第10話

「どわっ! ぐおっ! ひいっ!」


 短い悲鳴を連発しながら、僕はのろのろと辺りを駆けずり回った。その合間にも、梅子の気合いのこもった掛け声が響く。


「はっ! ふっ! でやっ!」


 次々に木の枝が叩き折られ、下草に落下するガサガサという音が聞こえてくる。メリケンサックの調子は良好らしい。

 スライムはといえば、僕と梅子の両方を追っている。しかし、動きはだんだん遅くなってきていた。日光に晒される表面積が増えて、身体が壊死しつつあるのだろう。


「はあああああああっ!」


 一際キレのある声を上げ、梅子は木から跳び下りた。

 次に轟いたのは、雷鳴が雲を裂くような鋭い音。そして、硬い物体が破砕される鈍い打撃音だ。


 がぁん! という響きと共に、スライムは身体の半分を失った。まだ全身が石化したわけではないが、明らかに攻撃速度は落ちた。かなりのダメージを被ったのだろう。


 しかし、スライムも馬鹿ではなかった。すぱっと切れ目が走ったかと思うと、そこから分裂したのだ。残った身体を二分させたことになる。

 僕は敢えてスライムの片割れに近づいた。単に逃げ回るだけでは、スライムを日の元に誘き出すことはできない。多少のリスクは負わなければ。


「おっと!」


 よろめきながらも、僕はスライムから見て斜めに駆け抜ける。スライムは一瞬身を縮め、がばっ、と跳躍して迫ってきた。


「かかったぞ、梅子!」


 僕が叫ぶと、スライムの後方から梅子が接近。勢いをそのままに、思いっきり腕を振りかぶった。


「であああっ!」


 僕の眼前で、スライムはあっという間に石化した。容赦なく叩き込まれる、梅子のメリケンサック。しゃがみ込んだ僕に触れることも叶わず、スライムはガラガラと音を立てて砕け散った。


「あともう少しだな!」

「うん!」


 梅子は振り返り、僅かに残った木陰で震えるスライムを見遣った。パキパキと指を鳴らしている。流石にちょっと、怖いんですけど。


 しかし、スライムも諦めが悪かった。自分が石化してしまうことを覚悟したのか、一本の槍状になったのだ。特攻する気か。

 スライムは、背後の大木に足をつくようにして、自らをこちらに跳ね飛ばす。あっさりこれを回避する梅子。


 だが、僕たちはすっかり油断していた。スライムはぼとり、と地面に落ちたものの、そこで狙いを変えたのだ。無防備な僕に向かって。


「ッ! お兄ちゃん!」

「がはっ!」


 スライムは文字通り、一矢報いてみせた。僕を串刺しにしたのだ。


「お兄ちゃんっ‼」


 背中から腹部にまで走る衝撃に、ばったりと倒れ込む僕。意識が遠のく。梅子の声が、だんだん小さくなっていく。そのまま視界が暗くなって――。


 が、またしても僕は存命だった。

 うつ伏せに倒れた僕。うつ伏せということは、背後から槍で突かれたことになる。と、いうことは。


「あれ? お兄ちゃん、大丈夫……?」

「あ、ああ」


 槍は、僕の背中に到達しなかった。背負っていた電波妨害装置が、偶然にも盾となったのだ。ぷしゅん、と可愛らしい音を立てて、装置は煙を上げ始めた。


「あ、あちっ」


 慌てて装置を放り出し、山火事にならないよう、水筒の水をかける僕。


「なあ梅子、これ、爆発したりしないよな?」

「……」

「梅子?」


 立ち上がり、振り返った僕は、しかし無理やり視線を捻じ曲げられた。今度は思いっきり仰向けに転倒する。っていうか、串刺しにされかけた時より勢いよくぶっ飛んだのはどうしてなのか。


