第46話 彼女の死
「やっぱり小麦粉。小麦粉は大事です!」
ルチア姫からお菓子作りのポイントを訊かれて、小麦粉の大切さを熱く語った。
家にいたときはママが使っていたのと同じ物を買っていたから気が付かなかったけれど、ここへ来て様々な材料に触れて、小麦粉次第で味が随分と変わるということを思い知った。
一般的な手軽な値段の物とちょっといい物では、全く味が違ってしまう。
小麦粉はいい物を使った方がいい。
ママも知っていたからこそ、こだわって選んだ物を使っていたのだろう。
こんなマニアックなあたしの話を、ルチア姫はうんうんと聞いてくれている。
お菓子に詳しいというのは本当のようだ。
王子達なんて、もうあたしたちの会話から外れて、美味しそうにティラミスを口にされている。
イザベラはもの言いたげにこちらを見ていたけど、よく分からない会話に加われないといった様子だ。
「調子が悪い」という設定を忘れてはいなかったが、自分の好きな分野の会話を振られて話を止められない。
小食であるルチア姫は少ししか盛られていなかったティラミスをとっくに食べ終えていて、すでに小一時間は経とうかとしていた。
ルチア姫は王子たちの前だからか、それともケーキを満足していただけたのか、終始機嫌がよく、ゲームのままの愛らしい姫だった。
「でもよかったわ。心配していたの。だって――」
「エミリー。やっぱり顔色が悪いわ。無理することないのよ。少し休んだら」
ルチア姫が何か言いかけたのを遮るように、イザベラが声を掛けてきた。
立場を考えるとかなり失礼な行為だけど、ルチア姫は全然気にしていない様子で、
「大丈夫よ、ね。こんなチャンスもうないかもしれないんだもの。もうちょっといいじゃない」
とウインクした。
ああ、可愛い。
今の彼女は驚くほどゲームでのルチア姫だ。
ついつい「はい」と答えると、イザベラは深いため息を吐いた。
「それでね、私心配していたのよ。初めてお会いしたとき、エミリーに失礼な態度を取ってしまったんじゃないかって」
あたしはずっと立っているから、当然座っているルチア姫から上目遣いで見られることになる。
そのちょっと困ったような甘えるような視線に、可愛い女の子の上目遣いの力を思い知った。
それに何気に名前を呼ばれた。
「いいいいえ。そんな。失礼だなんて滅相もないです」
「ほんと? よかった。私、人見知りするから初めてだと緊張してつい変なこと言っちゃうの。本当にゴメンナサイ」
「いいいいいえ。あの。全然。そんな」
可愛い姫の可愛い仕草にキュンキュンして、あたしは完全に語彙力を失ってしまっていた。
これを機会にゲームの中のように仲良くなれるかな。
そんなふわふわした気持ちでいると、さきほど控えの間でご一緒したリチャード王子の側近の騎士が、慌てたように入ってきた。
「フィン。どうした?」
何かあったと察したリチャード王子が声を掛けると、フィンと呼ばれた騎士が王子に耳打ちをした。
聞きながらイザベラの方に視線を向け、話が終わるとリチャード王子はあたしたちのことなど構わずに立ち上った。
「イザベラ。レイチェルが倒れたらしい」
控えの間では、レイチェルが冷や汗をびっしょりと掻き、まともに呼吸も出来ないように苦しんで悶えていた。
「医者を!」
「今ジルが呼びに行っています」
イザベラの声にフィンが答える。
ずっと具合が悪いと聞いていたけど、こんなにひどいなんて。
「レイチェル。寒い? 暑い? どこが苦しいの?」
イザベラがレイチェルの背を撫でながら声を掛ける。
「もっと早く医者に診せればよかったわね。ごめんなさい……」
独り言のように呟いた声はレイチェルの耳に入っていたらしく、レイチェルは苦しんでいる中でも、心配させまいと首を横に振っていた。
当然のことながら病気に関する知識なんてないあたしは、何も出来なくて、ただそこに立っている。
だけど、手を伸ばせは触れる距離にいて、だから手を伸ばしたら、ぶつかったレイチェルの手が強くあたしの手を掴んできた。
それは激痛の中にいる人の手加減の出来ない強さで、爪が食い込んで血が滲んでくるのが分かったけど、振りほどくことも出来ない。
出来ない代わりに反対の手も伸ばし、あたしの手を掴む彼女の手ごと包み込んだ。
「レイチェルさま……」
名前を口にすると、一瞬、レイチェルの目があたしを捉えた。
苦しくて涙に濡れた目だった。
ほんの一瞬だったけど、忘れられない目だった。
それからほどなくして医者が到着すると、イザベラを残し、他の人達は部屋を出された。
王子達は何事か話しながらその場に残り、あたしやルチア姫はそれぞれの部屋に帰り、ジルも姫の部屋付き女中として付き添っていった。
部屋へ戻ると、あたしはもう立っていられなくてベッドに座り込んでしまった。
座っても、重苦しい気持ちはどうすることも出来ない。
これはかつて感じたことがある。
パパを失ったとき、ママと弟妹たちを失ったときの、どうあがいても自分の力ではどうすることも出来ない、あのどうしようもない感覚に似ている。
いやだ。
怖い。
さっきまで笑っていたのに。
――だけど、人はあっけない。
祈ることが力になるのかなんて知らない。
だけど、今は彼女の回復を祈ることしか出来ない。
それからはベッドの上でぐるぐるとした不安の中で落ち着かない状態でいた。
食事もしたいとも思えなかった。
だけど、それでも気付かないうちに眠っていたらしく、強く扉を叩く音で朝になっていたことに気が付いた。
昨日の服のままだった。
「はい」
扉を開けると、見たことのない男性たちが立っていた。
「エミリーだな」
「はい」
ただならぬ雰囲気を感じる。
心臓がどきどきして、嫌な予感がする。
「イザベラ様の侍女レイチェル・ブラウンが昨夜亡くなった」
――ああ、やはり。
やはり、祈りなんかではどうにも出来なかった。
「普通の者であれば助かったかもしれないが、身重であるレイチェルには耐えられなかったのだろう」
「……身重? レイチェル様、妊娠していたんですか? じゃあ、死因は――」
「それはお前がよく知っているんではないか?」
「え?」
思い当たることといえば、あのダンスの練習に付き合ってもらったこと。
あれが妊婦であったレイチェルに負担を与えてしまったんだ。
「心当たりがあるだろう?」
黙って俯くあたしに、その男性は続けてこう言った。
「死因は、ナツメグによる中毒死だ」
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