10話目 中編 アナザーシステム


「あ……う……」

「か……さん……」


 ダンジョンのボス部屋、その中でマルスとルフィスはその場で立ち尽くしていた。

 マルスが最初に推測したことは合っていたのだ。

 九尾からの精神的な攻撃、幻術を二人は見せられている。

 しかしそれは脳に直接働きかけ、記憶さえあやふやにして現実との境目をわからなくしてしまうという恐ろしいものだった。

 マルスは母との幸せな記憶を、そしてルフィスもまた己の記憶にある幸せな場面を切り抜かれ見させられていた。

 人間は誰であろうと幸せを感じていたいと思うものである。

 特に、今となっては手に入らないものであれば尚更。

 マルスは今は亡き母との再開、ルフィスは拒絶され続けていた家族との抱擁を。

 二人にとってそれぞれ甘く、幸せで、残酷な夢を見せられていた。

 夢を夢とも思わせない術中に嵌ってしまっているマルスたち二人に、九尾だった女性がゆっくりと近付いていく。

 彼女が持つ尻尾の一本一本それぞれが意志を持つ生き物のように「キュルルルルル」と鳴き声に似た音を出し、先端を尖らせてマルスとルフィスに向ける。

 そうして女性は殺意の篭った笑みを浮かべる。


「おい、待てよ」


 マルスたちは為す術もなく殺される……そんな状況で九尾に声をかけた人物がいた。

 目を見開いて振り返る九尾。そこには自分が殺したはずのヤタが立っていた。

 五体満足、服すら破れていない彼の姿を見た九尾は警戒して尻尾の毛を逆立てる。


「……そこの二人が動かないのはお前がなんかしたのか?さっさと元に戻せよ」


 ヤタが短剣の剣先を九尾に向けて威嚇する。

 九尾はなぜヤタが生きているのか理解できず、歯軋りをした後に獣のような声を上げて尻尾を彼に向けて伸ばした。

 マルスたちのレベルでようやく反応ができる速さの尻尾の攻撃をヤタが避けることは難しかった。だが彼にとってそんなことはどうでもいい。


「……聞こえなかったのか?」


 呆気なく心臓部を貫かれてしまったヤタを見て「やった」と感じた九尾は余裕の笑みを浮かべようとしたが、声を出し動き始めた彼を見てしまった九尾は背筋を凍らせる。


「解放しろ」


 ヤタが怖がられないようにかけているグラサンが地面に落ち、腐った目を九尾に向け低い声で一言だけ放った。

 睨むことによりより一層増す謎の威圧感に九尾がたじろぐ。

 しかし九尾はそこで立ち止まり、先程と同く目を赤くさせてヤタを睨む。


「っ……あ……?」


 そしてその目を見てしまったヤタもまた、景色が揺らぎ体中の力が抜けて幻術に陥ってしまう。

 俯いて項垂れるヤタの様子を見て九尾はホッと息を吐く。


【宿主が戦闘状態中に半覚醒状態であることを確認。緊急処置を行います】

「っ!?」


 すでにこの場にいる全ての者には幻術をかけたにも関わらず、四人目の声が九尾の耳に届いた。

 バッと周囲を見渡す九尾だが、その声の主の姿が見当たらない。

 続く奇怪な現象に九尾の女性は「フーッフーッ」と荒い息遣いをしながら歯を剥き出しにする。


【体の主導権を獲得。オートモードに切り替わります】


 再び聞こえた声。

 声のした方を見るとヤタが虚ろな目で九尾を見つめていた。

 それはいつもヤタが「アナさん」と呼んでいる者の意志だった。

 彼が幻覚に囚われず意識が覚醒しているのを、そして風穴を開けたはずの心臓部が元通りになっているのを見た九尾が体を震わせる。


【「鑑定」九尾の体内で蔓延るウイルスの割合……8%以下。遠隔による完全操作は無効。限られた中から手段を選択……負の感情を増加します】

「っ!?」


 九尾の震えがさらに増す。

 恐怖の感情を無理矢理に増幅され、強制的に怯えさせられてしまっているのだ。

 九尾はたじろぎ、ヤタに向けて鋭くした尻尾を銃弾のように放つ。

 ヤタは避ける素振りも見せずに七つの尻尾の攻撃を受けた。


【……九尾の一部が体内への侵入を確認。直接捕食します】


 ヤタの口からアナウンスが聞こえると次の瞬間、ヤタの体を貫いていた残り七本の尻尾が全て食い千切られる。


「ギャアァァァァァッ!?」

【高レベルな相手を多く捕食したことにより急激なレベルアップをします。ウイルスLvが20→35になりました。ボーナスポイントを含め、全てをステータスへ割り振ります。一定レベルを超過しました。――が可能になります。宿主の任意によりいつでも――が可能になりました】


