第10話 策士策に溺れまくる

 どこか様子のおかしい環に、なんとなく嫌な予感を覚えた翌朝。


「はよっすー」


 適当な挨拶と共に教室の扉を開けた庸一は、どことなくクラスの空気がいつもと違っているように感じた。

 しかし室内を見回してみても、特段変わった点は見受けられない。


(いや……なんか、やけに注目されてる……?)


 確かに普段から、庸一は騒動の最中さなかにいることが多い。

 しかしこのクラスの面々は既にそのような騒動には慣れっこであり──だからこそ環の転入騒動があっても数日程度で落ち着きを取り戻したと言える──今更庸一に注目する意味がわからなかった。


「おはようございます、兄様」


 内心で首を捻っていたところ、自席を立って環が歩み寄ってくる。


「あぁ、おはよう……」


「あら兄様、ネクタイが曲がっていましてよ?」


 釈然としない表情で挨拶を返した庸一の首元に、環が手を伸ばした。

 そして、丁寧な手付きでネクタイの位置を直す。


 すると。


「ヒューヒュー! お熱いねぇ、お二人さん!」


「まるで夫婦みたいじゃんかー!」


「YOUそのまま結婚しちゃいなYO!」


 やんややんやと、クラスメイトたち──ただし女子のみ──からそんな声が上がった。


 それに対して、庸一は目をパチクリと瞬かせる。

 なぜならば。


「えっ、何、どうしたの皆……普段、そんな感じじゃないじゃん……」


 このクラスは割と大人しい者が多く、このように騒ぐのは初めてだったためである。


 もっとも、新学年になってまだ日は浅い。

 新しいクラスに馴染むまでは大人しくしていたのがこれを機会にはっちゃけた、と考えることも出来るが……。


「ナンノ コトカナ?」


「ワタシタチ ズット コンナ カンジ」


「ヒラノ クン ト タマノイ サン オニアイ」


「オウエン スル」


 庸一が視線を向けると同時にサッと視線を逸らしてカタコトで言い訳する様は、『怪しい』以外に表現のしようがなかった。


「さては……」


 なんとなく状況を察して、庸一は環にジト目を向ける。


「環から、何か握らされた・・・・な」


 視界の端で、クラスメイトたちがギクリと反応したのが見えた。


「あら、何のことですの?」


 しかし、環は素知らぬ顔でしれっと返すのみ。


「何も、握らせてなど・・・・・・おりません・・・・・わよ?」


 何一つとして嘘は言っていない、とばかりの堂々とした態度であった。


「くふふ、まぁ確かに握らせてはおらんのぅ……物理的には、じゃが」


 そう口を挟んできたのは、ニヤニヤと笑っている黒である。

 彼女も、庸一がモーニングコールをするようになってからは始業時間までに登校してくるようになっているのだ。


「どういうことだ?」


「お主が登校してくる前、ソヤツは女子共に自身のスキンケアやヘアケアの秘訣を伝授しておってな。なんともお手軽な買収じゃて」


 視線をずらした庸一に、黒は肩をすくめながら答えた。


「あら、買収だなんて人聞きの悪い。わたくしは転校生として皆さんと親しくなりたかったので、お近づきのしるしに……と思っただけですわ」


 やはり悪びれた様子もなく、環は涼しい顔である。


「その際に、兄様とわたくしのことを応援していただけると嬉しい……と雑談・・を交わしたりもしましたけれど。何も強要はしておりませんもの」


「まぁ、確かに? 教えてもろうておきながら、先の茶番に参加しておらんかった者もおるようじゃしのう? 誰とは言わんが?」


 示し合わせたかのように、環と黒の視線が一点へと向けられた。


 その先で、メモのようなものを熱心に読んでいた光がビクリと身体を震わせる。

 チラリと手元が見えたが、彼女の手書きらしきメモには『髪』『ケア』『女らしさ』などの文字が踊っていた。


「う、うむ。私はあくまで友人として個人的に環から教えを乞うただけであり、それは両者にとって何ら利害が絡むものではなかったと断言しよう、うん」


 若干の震え声と共に、光は何度も頷く。


「そうじゃな。魂ノ井に物申しに行ったはずがいつの間にか話に聞き入って、戻ってきたかと思えばもう魂ノ井の行動にも口を出さんようになっておったが、そこにも何ら取り引きの類は無かったっちゅーことじゃよな?」


「う、う、うむ……」


 脂汗を流しながら答える光の声は、ほとんど消え入りそうなほどに小さくなっていた。


「そういう感じか……」


 状況が概ね判明したことで半笑いを浮かべながら、庸一は自席に向かう。


「にしても、なんでまた光まで?」


 それから、ふと気になって光に尋ねた。


「元々、そんな綺麗な髪なのにさ」


「えっ……!? わ、私の髪、綺麗かな……!?」


 何気なく口にした言葉に、光は口元をもにょもにょさせながら問い返してくる。


「ん? そりゃ勿論。太陽の光を反射してキラキラ輝いてる時なんか、最高に綺麗だと思うぜ?」


「そ、そそそ、そうかな……!? で、でも私、あんまり女の子らしくないから……! 手入れとかの方法も今まで適当だったし……! だから、この機会にって……!」


「適当に手入れしててそれとか、まさしく神が与えた美しさって感じだよな」


「う、美しいだなんてそんな……」


「それに、女の子らしくないってどこがだよ? まぁ確かに可愛い系ってよりは格好いい系だとは思うけど、それも十分に女の子らしさだろ?」


「う、うへへへ……そうかにゃー……」


 抑えようとはしているものの全く抑えられていない感じで、ニヤニヤと嬉しそうに笑う光。


「……あー、妾もアレじゃなー。癖っ毛じゃしなー。なんかコンプレックスじゃなー」


 それを見てどう思ったのか、わざとらしく黒がそんな声を上げる。


「いやお前、どう考えても自分の髪に誇り持ってんじゃん。どうせ今回だって、環から何か教えてもらったりもしてないんだろ?」


 胡乱な目で、庸一はそう指摘した。


「くふふ、流石によう妾のことを理解しとるのぅ……じゃが、乙女心検定的には合格点はやれんな。これは、妾の髪も褒めよと言うておるのじゃ」


「はいはい……黒も、綺麗な髪だと思うぜ。触ると気持ちいいし」


 言いながら、黒の頭を撫でる。

 実際、よく手入れされているのがわかるその髪は、触れると心地よく手の中でふわふわと跳ねた。


「くふ、雑な評価じゃがナデナデはポイントが高いので合格点としておいてやろうかの」


「そりゃどうも」


 黒のご満悦の声に対して、庸一は肩をすくめる。


 そんな、一連の光景を見て。


「ふ、ふぐぉぉぉぉぉぉぉぉぅ……!? 周囲を焚き付けてわたくしと兄様の関係を既成事実化していくはずが、なぜ女狐共に利する流れに……!?」


 環は歯を食いしばり、憤死でもしそうな勢いで悔しがっている様子であった。

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