃は国外から多くの錬金術師がサムザに亡命してきたからね。

 彼らはとても研究熱心だったよ。私も錬金術の魅力にひかれて一時期はかなりのめり込んだものさ。

 そんなある日、私のもとに三大錬金術師のフルカネリを名乗る人物が訪ねてきた。

 ほんものかどうかは怪しいものさ。

 なにせ800年も生きている人間を私は知らないからね。


 彼はほかの研究者と同様にパトロンを探しているとのことだった。

 当時、ローゼンクロイツ派の冶金やきん術に傾倒していた私だったが、一度フルカネリ派のゴーレム生成術を見てみたいと思い、ふたつ返事で招き入れた。

 私は彼のために別荘の一室を特別に改築してまで、そこに住まわせた。


 二年ほどが経ち、彼はほんとうに土くれから人間を作り出すことに成功した。

 精霊石を魂の依り代とした秘術だと彼は説明してくれたが、さっぱり理解できなかったよ。ごく簡単な命令を、機械的にこなすだけのものだったが確かにあれはひとだった。


 その間にフルカネリはゴドー・フォンブラウンの名で二冊の本を執筆した。

 私はその本を読んでいたく感動したよ。

 なんと人工生命の作り方のほかに、不老不死や永久機関について書かれていたのだ。


 私はこの研究を世に広めようと奔走した。

 以前から私は、仮面舞踏会を真似た『夜会』という催しで、若い研究者らと実業家たちが接点を持てるように交流の場を用意していた。せっかくの研究も売り込みの場がなくては意味がないからね。

 まだ私自身も五十手前だったが、世話好きの『グランパおじいちゃん』と呼ばれてしまったよ。


 フルカネリを『夜会』へ紹介してからというもの、たちまち人気者になってね。

 彼もまた金持ち連中に可愛がられてすぐに個人的な依頼も増えた。

 だが――そのあたりから良くない話を聞くようになったのさ。


 彼が若い貴族を集めて危険な人体実験をしている。

 知人からその話を聞いた私はすぐに本人を問いただそうとしたが……フルカネリとはそのまま二度と会うことはなかった。

 残されたのは彼のために改築した研究室と二冊の本だけ。試しに100部ほど刷ったが、いまはどうなったことか。


 あれから30年が経った……王朝崩落の気運もあって『夜会』も解散してしまったが、つい最近、私の知らないところで『グランパ』を名乗る男が、若い貴族や実業家を集めてよからぬことをしていると聞いた。

 なんでも人間の生き胆を食らっていると……。

 情報提供者は、かつてフルカネリが人体実験をしていると教えてくれた知人だ。


 彼が見た『グランパ』を名乗る男はフルカネリ本人だったという。

 しかも30年前とまったく同じ姿だったそうだ。


 その情報を私に伝えてからほどなくだった。

 知人が不可解な死を遂げたのは。

 これは忠告だったのかもしれないよ、メイルゥ。

 

 どうやらあの男は、ついに不老不死の秘術を完成させたらしい。そのためにどれだけの罪もない人々が犠牲になったのかと思うと……。


 痛恨の極みだメイルゥ。

 あのとき私が彼を止めていれば、いやパトロンになどならなければと後悔をしない日はない。しかし私にはもう時間がないんだ。


 いつかあの男が、なにかとんでもないことをしでかすのではないかと思うと死にきれない。

 止めてくれ。

 こんなことを頼めるのは、きみだけだメイルゥ――。




 馬車での道中、メイルゥは自らが『グランパ』へと行き当たった経緯を説明した。

 そしていまもなおダニエル・チャップマンの名をかたり、ニュールブラン市内に潜伏しているという事実を語った。

 ヴィンセントは相槌を打つこともなく黙して聞いていたが「つまりなんだ」と考えるのも億劫だと言わんばかりに口を開いた。


「俺が地下で見つけた『せむしの男』は、そいつが作ったゴーレムか?」


「年代的にはその可能性は高いね」


「で、いまから会いにいく『グランパ』はそいつ本人ってわけだ」


「いまからいく場所に、ダニエル・チャップマンの名義で豪邸を建てた『グランパ』と呼ばれる誰かが住んでいる。そして10年前に死んだダニエルから『グランパ』を自称する誰かを止めてくれと頼まれた。それだけだ。このふたつの偶然にはまだ直接的な結びつきはない」


