第33話【エピローグ】
【エピローグ】
そこから先は、呆気ないものだった。
脇腹を押さえてうずくまった猪瀬に向かい、僕は猛ダッシュ。拳銃を投げ捨て、彼の側頭部を拳骨で思いっきり殴りつけた。
まあ、これも超法規的措置というやつだ。
玲菜はと言えば、恐怖心からだろう、その場で気を失っていた。猪瀬もまた、呻き声を上げながら動けないでいる。
二人が生きていること、そして命に別条がないことを確かめた僕は、振り返って三人のローゼンガールズを見遣った。皆、困惑顔を浮かべている。これから一体どうしたものだろうか。
「ん……」
僕が後頭部を掻いていると、どこからかサイレンが聞こえてきた。救急車だ。パトカーのものも混じっている。更には、上空から風切り音も響いてきた。
ああ、そうか。警備員たちが異常に気づき、ヘリでやって来たのか。
どうやら学校の警備員たちと、町の救急・警察組織との間には連携が取れていたらしい。互いに敬礼を交わし合い、状況を精査し始める。
そこで活躍したのは、やはり最年長者である実咲だった。物々しい装備をした大人たちを相手に、淡々と状況を説明した。
その背後では、猪瀬と玲菜が担架に載せられ、救急車に乗せられていくところだった。僕は玲菜の下に駆けつけたかったが、一人だけ勝手に動くわけにもいかない。何とかその場に留まった。
振り返れば、上半身だけを地上に晒しながら、完全停止したリトルボーイが見える。パトランプを反射する、厳めしい装甲板。よくもまあ、こんなデカブツを倒せたものだ。
「取り敢えず、二人共命に別状はありません。市の中央総合病院に搬送します。個室をお取りしましょう」
「了解しました。ご配慮に感謝します」
実咲が丁寧に腰を折って、救急隊員に礼をする。
僕がその姿を見つめていると、背後からぶわり、と風が吹いてきた。人員輸送ヘリが着陸したようだ。
「ローゼンガールズ諸君! 君たちは無事か!」
乗ってきた警備員が声を張り上げる。
無邪気に駆け寄っていく梅子。拳銃を拾い上げてゆっくり歩み出す香澄。そして、
「さあ行くぞ、拓海! 我輩も腹が減った!」
ドン、と僕の背中を小突く実咲。
「せ、先輩、怪我は……」
「なあに、大したことはない! が、一つ確認させてほしい」
確認? 『何でしょうか』と言って首を傾げてみせる。
「先ほど君は、我輩を呼び捨てにしたのではないか?」
「ぎっ」
奇妙な音が、僕の喉から漏れた。実咲はジト目で僕を見下ろしている。豊満な胸の下で腕を組みながら。
「す、すみません、つい……」
「追いついたな」
「は?」
追いついた?
「いやあ、君が他の二人を呼び捨てにしていたものでな。随分親しげだなー、と。ちょっと、その……羨ましかったのだ」
「へ、へえ」
暗さとパトランプの中でも、実咲の顔はやや朱に染まって見えた。
「ほ、ほら、行くぞ! お前も擦り傷くらい負ってるだろう? ちゃんと殺菌しないと危ないんだからな!」
そう言って、実咲はずんずんとヘリの方に向かって行ってしまった。
確かに一度、『実咲!』と叫んだ気がする。ううむ、それにどんな意味があるのだろう。平凡を愛する僕には、よく分からなかった。
※
日付が変わって、翌日未明。中央総合病院、集中治療室前。
この病院は規模が大きく、単に『集中治療室』といってもいくつかある。僕は二つ並んだうちの一つ、第二治療室の前のソファに座っていた。
担架がスムーズに出入りできるよう、ドアに繋がる廊下は広め。ソファは、その両側の壁に沿って配されている。
正直、第一治療室の方はどうでもいい。猪瀬が緊急手術を受けているらしいが、関心はない。
そりゃあ、猪瀬は簡単に許せる相手ではない。ローゼンガールズの三人を無用な戦いに陥れ、私利私欲、というか『私怨』で彼女たちを利用しようとした奴だ。どう考えても憎らしい。
『私怨』というのは、猪瀬のPKOでの経験のこと。確かに、戦闘行為で視覚を失ったというのは、大変ショックだったろう。だが、いや、だからこそ、彼は兵器開発に携わるべきではない。
おっと、思考の線がズレてきている。そう、猪瀬はどうでもいい、という話だ。
第二治療室にこそ、僕の注意は惹かれている。誰あろう玲菜が、そこで治療を受けているからだ。
