第23話
※
「ん……」
どうやら僕は、またもや気を失っていたらしい。あの鼻にへばり付くような甘い異臭が僅かに漂っている。ということは、僕たちはまだ現場にいるのか。薬品工場跡地の地下に。
そこから、僕の覚醒は早かった。あたりが静まり返っていることから、既に危険はないものと考える。だが不思議なのは、自分の後頭部が柔らかい何かに載せられている、ということだ。
あの激闘を繰り広げた場所に、枕やクッションが配されているとは思えないが。
すると、僕の頭上から声がした。
「気づいたか、拓海」
実咲の声だ。まだ援軍は到着していないのか。
「先輩……?」
「突然お前が倒れたのでな。その……ひ、膝枕というやつをやってみたのだ」
「ほえ?」
間抜けな声が、僕の喉を震わせた。膝枕、だって? 僕が、あの実咲に膝枕してもらっていると?
「あっ、す、すみません! すぐにどきます!」
そう言って、慌てて立ち上がろうとした。それが、いけなかった。
僕の掌に、柔らかい何かが綺麗に収まったのだ。ぽむ、と。
「ひゃん!」
「うわっ!」
いつになく可愛らしい声を上げて、座ったまま飛び退く実咲。この期に及んで、僕はようやく察した。自分が実咲の胸に触れてしまった、否、鷲掴みにしてしまったことに。
「うわあああああ⁉」
僕は背後からすっ転び、一転、二転。
もし、実咲の逆鱗に触れてしまったとしたら、間違いなく命はない。だが、実咲は僕を斬ろうとはしなかった。
竹刀を手にはしたものの、そこに殺気はない。くるくると手元で弄び、しかしやや息を荒くして、気持ちを落ち着かせようとしているようだ。
「ん……まあいい。いや、よくはないような気もするが……時に、平田拓海」
「は、ははははい!」
「梅子や香澄には聞いたんだな? どんなきっかけで、彼女たちが異能の力を手にしたのか」
すべてを見通すような目に、僕は姿勢を正し、『はい』と短く答えた。
単に話題を変えようとしているのではない。何らかの覚悟を以て、実咲が会話の主導権を握ったのは明らかだ。
「我輩もな、きちんと説明しようと思うのだ。君だけが我輩の過去を知らないのは、フェアではない」
やはり、そうきたか。だが、次に実咲の口から発せられた言葉は、僕の想像を絶するものだった。
「我輩は、自殺しようとしていたのだ」
「ッ⁉」
僕は瞬間的に、喉が締め付けられるような感覚に陥った。
どうしてそんなことを? そう思ったものの、声にならない。ショックが大きすぎる。
そんな僕の顔が滑稽だったのか、実咲は自嘲気味な苦笑を浮かべた。
「中学一年の頃だ。剣道の練習試合で、相手を殺しかけた。その償いをしようと思ってな」
「そ、それは……」
実咲は皆の尊敬を一身に集める、カリスマ的存在だ。そんな彼女が、人を殺しかけた?
「そんなに無礼な奴が相手だったんですか?」
「まさか!」
そんなわけがないだろう、と実咲。
「相手は我輩の幼馴染だ。小学校の頃から同じ道場に通っていてな、女流のプロ剣士を目指して切磋琢磨していた。全ては、我輩のせいだ」
実咲はふっと視線をずらし、崩壊した壁面の向こう側の、さらに遠くを見通すような目をした。
「学生同士の試合で、相手の喉を突くのは禁止されている。あまりに危険だからだ」
「まさか、先輩はそれを……?」
馬鹿な。生徒会長として、誠実に職務にあたっている実咲。そんな彼女が、こともあろうに剣道に対して誠実でないことなどあり得るだろうか。
つと視線をずらし、虚空に漂わせながら実咲は続ける。
「あいつなら……彼女なら避けられる。そう思った我輩が馬鹿だった。我輩の繰り出した刺突は、見事に決まってしまった」
僕はそっと、実咲の顔色を窺う。玲菜のお陰で電力が復旧し、室内は明るかったが、いや、だからこそ、実咲の顔が蒼白であることがよく分かってしまった。
「それで、その、先輩のお友達は……?」
「首から下が……動かない」
そう言って、実咲は唇を噛みしめた。『治る見込みがない』ということは、実咲の苦し気な表情から伝わってくる。
それを気に病んで、実咲は死のうとしたのか。どうやって、などと聞きたくはないので、黙って彼女の語りを拝聴することにする。
「彼女の理想は、我輩よりもずっと高かった。中体連でもインターハイで優勝し、オリンピックに出たいとまで言っていた。それが、わ、私のせいで……」
それ以降の言葉を紡ぐことができない実咲。彼女の言動を見聞きして、僕は自分の心臓が捻り潰されるような錯覚に囚われた。
自らを『我輩』を呼び、中二病っぽさを残していた実咲。そんな彼女が、僕の前で初めて自分を『私』と呼んだ。それから血が滲むほど唇を噛みしめ、あろうことか目に涙を浮かべている。
僕はこの時ほど、自分の無力さを痛感したことはなかった。
ローゼンガールズの皆の中でも、抜群の戦闘能力を誇る実咲。そんな彼女の心が、残酷な現実の前に打ち砕かれようとしている。
それなのに僕ときたら、励ましの言葉一つかけられない。一体どうしろと言うんだ?