「相手は800年も生きているバケモノだぞ。なんの偶然があっても不思議ではあるまい」


「レナード。それがおまえの目を曇らせている。ほんとうに800年も生きられる人間がいるとお思いかい」


「それは……」


「なにかが引っ掛かるんだ。それに偶然はまだ終わってない」


「どういうことだ?」


 ヴィンセントは困惑を自問する暇すら与えられない。

 魔女はさらなる不可思議なことを口にしようとしていた。


「いまから行く『グランパ』の屋敷ってのが、ウチの娘が文通をしている相手とまったくおなじ住所なのさ」


「は?」


「ほんとうに『は?』だよ。こんな偶然があるもんかね。もしこれが死者の導きだとでもいうのなら、魂の永遠を信じずにはいられないよ」


 ダニエルの導き。

 すこしまえに黒猫のサラがメイルゥへと投げ掛けた言葉である。


 魂に永遠などありはしない。

 その事実を知るメイルゥだからこそ、ほんとうは誰よりも信じてみたいのだ。


 ふと視界に入った馬車の窓枠が、大気に震えてビリビリと鳴っていることに気づく。駅前で打ち上げられている祝砲が激しさを増して、ここまで響いているのだ。

 耳をすませば、かすかに管弦楽団による演奏も聴こえたかも知れない。


「どうやら始まったようだね」


「レースか。噂じゃあんたが段取りしたって話だが、観なくていいのかよ」


「結果はもう知ってる。どう転んでもあたしの勝ちさ」


 メイルゥは手にした紙切れをひらひらと揺らした。

 馬券ならぬ、勝ち車投票券である。


「悪い顔してんぞ」


「ま、それよりもいまは『グランパ』のほうさ。世間さまがレースに熱中してる間に決着つけようと思ってね――」


 なんて談笑もありつつ、やがてふたりの乗った馬車はとある場所で停まった。

 閑散とした住宅街。

 区画再開発事業の一環で広げられた宅地であるが、ご多分に漏れずここもまた多くの空き家が目立っている。


 建設途中で放棄された家屋が多いなか、一際大きな敷地面積をもった屋敷があった。

 鉄のフェンスに囲われた、国外の様式で建てられた四角い建造物。


「ここだ」


 屋敷のまえにはすでに黒猫のサラが待っていた。

 メイルゥの命により先んじて現地へ乗り込んでいたのである。しかし彼女にはもうひとつ重要な目的があった。

 それは――。


「なあぁご」


「分かってるよ。行っといで」


 すでに「手紙の君」がどこにいるかの下調べは済んでいたのだろう。

 メイルゥの許しが出るやいなや、漆黒の毛並みを輝かせてあっという間に屋敷のなかへと駆けていった。


「そうかい。その子が『白猫』さんかい。粗相のないようにね……」


 メイルゥは誰にいうでもなく、そうつぶやいた。

 すると今度はヴィンセントが「ば、ばあさん」とかなり動揺した口調でメイルゥに呼び掛けた。

 彼女はすでに屋敷の敷地内へと足を踏み入れようとしていた。


「なんだい」


「なんだっていうか、その……顔が……」


「ん?」


 メイルゥは自分の顔をさすってみる。

 するとさっきまであったはずの頬のたるみがない。ばかりか顔中のシワというシワがすっかりなくなっており、ぷるっとした程よい弾力すらあった。

 若返っているのだ。


 ヴィンセントが驚くのも無理はないだろう。なぜならば彼が出会ってから、メイルゥはつねに老婆の姿であったし、そもそも『魔法』というものの正体をただの操心術としてさげすんでいたからだ。


「ふむ。なるほどね」

 

 メイルゥはひとりごちると、ヴィンセントにはいつものように「体質さね。気におしでないよ」とうそぶいた。

 魔女は愛用の杖を片肩に担ぎ直して屋敷を凝視する。


「どうやら色々とつながってきたようだ」


「お、おい、待てよっ」


 メイルゥの足取りに迷いはなかった。

 ずかずかと『グランパ』邸へひとりで乗り込んでいくさまに、さしものヴィンセントも泡を食う。相手は裏社会でも有名な危険人物だというのに、この魔女のクソ度胸のまえでは、鬼刑事も形無しである。