治療前に医師に詰め寄ったところ、やはり命に別状はない、とは言われた。
しかし、拳銃で撃たれたという事実が、玲菜の心に傷を負わせた可能性は高いという。こればっかりは、どうにもならない。
「はあ……」
僕は膝の上に肘を載せ、手を組んで拳を額に当てた。
他に、この廊下には誰もいない。戦闘員三人組は、別な治療室で処置を受けている。
梅子も香澄も実咲も、重傷には見えなかった。だが、素人考えで判断するわけにはいかない。
その判断までをも含めて『治療』と呼ぶのだろうから、今は医師に任せるべきだ。僕はそう自分に言い聞かせた。
どのくらい時間が経ったのかは分からない。ものが動く気配を感じて、僕は顔を上げた。
第二治療室のドアがスライドしたのだ。担架に乗せられた玲菜の姿が見える。だが、それは一瞬だ。
駆け寄ろうとした僕を、医師がやんわりと押し留めた。
「せ、先生、玲菜は? 大丈夫ですか?」
「ああ、心配は要らないよ」
マスクの上の目を優しく細めながら、医師は言った。
「ただ、さっきも言ったように、心の傷の方が気になるところでね。鎮静剤を打ったから、目覚めるまでまだ時間がかかるだろう」
「は、はあ」
僕は医師から目を逸らし、担架で運ばれていく玲菜を見送った。
※
はっとして顔を上げると、そこは別な場所だった。もちろん、ワープしたわけではない。
手術室ではなく、入院患者用の個室の前で、僕は先ほどと同じポーズで座っていた。一つ違うのは、そばに紙の束が置かれていること。ちょっとしたメモだ。
玲菜が集中治療室を出てから、すぐに僕は話を聞かれることとなった。主に、高校の警備主任と刑事数名。合わせて二、三回は同じ話を繰り返しただろうか。まあ、一番の軽傷者が僕なのだから、そのくらいの手間は仕方ない。
その聴取の中で、僕はいくつかの質問を許された。これまた超法規的措置だそうだ。
誰かが事実を玲菜に伝えなければならない、であれば、同級生の口から教えた方がよい、という判断もあったのだろう。
そこで判明した事実を書き留めたのが、件のメモというわけだ。
何をどういう順番で玲菜に伝えようか。軽く包帯を巻かれた自分の両手でメモを取り上げた、その時だった。
「平田拓海さん?」
優しい女性の声がした。顔を上げると、玲菜を担当している看護師がこちらを見下ろしていた。穏やかな笑みを浮かべている。
「気持ちは落ち着いた?」
「ええ、多分……」
僕は俯き、自分の脳みそを回転させる。うむ。オーバーヒートはしていないようだ。
「小原玲菜さん、意識が戻ったわ。いろいろ知りたがってるみたいだったから、あなたから説明してあげて」
「あっ、はい」
笑顔のままこくりと頷いて、看護師は去っていった。
僕の胸中は、意外なほど落ち着いていた。玲菜が無事だと分かったら、もっと狂喜乱舞するかと思ったのに。
やはり、彼女に事実を伝える人間としての自覚が、僕の心を静めているようだった。『君の父親は犯罪者だったんだ』と、明確に告げなければならない。
リノリウムののっぺりとした床面を見下ろし、僕は自分の頬を叩いて、気合いを入れた。
コンコン、と軽くノックをする。玲菜が声を上げるのは大変だろうから、僕は無礼を承知で、勝手にドアを引き開けた。
「あっ、拓海くん」
「玲菜……。大丈夫なの?」
こくん、と頷く玲菜。彼女は既にベッドから上半身を起こしていた。まあ、怪我をしたのは足なのだから、大丈夫といえば大丈夫なのだろう。
僕がベッドに歩み寄ろうとすると、玲菜は真っ直ぐ僕を見つめ、言った。
「猪瀬理事長……私のお父さんは、犯罪者なんだね」
ドキリ、と心臓が跳ね上がった。
玲菜の目には、親に裏切られたという悲壮感がありありと浮かんでいる。僕はすっと息を吸って、
「ああ、そうだよ」
と告げた。今ここで僕が言葉を濁したら、逆に玲菜の意志、現実を受け入れようという覚悟を潰してしまいかねない。そう思ったのだ。
「やっぱり、あれだけのことをしたんだものね」
玲菜は焦点の合わない目で、ぽつりと呟いた。
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