 誰かに言うでもないお知らせのような言葉を淡々と機械的に口にするヤタ。

 尻尾を全て食い千切られた九尾は完全に恐怖に飲み込まれ、マルスたちなどには目も向けず出入口に向かって走り出した。


【……敵の戦意喪失、逃亡を確認。戦闘状態を解除します】


 そう口にするとヤタは周囲を見渡す。


【個体名「マルス」及び「ルフィス」の幻術による半覚醒状態を確認。強制的に覚醒を促します】


 ヤタはゆっくりと二人に近付き、それぞれの頭に手の当てる。


「「……はっ!?」」


 その数秒後、マルスとルフィスは同時に目を覚ます。


「……ここは?」

「僕はなんで身体がこんなに大きく……いや?」


 短い時間で長い夢を見ていた二人は、記憶が混濁して目を覚ました現状が理解出来ずにいた。


「……ヤタ、君?」


 マルスがヤタの顔を見て、ここまでのことをゆっくり思い出して彼の名を口にする。


【否定します。現在の「八咫 来瀬」の意識は現在休眠状態にあります】

「なっ……!?」

「……君は何者だ」


 ヤタからヤタではない声が発され、マルスは驚きルフィスは笑みのない表情で冷静に聞き返す。

 その声で彼がヤタでないことを理解したマルスたちは警戒して構える。

 周囲にはあの九尾の女性が見当たらない。

 それにヤタは確かに彼らの目の前で死んでいる。

 ヤタが全身バラバラにされても生き返ることを知らないマルスたちが立てられる推測は、彼が九尾である可能性だった。


【自分は八咫来瀬を補助する役割を担う者、アナザーシステムです。現在、彼の人格の代わりに肉体操作を行っております】


 ルフィスの質問に答え、襲ってくる様子もないヤタの様子にマルスたちは互いに顔を見合せ、一旦構えを解く。


「それじゃあ……さっきまで僕たちが戦っていた魔物は?それとヤタ君は本当に無事なのか?あの時はっきりと彼が死んだ瞬間を僕たちは見たんだけれど……」

【このダンジョンの主、九尾は戦意喪失により逃亡を図りました。八咫 来瀬は現在、通常の人種とは異なる体質を持ちます。これ以上のプライベートな質問はご本人にお問い合わせください】


 つい先程まで親しく話していたヤタが死んでしまったと思ったら生きており、さらにそのヤタが別の人格によって動いて話しているというこの異様な状況に、マルスたちはどう反応していいのか混乱を隠しきれずにいた。


――――


「それじゃあ君は……ずっとヤタの中にいたのかい?」


 ダンジョンの主がいなくなった部屋から脱出するマルスたち。

 その後もアナザーシステムと名乗るヤタの人格が体を動かし続けている者にマルスが質問していた。


【はい、一般的な知識に疎い彼を補助するための私ですので。それと私のことは「アナさん」とお呼びください】

「わかったよ、アナさん♪アナさんは女の子の声をしてるけど、女性なのかな?」

【それは正確ではありません。アナザーシステムに性別はありません。宿主である八咫 来瀬が不快に思わない性別の音声を再生しているに過ぎません】

「そ、そうなんだ……?」


 ヤタの世界であれば「AI」という言葉がしっくりくるが、この世界の科学はそこまで発展していないがために機械的に話すアナザーシステムの有り様に戸惑う二人。


「それよりもダンジョンの主が逃げたって言ってたけど、そういう居なくなり方をしたらダンジョンってどうなるのかな?」

【消滅ではなく逃亡した場合はダンジョン自体はそのまま残ります。代わりに主としての資格を失うため、一般的に「魔王の行進」と呼ばれる現象が起きることはありません】


 アナの言葉にホッとするマルス。それでも彼の不安は消えていなかった。


「そうか……でもあれだけの力持った魔物が外に出てしまったら危険なんじゃ?」

【恐怖による混乱は一時的なもの。しばらくすれば自由に動けるようになり、近くの人里を襲うでしょう】

「それじゃあ早く行かないと……うっ!」


 走り出そうとするマルスだったが、頭を抱えてふらつく。


「大丈夫かい、マルス君?」

「え、えぇ、少し頭が……」

【九尾の幻術による影響で脳へ軽い負担がかかっています。当面の間は睡眠での安静を推奨します】

「寝て休め、か。僕もいつもみたいに体を動かそうとすると頭が痛くなるのはそのせいなんだね。でもこのまま何もしないというわけにもいかないよ、あんなのが暴れたら確実に近隣の町や村が滅茶苦茶になっちゃうしね」


 ルフィスがそう言うとマルスたちより前を歩いていたアナがピタッとその場で止まり、彼らの方を振り返り短剣を投げ付ける。

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