第9話 日常クライシス⑨

俺の、他の人に迷惑をかけてしまったという、罪悪感に満ちた態度での言葉に、教授は軽く頷きながら答えてくれる。


 「よし。じゃあ、このゼミではどういう事をしていくかなんだけど、基本的にはその日に一つのテーマを決めて、そのテーマについて、それぞれで相談し合ったり、意見を出し合ったりして、最終的にどの考えが一番そのテーマに適していたのかを決めてもらう。テーマについては私が決める事もあるし、君達に決めてもらう事もある。っていう感じでやっていきます」


 普通のゼミでは個人個人が各々、または数人ずつのペアを組んで、何かのテーマについて研究し、それを全員に向けて発表、それに対する質疑応答。っていうパターンの場合が多いけれど、この宇都宮ゼミでは、どうやら全員で一つのテーマに対し、一つの答えを出す。ってのが主たる目的らしい。


 「普段のゼミはそういう風に進めていくのだけれど、何か聞きたい事がある人はいるかな?」


 教授からの問い掛けに対し、隣のイケメンくんが、スッと真っ直ぐに手を挙げていた。


 「はい。じゃあ、須賀山すがやま君。どうぞ」


 「あの、議論を行う時の、議題、テーマについてなんですが、具体的にはどのようなテーマで議論を行うのですか?」


 そこは確かに気になるポイントではある。


 テーマは何についてでも自由。ってなってしまうと、かえってテーマを決めることが困難になってしまう。そういった意味では、ある程度の具体的な指針を示していてくれた方がありがたい。


 「そうだね〜、具体的に何かを答える前に、須賀山君に一つ、聞いておこうかな」


 「はい、何ですか?」


 隣のイケメンくんは多少の戸惑いを見せながらも、質問に答える意思をみせる。


 「例えば、経済問題について、日本の経済の問題。日本は多くの国債、つまりは借金を国として抱えている訳だけれど、君の力でこの問題を解決することはできるかい? あるいは世界の貧富の差の問題。これについては経済だけでなく政治的な問題も絡んでくるのだけれど、君の力でこの差をなくすことはできるかい?」


 教授は少しの笑みを綻ばせながら、問い掛ける。


 「あ……いえ……」


 「うん。おそらく厳しいだろうね。須賀山君だけに限らず、私を含めて、ここにいる誰かが考えたところで、行動したところで、このような問題を解決することはほとんど不可能なんだ」


 教授の言っていることはわかる。日本、増しては世界の問題なんて、こんな日本の一大学生に解決できるような問題じゃない。まぁでも、それを教える側である教員が言っちゃうのは疑問が残るところではあるけれど。


 「ひょっとしたら少しの糸口が見えて来ることがあるかもしれない。でもそのレベルの大きな問題となってくると、例え少しの糸口を見つけたところで、複雑に絡み合った糸を解くことは難しい。だから君達にはもっと身近な問題について考えて欲しい」


 そう言われて隣のイケメンくんは顎に手を当て、考える素振りをしながら呟く。


 「身近な問題……ですか」


 「そう。身近な問題。例えば今のような経済について、だったら日本とか世界とか、そういった大きなカテゴリーではなく、自分自身。自分の財布、または通帳を潤わす為にはどうすればいいか?とかね。こういった、皆が各々の力で解決できそうなレベルの問題について、君達大学生にしっかりと考えてもらいたい」


 「なるほど……わかりました」


 「うん。やっぱり、自分自身の身の回りの問題についても解決できないのに、日本やら世界やらって言うのは、筋違いだからね」


 さすがおじいちゃん教授。恐らくこの人は大きな問題ばかり考えてきて、身近なことが疎かになっていたことを後悔していたんだろう。だから俺達には身近なことの大切さについて考えて欲しいんではないだろうか。


 「手の届かないものを追い求める事も時には重要だろうけれど、このゼミでは手の届く範囲のものを最大限に生かす。その事を主たる目的として、テーマを選び、議論を行ってもらおうと考えてるんだ……よし、他に質問がある人はいるかな?」


 軽く周りを見渡すと、皆軽く首を振り、質問がない意思を表す。


 この頃には、パツキンジャージも落ち着いてきたのか、イライラしているような雰囲気はまったく感じなくなっている。


 質問が無いとわかった教授は軽く頷く。


 「あ、あと普段はそういう形でやっていくんだけど、年に二回だけ、佐藤ゼミっていうところと合同で討論会を行う予定だから覚えておいて。この佐藤っていう先生は、私と昔からの付き合いでね。仲良くやらせてもらってるんだ。だから全員、その討論会の時は絶対勝ってくれよ?」


 え、勝ってくれってなんですか? 討論会って、勝負か何かなんですか? 昔からの付き合いで仲良いいんじゃないんですか? 本当は啀み合ってませんか?


 「よし。これでこのゼミのガイダンスも終わったし、自己紹介も終わったから、今日はここまでにしようか。じゃあ解散」


 そう言って教授はさっさと教室を後にする。


 最後の討論会については質問させてくれないんですね。周りのゼミ生達も、討論会とはなんぞや、っという戸惑いが顔に出ているけれど……。


 質問させない為に、半ば強引に解散に持って行った感は拭えないが、早く帰れるに越したことはない。


 他のゼミ生も仕方ないと思ったのか、帰り支度を始める。


 俺が帰り支度を終えた時、もう既に、向かい側にいたパツキンジャージと、とかとかさんは立ち上がり教室を後にしていた。


 ってか本当にあのパツキンジャージは一体何だったんだ。ボロクソに言われただけで、まるで轢き逃げをされたみたいだ。


 あいつと毎週会わなくちゃならないとなると、少し憂鬱だな。


 そんな事を考えながら、立ち上がり、教室から出ようとした時、隣のイケメンくんから声が掛かる。


 「直原君、この後もう授業ない? もしよかったら今後、このゼミで仲良くしていく為に一緒にご飯でも行かない?」


 「…………」


 これまた突然の問い掛けに、硬直してしまう。


 こいつがいつも唐突すぎるせいで、毎回同じ反応になっちまうじゃねーか。


 「松長君も、よかったらどう?」


 そう言われて、えーっと、確か、そう! デラックス。デラックスくんは、隣のイケメンくんの誘いに、一瞬戸惑いはしたものの、クールに淡々と返事をする。


 「僕はどっちでもいいけど」


 「お、いいね! 直原君は?」


 俺の返事はもう既に決まっている。


 俺は友達を作る事が出来ない。これは俺の意識下ではなく、無意識で拒んでしまうものだから、どうする事も出来ない。


「ごめん……俺はちょっと……」


 「……そうか。わかった。じゃあまた今度にしようか」


 少し苦笑を浮かべるような表情見せながらも、今回は見逃してくれるようだ。


 隣のイケメンくんの所作から判断するに、どうやらかなり周りの空気を読んで、相手に気を遣うタイプの為人らしい。


 「うん。ごめんな……じゃあまたゼミで」


 そう言って俺は教室から立ち去る。その時、後ろからは、「直原君が行けないみたいだからまた今度にしようか」という声が聞こえて来ていた。


 デラックスくんもごめんな。といっても、今度に先送りされたからといって、俺がそれに参加できるようになる訳じゃないんだよな。


 あー。次回誘われたら、なんと断ればいいだろうか。


 そんな憂鬱な思いと共にエスカレーターを下り、三号館から出る。


 外に出てみると、既に日は落ち、辺りが暗くなりかけていいる。


 ふとキャンパス内に設置されている時計に目をやると時刻は六時半だった。

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