「馬鹿っ!」

「な、え?」


 取り敢えず、状況を確認しよう。目の前には、完全に石化して粉々になったスライムの残骸が散らばっている。

 そこに立っているのは梅子だ。メリケンサックを装備していない、左腕を振りかぶった姿勢で、息を荒げている。

 なるほど、僕は梅子に殴り飛ばされたらしい。じぃん、と右の頬が熱を帯びている。痛みを感知するとともに、こりゃ腫れそうだな、などと考える。


 梅子は僕と視線を合わせ、件の電波妨害装置のように、頭頂部から煙を上げていた。


「あのー、木村梅子、さん?」


 腕を下ろし、ぶるぶると拳を震わせる梅子。その目には、溢れんばかりに涙が溜まっていた。


「もしかして、激おこ状態でいらっしゃいますか?」


 頬を引き攣らせながら、僕は尋ねてみた。するとあろうことか、梅子はずんずんと僕に近づいてくるではないか。


「ちょ、ちょっと待て! 気に障ることをしたんなら謝るよ! だからもう暴力沙汰は勘弁してくれ!」


 へたり込んだ僕の前にひざまずく梅子。ヤバい。また殴られる。

 僕が歯を食いしばり、ぎゅっと目を閉じた次の瞬間、右頬に再び衝撃が走った。しかし、


「いたっ!」


 と、言ってはみたものの、大した痛みではない。そっと指先で触れられているような感じだ。ゆっくり目を開けてみたのと、梅子が抱き着いてきたのは同時だった。


「お、お兄ちゃんの馬鹿ぁ! あんなに刺されて、あんな声出して、あんな無様に倒れ込んで……。死んじゃったと思ったじゃない!」


『そうなのか?』と尋ねる余裕はない。僕の胸に顔を押し付け、わんわん泣き喚く幼馴染。ひとまず、彼女を安心させるのが、僕にとっての最重要任務のようだ。


「いや、あれは、その……」


 すると梅子は、がばりと顔を上げた。怒り心頭、汗と涙で滅茶苦茶だが、何故か僕は、そんな顔をする梅子を前に、心臓が飛び跳ねるのを感じた。


「僕は、まあ、大丈夫だよ」

「……本当?」


 こくこくと頷いてみせる。それから梅子は、再び泣き始めた。

 結局僕は、彼女が落ち着くまで頭を撫でてやることしかできなかった。


         ※


 下山したのは、ちょうど正午頃だった。

 残念ながら、今のところ食糧は装備していない。僕も梅子も、水分補給には気をつけていたが、流石に弁当は持って来なかった。仕方ない。持って来ていたとしても、飛んだり跳ねたりで中身はぐしゃぐしゃになっていただろうから。


 僕は山道を下りきったところで、再びタクシーを呼んだ。木陰に入り、梅子の頭に手を載せてやる。

 梅子はもう泣いてはいなかったが、何だか話しかけづらい雰囲気を漂わせてる。ううむ、不肖この平田拓海、女心を察するには修行が足りない模様でござる。


「お待ちどうさま~。ってあれぇ? さっきの兄ちゃんたちでねぇかい!」

「あ」


 何の偶然か、そのタクシーの運転手は、先ほど僕たちを運んでくれたあのおっちゃんだった。向こうも驚いて素が出たらしく、標準語ではなく田舎弁になっている。


「ど、どうも」

「なんだい、あんちゃんら仲違いでもしたか? ほれ嬢ちゃん、これ使いな」


 おっちゃんはポケットティッシュを一つ、梅子に手渡した。梅子は勢いよく鼻をすすりながら、『ありがとうございます』と思しき感謝の言葉を述べた。


「さ、乗った乗った!」


 後部座席のドアが開き、人工冷気が僕たちを車内へいざなう。先に梅子を乗せてやり、続いて僕が座席に腰を下ろす。シートベルトを締めると同時に、タクシーは出発した。


「にしても、何があったんじゃけ、あんちゃん?」

「え?」

「せっかくワシが駆け落ちの片棒担いでやったに、もう戻る気なんけ?」


 どこのものとも知れぬ方言で、おっちゃんは問うてくる。


「だ、だから駆け落ちじゃありませんよ!」

「そだこと言ってっと! だーから嬢ちゃんのこと泣かせたんだべ?」

「違います! 僕たちは――」


 と言いかけて、梅子に思いっきり足を踏まれた。


「いてっ! 何すんだよ?」


 梅子の言いたいことは分かった。ローゼンガールズの任務は、秘密裡に遂行されなければならない。ここで僕がおっちゃんに、『スライムと戦ってました!』などと言ったら大問題だ。

 しかしそれ以上に、梅子がぷいっと顔を逸らしてしまったのは何故なのか? それが気になった。


「まあまあ、こういうのは互いの気持ちが大事じゃけ、焦ることはなか! 自分たちにしか歩めない将来、未来っちゅうんか? ゆっくり探していったらええ」


 はっはっは! と快活に笑うおっちゃん。何だか凄くカッコいいことを言っていたような気がする。いや、それこそ気のせいか?

 僕が俯くと、おっちゃんも余計な口を挟むべきではないと判断したらしい。そのままタクシーは田園地帯を抜け、住宅街の一角、木村家の前に停車した。


「ほんじゃま、気張ってな、あんちゃん! 嬢ちゃんに悪い虫がつかへんように、注意しいや! はっはっは!」


 そのまま颯爽と走り去るタクシー。


「何だったんだ、あのおっちゃん……?」


 呆然として見送る僕の背中に、軽い鈍痛が走った。


「どうした、梅子?」

「今日は解散。明日の放課後、香澄ちゃんと一緒に理事長室に来て」


 そう言って、梅子はさっさと歩きだし、『ただいまー』と言いながら玄関扉の向こうに消えた。

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