 ふたりは屋敷の玄関まで来ると、顔を見合わせた。

 そしてメイルゥは躊躇することなく、ゼンマイ式の呼び鈴を鳴らそうとしたが――。


「ふぇっふぇっふぇ」


 いつか聞いたあの不気味な声色とともに、重厚な意匠をこらされた一枚板の扉が、魔女らの行動に先んじて開かれたのである。


「お、おまえは!」


 真っ先に反応したのはヴィンセントのほうであった。

 メイルゥは逆に、不気味なほど冷静だ。


 ふたりのまえに現れたのは、執事服を着た初老の男。

 しかしその身体的な特徴には、メイルゥはもちろんのことヴィンセントにも見覚えがあった。

 白衣こそ着てはいないがその男はまぎれもなく、あのせむしの男だったのだ。


「ふぇっふぇっふぇ。メイルゥさま……でいらっしゃいますねぇ」


「なっ」


 なぜ知っている――。

 ヴィンセントには明らかな動揺があった。

 しかしそれでもなおメイルゥは、冷めた態度を崩さない。


「お待ちしておりました。偉大なる魔導卿閣下を当家にお迎えできて、主人もたいそう喜んでおられます。ふぇっふぇ」


 困惑しているヴィンセントにメイルゥは「あとで話す」と一言だけささやくと、せむしの男の案内にしたがって屋敷の奥へと通された。


「こちらへ。すぐに主人も参ります。お召し物は?」


「いや、いい」


 メイルゥは亜麻色のローブを脱ぐことなく、応接室のソファーへと腰を下した。

 ヴィンセントもそれにならい、ドカッと乱暴に座る。

 せむしの男は仰々しく頭を垂れると「それでは」と部屋をあとにした。


「説明してもらおうか」


 すでに応接室に用意されていた紅茶を飲みつつ、リラックスした様子の魔女。

 対して鬼刑事は真逆の態度で、ただただ居心地の悪さに苛立ちをつのらせていた。


「押し問答は嫌いでね。どうせ住所が分かってんだ。こっちから面会の約束を取り付けるために手紙を書いた」


「はあ?」


「おまえさん、それが口癖になってるね」


「笑いごっちゃねえ! 警戒して、逃げられでもしたらどうすんだよ!」


「それはない。ここに来てそれを確信したところさ。どうやら『グランパ』にはここから離れられない理由があるらしい」


 そういってまた紅茶を一口含む。

 安い茶葉を使っているのか、それともこのところデニスにおかげでロイヤルティーを味わう機会が増えたせいで舌が肥えているのか、どうにも気に入らない。

 自然と眉尻がぴくんとハネ上がった。


「それじゃあの『せむしの男』はどう説明するんだよ。死んだぞ、あいつ。それも俺の目のまえで崩れ去った」


「アレがゴーレムなのだとしたら、一体だけとは限らないだろう」


「あ……」


「そういうことさ」


 長い沈黙が応接室を支配した。

 もはやヴィンセントにも疑問らしい疑問がないのだろう。

 そもそも彼の常識の範疇を軽く超えてしまっている。たとえ祖父が錬金術師だったとしても、孫にとってはただの胡散臭いまじないと大差ないのだ。

 自らの血統に、怪しげなルーツがある。

 それだけでも彼が錬金術を憎む理由には十分過ぎた。


 祖父たちの名誉のためにフルカネリを討つという信念も、じつはただの私怨であることをメイルゥはとうに気づいていたのである。

 シーシーを見ていれば、それが分かる。彼は自分のルーツなど気にも留めない。自分のやりたいことをやるだけなのだ。


 あまりにも似ているのに、あまりにも違い過ぎるふたり。

 だからこそメイルゥは、ヴィンセントが放っておけないのである――。


 しばらくして応接室のドアがノックされる。

 いよいよ面会のときか。


「失礼いたします」


 せむしの男の声が聞こえた。

 ガチャリと。

 しずかに応接室のドアが開いていった。

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