第41話 モンテ・ビアンコ

「今日はモンテ・ビアンコを作れとのことだ」

朝一番で、パトリックから当然のように今日の課題が伝えられた。

それはいいとして、モンテ・ビアンコって何?と思っていたら、耳元で囁く声があった。

「モンブランよ。モンブラン・ケーキ」

まさか。と思って振り向くと、そこには満面の笑みを浮かべたイザベラがいた。

「いつの間に」

「お前が厨房に入ってくる時から後ろに付いていたぞ」

「今日はちょっと時間が出来たから様子を見に来たの」

パトリックの言葉を受けたイザベラは、悪戯が成功したこどもの顔をして笑った。


「――で? そのモンテ・ビアンコがモンブラン・ケーキだって言うために来たの?」

一緒に地下の貯蔵庫へと下りつつ訊くと、イザベラは明るく首を横に振った。

「顔を見に来たついでよ。…地下室に入るのは怖くない?」

「1人だとちょっと、怖いけど、昨日はエリックがいたし、今もイザベラがいるから…」

ああ、それを気にしてくれていたのか。

「よかった。来た甲斐があったわ」


貯蔵庫に着くと、昨日作ったマロングラッセを取り出した。

「あ、それってケーキの上に乗せるやつ?」

「うん。昨日時間があったからたまたま作ってたんだ」

この存在を知っていたかのようなナイスなタイミングだ。

イザベラが興味深そうに覗き込んでくるから口元に1つ持っていったら、嬉しそうにかぶりついた。

「ん~。ちょうどいい甘さ」

2人でいるからか、全く貴族らしくなく、もごもごと食べながら感想を言っている。

まだ食べたそうに後ろから肩に顎を乗せてきたから、もう1つ口の中に入れてやったら満足そうにしていた。

そんなイザベラを尻目に、道具を出して材料を揃えはじめると、イザベラがソワソワしだした。

「ねえ、私にも何か手伝えることない?」

「えー?」

これまでの言動から、公爵令嬢のイザベラ様がお菓子作りをしたことがあるように思えないし、凛音もしたことはなかったはずだ。

そんな彼女に何を頼めばいいものやら。

「うーん。じゃあ、言うとおりに材料量ってくれる? 理科の実験好きだったでしょ」

凛音が必要な薬品をぴったりと量るのを殊更楽しそうにやっていた記憶がある。

そして案の定、あたしが指示したとおり、イザベラは寸分もたがわず量ってくれた。

お菓子作りはちょっとの違いで出来が大きく左右されるから、これは重要なことだ。

それを言ったら、イザベラは嬉しそうに、さらに張り切っていた。

「ナツメグは? これはいつ入れるの?」

こないだ覚えたナツメグを連呼している。

「今日は入れないよ。ナツメグは焼き菓子に入れることが多いかな。入れ過ぎると中毒起こすものだからあんまり触らないでね」

あたしがそう言うと、イザベラはナツメグの入った容器を作業台の上に置いて、静かにテンションが下がったようだった。

前世からあたしが彼女に敵うものなんて何もなかったから、今こんな風に指示を出したり注意をしたりするのは新鮮でなんだか嬉しい。

他の人の前ではさすがに今みたいな馴れ馴れしい口の利き方は出来ないけど、なんとなく対等な関係になれた気がする。

「ねえ、イザベラ。あたし思い出したんだけど、伊月の時、小松菜とかごぼうとか、野菜の入ったケーキやクッキーを食べたことがあるんだよね。その、支援用のお菓子にそういうのがあってもいいと思わない?」

「え? 凛音は食べたことないわよ。伊月いつ食べたの」

「ああ、うん。高校の時に食べたから。文化祭で貰った」

「……ああああ。やっぱり同じ高校行けばよかったあ」

何故なにゆえそんなケーキやクッキーでそこまで悔やむのか。

「…食べたいんなら今度作るよ」

「ありがとう」

あたしが妥協案を出すと、途端に機嫌を直した。

凛音はそんなに食べ物に固執する性質ではなかった。

むしろ、美味しい物はあたしに分けて食べさせたがるくらいだったのに、イザベラとして育ってきた過程でそうなってしまったんだろうか。

「それで、支援用のお菓子ね。うん。それもお願い。またレシピ教えてね」

「うん」

「お礼にまた手伝うわ。それと、何か困ったことがあったら言ってね。なんでも協力するから」

困ったことといえば、――かぼちゃが美味しくない。

しかしそれはイザベラに言ってどうにかなるものでもないだろう。

「ありがとう。イザベラも何かあったら言って。あたしじゃあ出来るは大してないかもしれないけど、愚痴を聞くくらいなら出来るから。友達でしょ」

その直後、後頭部にゴツンと何かがぶつかった。

「痛」

イザベラの額だ。

「うん。…ありがとう」

あたしの頭の後ろで、彼女は噛み締めるようにそう言った。

その時、あたしはケイトが言っていたアラン王子とのことを思い出した。

「あのさ、イザベラは、アラン王子のこと、好きじゃない、の…?」

そう訊くと、しばらく室内には沈黙が続いた。

「……人間としては、好きよ。友達としても」

「結婚相手としては?」

「…………」

やっぱり恋愛感情はないのか。

「他に好きな人とかいるの?」

直後、また後頭部をゴツンとやられた。

だから痛いって。

言語で表現してほしい。

「私だって、考えたのよ。この状況を打破する方法がないか。でもどうシミュレーションしても駄目だった。支援している件についても誰か後任を探して、あたしは死んだように装って後腐れなく田舎へ行って暮らせないか考えてみたんだけどね、却ってそれが如何に不可能なことかを思い知ったわ。――私、もっと薄情な人間だと思っていたんだけどなあ」

「お城での生活って、そんなに辛いの?」

あたしの頭に額を付けたまま話すイザベラの顔を見ようと振り返ると、今度は額に頭をぶつけられた。

「前はそこまでじゃなかったけど、今は…、この先は辛いだろうな。エミリーと逢えたのは嬉しいけど、でも、エミリーはずっとここにいるわけじゃないし、ここにはいない方がいいものね」

「それはどういう」

「でも、守るから。せめてここにいる間だけでも。もうイザベラとしてはこの先会えないかもしれないけど。ここにいる間だけは…。せめて、現世ではあなたが少しでも長く生きることが出来るように…」

イザベラは、本当に辛そうに言葉を吐き出した。

「イザベラ…?」

そしてもう一度さっきの言葉を彼女に言った。

「本当に、何かあったら言ってね。愚痴だったらいくらでも聞くから」

「うん。ありがとう」

そこでようやく彼女は笑ってくれたけど、その笑顔は寂しそうだった。

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