第21話


         ※


 建物の外面は、意外としっかりしたものだった。

 通電設備も生きているらしい。先行した実咲がパスカードでメインエントランスのスライドドアを開錠したのが見えた。


「ここからは敵地だぞ、拓海。我輩の背後を離れるな」

「はっ、はい」


 こちらに背を向けながら、すっと竹刀を引き抜く実咲。するりと開いたガラス張りのドアを抜けて、周囲に注意を向ける。まるで自身が索敵レーダーになったかのようだ。


「先輩、やっぱり玲菜の言う通りです。通信妨害装置は地下の研究設備にあるようです」

「……」

「先輩?」


 すると実咲は、さっとこちらに腕を差し出した。


「地下から殺気がするな。待ち伏せされてる。階段もエレベーターも使わない方がいい。ちょっと荒っぽいが、ついて来い」


 僕が了解の意を表する前に、ヴン、と竹刀が真っ赤な光を帯びる。右手に竹刀を握らせた実咲は、左腕を伸ばして僕の手を取った。


「な、何ですか?」


 答える間もなく、実咲は勢いよく竹刀を床に着き立てた。そのままぐるり、と一回転。

 これって、まさか。


「足元に気をつけろ!」

「わわっ!」


 僕の心の準備が整う前に、ふっと身体が浮いた。実咲と僕を中心に、床がずん、と落ちる。円形に切り取られた床面にひざまずくようにして、僕と実咲は地下一階に降り立った。


 突然の出来事に狼狽えたらしく、殺気の主たちはささっ、と距離を取った。

 非常電源の赤色灯で照らされた、殺気の主たち。それは、軍用犬としても知られるドーベルマンだった。


 そう言えば、聞いたことがある。海外の研究所では、情報漏洩を警戒し、夜間警備にドーベルマンを放し飼いにしているとか。もちろん、屋外でのことだが。

 そんな連中の意表を突いたのだから、奇襲としては大成功だろう。


「はあっ!」


 実咲は床を蹴って、前方へとステップを踏んだ。そのままドーベルマンに、一見無防備にも見える体勢で突撃する。すると、二、三頭のドーベルマンが、一気に弾き飛ばされた。

 実咲が横薙ぎに竹刀を振るったのだ。それでも出血は見られない。遊園地で遭遇した鳩たち同様、動物たちに罪はない。実咲もそれを分かっているのだ。


 ドーベルマンは泡を吹き、痙攣しながら倒れ込む。

 それよりも、僕の目を惹いたのは、ドーベルマンが背負っている白い箱状の物体だ。それはチューブでドーベルマンたちの口に咥えられ、鼻と口を覆っている。


 そうか。有毒ガスが使われる恐れがある以上、彼らにもまた、その対策が講じられていたということか。

 もちろんその代償として、彼らは噛みつくことはできない。だが、尋常ならざる脚力と、前足の爪は依然として脅威である。


 実咲はバックステップで僕のそばに戻ってきた。汗一つかいていない。だが、敵の数が問題だ。赤黒い赤色灯の下でも、それなりの頭数のドーベルマンがいるのは把握できる。


「先輩、ここで戦うのは不利です! どこか広いスペースに退きましょう!」

「いい判断だ、拓海!」


 僕は実咲の肩を叩き、反対側を指差した。


「こっちか!」

「はい! 電力供給ユニットルーム! 十分な広さがあります!」

「行くぞ!」


 勢いよく振り返った実咲は、警戒して安易な接近ができずにいるドーベルマンたちに接敵。気絶させるべく頭部に一閃をくれながら、同時に駆け出した。


 一旦包囲網から抜け出した僕たちは、実咲が先鋒を、僕がナビゲーターを務める形で、素早く電力ルームへ向かった。

 廊下を折れること、数回。


「見えた!」


 実咲が叫ぶ。


「拓海、お前が先に行け! 我輩が犬たちの相手をする!」

「先輩はどうするんです⁉」

「出入口のそばに、非常用シャッターのスイッチがあるはずだ! 我輩が犬たちを遠ざけておくから、すぐに閉鎖しろ! 我輩はそれを確認してから滑り込む!」


 そんな、あまりにも無茶だ。もし廊下に取り残されたら? 非常用シャッターに挟まれたら? 