体育座りになり、自分の膝に顔を押し当てて鼻をすする実咲。彼女はその姿勢のまま、言葉を続けた。
「さっきはすまなかった。君が私の竹刀に触れたことを責めてしまって。だが、これは私にとっての戒めなんだ。親友の人生を奪った竹刀を使う。そんな罪深い行為をするのは、私だけでいい。竹刀を握る時、必ず彼女のことを思い、冷静でいられるように、私はこの竹刀だけを使って戦ってきたんだ」
『いや、私が使用を許されるのは、この竹刀だけだ』。実咲はそんな意味のことを言った。実際は、声がくぐもってよく聞こえなかったのだけれど。
その時、実咲の方から通信端末の着信音が響いた。だが、今の実咲にまともな会話ができるとは思えない。
「先輩、端末お借りします」
そう言うと、実咲はすぐに端末を取り出し、僕に手渡してくれた。無言で受け取り、『応答』ボタンを押す。
「はい、拓海です」
《あれ、お兄ちゃん? 実咲ちゃんじゃないの? まあいいや。あたしと香澄ちゃんは現場に着いたから、今から二人を救助しに行くね》
「ああ、よろしく頼む、梅子」
そう言って通話を切ると、実咲は立ち上がって、ハンカチを取り出した。彼女が自分の過去を、他のローゼンガールズのメンバーにどう話したかは分からない。だが、泣き腫らした目をしていては、顔を合わせづらいだろう。
実咲はそっとハンカチを目に押し当て、深いため息をついた。
「……すまない、拓海。今の、その……。わ、我輩が泣いてしまったことは、二人には黙っていてくれ」
「ええ。そのつもりでしたよ」
僕が気楽に肩を竦めてみせると、実咲もまた、僅かに頬を緩めた。
「実は、男性にこの話をしたのは初めてなんだ。情けないと思うか?」
「いっ、いえ! 別に僕は――」
そう言って視線を逸らした直後。むぎゅ、という擬音が似合いそうな柔らかい感覚が、僕の肩に押しつけられた。
「ちょ、実咲先輩⁉」
「ありがとう。随分気が楽になった」
しっかりと僕の背後に回される実咲の両腕。流石に抱き締め返すだけの度胸は、僕にはなかったが。
※
翌日の放課後、理事長室にて。
「いやあ~、昨日は面倒をかけたな、梅子、香澄!」
快活にそう語るのは、他でもない実咲である。
「あっ、いえ! 困った時はお互い様ですよ!」
明るく答える梅子に、『うっす』とだけ答える香澄。
事実、二人に面倒をかけるほどのことはなかった。ドーベルマンは大方行動不能だったし、有毒ガスも人体に影響が出ないほどに薄まっていた。
僕と実咲の二人で脱出することもできたかもしれないが、まあ、念のためということで、梅子と香澄が参上してくれたわけだ。
「では、本日の作戦会議を始めます。大河原実咲さん、平田拓海くん、概要を」
「えーっと、我輩たちが突入した時のことだが――」
いつも通り、玲菜が進行役を務める。
実咲の語りは実に見事だった。要点を押さえつつ、細大漏らさず語って聞かせる。実際、僕の出番はなかった。
実咲が話し終えると、じっと耳を傾けていた猪瀬が両腕を広げ、パチパチと賑やかな拍手を始めた。
「ブラボー! よくやってくれたな、諸君! これで、市街地の緊急通信を阻害していた通信妨害装置は全て破壊できた! 間違いないな、玲菜くん?」
「はい。理事長の仰る通りです」
「しかし――」
猪瀬はにこやかな表情を崩さずに、言葉を続けた。
「実は、君たちローゼンガールズのメンバーに、尋ねておきたいことがあってな……」
「尋ねたいこと?」
梅子が好奇心で目を輝かせながら、猪瀬の方へ身を乗り出す。
「一般生徒が近くにいると、やや話しづらいのだ。お手数だが、今から三時間後、午後八時に校庭に集合してもらえんかね? 見てもらいたいものがある」
「そ、それってご褒美ですか⁉」
「おい、梅子」
香澄に冷たく窘められて、顔を引っ込める梅子。
「まあ、君たちにもゆっくり考えてほしい案件なのだ。必ず三人、それに拓海くんを含めた四人で集まってもらいたい。よろしいか?」
誰も異を唱えない。僕とて、これ以上危険な目には遭わないだろう。他三人を見回してから、僕も大きく頷いてみせた。
その時、玲菜がふっと目を逸らしたように見えた。気のせいだろうか? だといいんだが。
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