第4話 スロースターターは柔らかに笑む
沙夜ちゃんと肌を重ねて眠るのが好きだ。
いつでも少し冷たくって、すべすべとした腕が私の肩口に触れて、なんだか神秘的な生き物の隣にいる気持ちになる。
でも沙夜ちゃんは当たり前だけれども、神さまでもないし、ましてや妖精なんかでもなく、ただの人間なのだ。
ただ少し、美しいだけの。
芸術品みたいな背骨をなぞると、抱き締め返して欲しくなってしまう。喉奥からせり上がった声を殺して欲しくてキスをねだった。けれど彼女はいつもこういう時、唇を三日月形に引き上げてにっこり笑うだけなのだ。
それは今回も例外ではなく。
ばくばくと鳴る心臓を、沙夜ちゃんの同じ場所にぎゅっと押し付ける。邪魔だとばかりにやんわり解かれた手が少し寂しくて、誤魔化すように指を食む。私をあやすように口付けられた額が熱くて溶けそうだった。熱を孕んだ細い指が私の身体のあちこちに触れる。上気した頬、鋭い視線に焼かれそうだ。私も沙夜ちゃんもお互いしか見えていない。
沙夜ちゃんに触られた後、私はうんと寂しくなる。寂しいという感情の中に浮き輪も持たされずに投げ出されたみたいな感覚。
だから、私の中の感情はいつも忙しい。
もっと近くに来て。来ないで。たくさん触れて。やっぱり触らないで。
まあ結局ぐるぐる回る心に飲み込まれて、最後はわからなくなってしまうのだけれども。
気持ちのいいことは好きで、それは別に男の人だとか女の人だとか私の中であまり重要じゃない。ただ、肌をくっつけて眠るだけでは足りなくて、胸の奥がほんのりすうすうする感覚はいつからか当たり前になってしまった。好きなのに、好きだから隣で眠ることを選ぶのに。そんなだから私は失敗ばかりする。
でも沙夜ちゃんはなにかが違った。
沙夜ちゃんの隣で眠った後は、すうすうどころじゃなくもっと深いところまで、寂しいがいっぱいいっぱいに浸食してくる気がするのだ。
絵を描いているとき、ご飯を食べているとき、ベッドに一人きりの時。そろりと忍び寄ってきたそれは、私に簡単に入り込んで、心をすかすかにする。早くて三十分、遅くて一時間。そのすかすかに取り込まれてしまうと私は彼女に抱き締めてほしくて仕方なくなる。
抱き締めて、唇を合わせて、寂しいが入り込む隙間もないほどぴったりくっついていたくて。
それはいつからだったのだろう。はじめはいつもと同じだったのに。
ああ、わからなくなる。
ぐわぐわと沸騰しそうな頭でここまで考えられただけ、自分を褒めてあげることにする。
「葵、あおい」
何度も柔い声が響いて、頬をしっとりとした感触が這った。
「さ、よちゃ…… 私寝ちゃった?」
それは沙夜ちゃんの手だった。長く、ふっくらとした白い指。
「眠ってて」
答えにもなってない返事のままに、少し持ち上げた目蓋を下ろす。汗をかいていたはずの額はサラサラで、身に付けていなかった下着はきちんと着せられている感覚がした。きっと上下は揃いのものだ。
ぼやけた視界の中で、沙夜ちゃんは笑っていた気がする。まろく、優しすぎる眼差しをして。
恋はいつか終わりが来るものだ。
愛は形が変わってゆくものだ。
そんなことは知っている。
そんなことは、周りの子たちよりも早く、ずっと前からずっとずっと前からわかっていたはずなのに。
いつからこんな特別になっちゃったんだろう。
「沙夜ちゃん」
「なあに」
凛とした声はもう、熱の篭っていない音だった。それは静かで、空気によく馴染む。
「私、沙夜ちゃんがいないとだめかも」
暗闇に落ちた声は、なんとも甘えた音だった。自分でも情けないほど、甘ったるくてどろりとしている。
「そう」
元より淡い返事は期待してなかったけれど。
あまりにもいつも通りの平坦な相槌が悔しくて、ごろんと沙夜ちゃんの方を振り向いた。キスの一つでもしてやろうと思ったのだ。
「…………へ?」
けれどそれは為されずに終わる。
振り向いて、掴んだキャミソール。顔を上げたその先には。
「なんでこっち向くの………!」
とびきり熟れた彼女の耳が見えていた。
慌てて伏せられた顔をそろりと覗き込む。さっきまでの熱を閉じ込めたような瞳と目が合う。耳と同じ色の頬。暗闇の中にも溶けきれない色だ。
一つ違うことと言えば、彼女が私を睨んでいることぐらいだろうか。
私はぽかんと開いた口を慌てて閉じる。
ふーん、なんだ。そういうこと?……ふうん。…………なーんだ。
「ねえ、私ずっと沙夜ちゃんと一緒に居たいなあ」
それはただ率直な今の私の気持ちだった。過去も、見えない未来も関係ない、今の。
「……わかったから、もう寝て」
もう素っ気ない返事は気にならない。
くふくふとこみ上げてくる笑いは隠さないことにして、私は首元まで布団を引っ張り上げる。さらさらとした生地が肌に心地いい。
スマホで時間を確認したら、とっくに日付は変わっていた。
こうしてまた今日が来るんだな。
なんて、当たり前のことを思ったりなんかする。当たり前で、特別で、どこにでもある、そんなことを。
「おやすみ、沙夜ちゃん」
キスは明日までお預けとすることにした。
明日は沙夜ちゃんより少し早く起きて、それから沙夜ちゃんの好きなトーストを焼こう。はちみつバターがたっぷり染みた、かりっとしたトーストだ。
自然に浮かんでくる笑みはもう布団の下に隠して、ぎゅっと細い腰に腕を絡める。
一瞬びくりと跳ねたそれはすぐに腕に馴染んでいった。ゆっくりと落ちてくる眠気に身を委ねる。存外独占欲が滲み出た自分の言葉が今更脳内に蘇った。
私はひどく愉快な気分でいっぱいになる。
隣で眠る彼女も、同じ気持ちだといいなと微睡の中、そう思った。
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