 しかし、そんなことを考えている暇はなかった。実咲はつんのめるようにして立ち止まり、僕を先行させる。振り返りざまに、横薙ぎに振るわれた竹刀がドーベルマンたちを弾き飛ばす。


「急げ!」


 切羽詰まった叫びに背を押され、僕は足がもつれそうになりながらも、電力ルームに走り込んだ。


 どうやら、警備役のドーベルマンがうろついていたのは廊下だけだったようだ。さっと電力ルームを見渡し、危険がないことを確かめる。

 振り返ると、シャッターわきの壁面に『非常封鎖』の文字があった。ガラス状の透明な箱が固定されていて、その内側に赤いボタンが備え付けてある。


「でやっ!」


 僕は肘打ちでガラス箱を破壊し、ボタンに手を当てた。あとは実咲が滑り込んできてくれれば、ここを封鎖してドーベルマンから逃れられる。


 部屋の出入口から顔を出し、実咲の方を見遣る。しかし、僕は慌てて顔を引っ込めることになった。


「うっ!」


 竹刀が吹っ飛んできたのだ。再度廊下に視線を飛ばすと、得物を失った実咲がじりじりと後退するところだった。

 こちらに背を向け、ゆっくりと出入口に近づいて来てはいる。しかし、いつドーベルマンに跳びかかられてもおかしくない距離だ。


 何だ? 何かないか? 実咲を後退させて、出入口に安全に誘導する手段は?

 その時、赤色灯を反射する筒状の物体が目に入った。消火器だ。それに、足元には実咲の竹刀が滑ってきていいる。

 この二つを駆使して、何かできないか。


 ええい、こうなったらやけっぱちだ。僕は竹刀を握りしめ、実咲の下へダッシュ。

 

「拓海⁉」

「はあっ!」


 僕がこんな行動に出るとは思わなかったのだろう。実咲は呆気に取られている。隙を見せた実咲に迫るドーベルマンの一匹を、僕は勢いよく殴打した。ガウッ、と短い悲鳴を上げて、ドーベルマンは飛びすさる。

 再び登場した竹刀を前に、ドーベルマンたちは警戒心を新たにした。少なくとも、すぐに跳びかかるつもりはないようだ。


「ここは僕が引き受けます。先輩は、出入口そばの消火器を使って、こいつらの目くらましを!」

「お、お前はどうする?」

「こいつらが消火器で怯んだら、隙を見てすぐに電力ルームに入ります!」


 本当なら、実咲に竹刀を返してやるべきなのだろう。だが、僕はそうしなかった。実咲の体力や異能力だって有限なのだ。だったら、まだ体力のある僕が前線に立つべきではないのか。


「先輩、急いで!」

「りょ、了解!」


 今はそれでいい。これから何があるのか分からないのだから、実咲には体力を温存しておいてもらおう。


 マスクと口の隙間から涎を垂らしながら、僕を睨みつけるドーベルマンたち。

 この均衡状態は、きっと十秒にも満たなかったはずだ。しかし、僕の体感時間では、十分にも一時間にも感じられた。


 先頭にいた一頭が、後ろ足に力を込めるのが見て取れた。もちろん、僕が満足に竹刀を振るえるはずがない。

 その前足と爪を見て、ああ、あれが僕を殺すのだなとぼんやり考えた。


 そんな僕の意識を引き戻したのは、実咲の切れ味鋭い声だった。


「拓海、下がれ!」

「ッ!」


 ぷしゅううう、と、白煙が背後から勢いよく噴出した。ドーベルマンたちもまた、流石に後退を余儀なくされる。いや、本能的に避けたのか。

 僕は踵を返し、実咲の待つ電力ルームへと猛ダッシュ。最後はスライディングを決めてみせた。実咲は空になったらしい消火器を廊下へと放り投げ、勢いよくボタンを押し込む。


 がらがらがらがらっ、と音を立てて、上からシャッターが下りてくる。僕は慌てて竹刀を室内に引っ張り込み、立ち上がった。間に合ったのだ。


「ふう……」


 しかし息をついた直後、僕はいきなり肩をどつかれ、横転した。


「ぐわっ! な、何するんですか、先輩!」

「その竹刀は我輩のものだッ!」

「え?」


 そんなことは分かっている。だからこうして回収したんだろうに。

 礼の言葉もなく、僕から竹刀をもぎ取る実咲。


「ど、どうしたんですか、突然?」

「何でもない! これは我輩の専用武器だ。他の誰にも触らせるわけにはいかんのだ!」


 声を荒げたまま、背中に竹刀を戻して電力ルームの中央へと歩みを進めていく。

 何だか、彼女らしくない。いつも余裕で、悠然と構えていた大河原実咲とは、人が変わってしまったかのようだ。それほどに、その竹刀が大切なのか。


 電力ルームは、予想以上にがらんとしていた。僕たちが駆け込もうとしている出入口の反対側に、いろんなボタンやレバーのついた操作盤がある。

 さてここからどう動いたものか。それを考え始めた、次の瞬間だった。

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