第44話 真なる剣閃
「……う……」
ヒューズが目を覚ますと、辺りは暗闇だった。反射的に息を吸うと、鼻腔に埃がまとわりついて咳が出た。感じるのは息苦しさと体全体にのしかかる圧迫感、そして打傷、擦傷、切傷……それらを鍋で煮崩したような複雑な痛みだった。
(爆発が起きて、天井が崩れて……それから?)
身に起きたことを冷静に整理し、ヒューズは「学園の倒壊」を理解した。つまり地下に生き埋めにされているのだ。幸い、うまく重なった鉄筋が傘になり、即死するほどの質量は掛かっていなかった。
「そうだ、フェリシア!」
左右に目線をやり、フェリシアを探す。見当たらない姿に不安感を高めたところで、腕の下に柔らかな感覚があるのに気付いた。ヒューズの体に隠れるようにして縮こまり、フェリシアが気を失っている。脈拍は正常だ。倒壊の寸前に彼女を庇ったのは正解だった。
フェリシアが近くにいるということは、同じ位置にいたフレッドも傍にいるはずだ。彼の姿はすぐに確認できた。が、二人とは様子が違う。瓦礫に頭をぶつけたのだろう、額から僅かに血を流し、昏倒してしまっているようだった。
(なんとかして脱出しないと……)
脱出といっても、立ち上がることもできない。狭苦しい隙間に嵌まり込んでいるのだ。下手に暴れれば瓦礫が崩れ、今度こそ命を落としてしまうだろう。
そして気付いたが、周辺の酸素が異常に薄い。隙間に残った空気で呼吸はできるが、それがいつまで続くかも分からなかった。
押し寄せる絶望の中で、マリーとレインの顔がよぎった。同じく学園内にいたはずだが、無事なのだろうか。確証はないが、どうにかして生きているという信頼はあった。彼女らはこんな時どうするか、と考えて、ヒューズは自然と微笑んでいた。力を凝らして脱出するのが目に見えていたからだ。
「集中しろ。きっとできる」
言い聞かせるように呟くと、ヒューズは体を
そうして、周りの瓦礫を崩さないように慎重に雷を放出し、一つの球へと凝縮させていく。地上へ繋がる大穴を、傷を負うことなく開けてやろうというのだ。
(レインのように緻密に、フレッドのように大胆に、マリーのように爆発的に……!)
少しでも力が足りなければ到底地上に出ることはできず、身動きも取れなくなる。一種の賭けだった。しかし、この危機を乗り越えなければ全てが終わる。ヒューズの挑戦は少しずつ力を増し、逆転の一駒として成長しつつあった。
* * *
「——せえッ!」
押し寄せる黒影の刃を、ジンの剣が次々と両断していく。ジンの持つ「剣」の異能は刀身を介した全てのものを真っ二つに両断する力だ。石や鉄程度なら刃が止まることはないが、「影」の異能は別だった。漆黒の、他に類を見ないほど硬く流動的な物体。アルフェルグの操るそれは、ジンの剣を唯一止めることができる力だった。
ただし、止められる時間は秒にも満たない。言うなればジンが唯一「斬りづらい」と思う程度のものだった。
「六回の経験はどうした? 俺を殺す手筈が! 整ったからこうして攻めてきたんだろ!」
攻撃を潜り抜け、アルフェルグの眼前に剣が振り上げられた。息を詰まらせながらも、それを咄嗟に迫り上げた影が止める。アルフェルグはその隙に飛び退き、切り裂かれた影は虚空に消えた。
「整っているさ……この戦いで必ず息の根を止める。それが我々の勝利条件なのだからな……!」
アルフェルグがそう言うと、足元にあった影が湧き立つように膨張し、巨大な岩壁……いや、津波さながらの流動する大質量となって目の前に立ち塞がった。真昼の街が夜に落ちたような、黒一色の景色だった。
「——"黒死の波"」
迫り来るそれに切っ先を向け、ジンは静かに想起した。アルフェルグという魔族と最初に戦ったのは、今から丁度七年前——ジンが25歳の時だ。
とてつもない勢いで退魔師を殺し回っている魔族がいる。そんな案件を押し付けられたジンは、当時から比肩する者の居ない強さを誇っていた。
アルフェルグもただの駆除対象に過ぎなかった。
『——へぇ、避ける奴は結構いたが、止めたのはお前が初めてだな。影の異能か』
『ぐ……多くの命を奪った咎人め……! 貴き魔族の未来を、お前なぞに……!』
『舐めんなよ人殺し。命に貴いも賎しいもあるか。俺たちは今殺した者として「平等」な立場にある』
一度目は、こんな会話をしたと覚えている。容赦無く殺そうとしたが、影に紛れる力で取り逃してしまった。
それから、アルフェルグは何度もジンの命を狙って戦いを仕掛けてきた。
『私の理想は……魔族を救い、人の世を終わらせ、真に平和な世界を作り上げることだ』
『価値観の相違ってやつだなァ。そりゃ人間には受け入れられん。お互い、相手を殺すしか道がない』
何度も戦い続けたが、決着がつくことはなかった。ただし、ジンは一度も致命傷を受けていない。言うなれば、アルフェルグは理想に立ち塞がる壁を討ち倒さんとする挑戦者だったのだろう。
ジンはそれを愉しんだが、アルフェルグは苦しんだ。ジン本人ではなく、他の人間を狙って釣り出すような真似をし始めたのは四度目の襲撃あたりだっただろうか。常に温厚だった彼もその時ばかりは激昂し、アルフェルグを深く袈裟斬りにした。
そして五度目、ヒューズたちを狙った六度目、アステリアを崩壊させた七度目……今この戦い。ジンは表情こそ穏やかだったが、アルフェルグに呼応する、あるいは反発するように「必ず殺す」と決意を固めていた。
(黒死の波。影を広げて対象を飲み込み、跡形も無く消し潰す技、だったか)
アルフェルグの展開した影は、ビル程度なら簡単に覆ってしまうほどの規模だった。避けることは叶わない。そもそもここで避けてしまえば、その余波で守れる命まで粉微塵だ。
「じゃあ斬ろう」とジンは楽観的に剣を構えた。
「生ゆる幹に迂回なく、ただ天を掴むのみってな」
自信気に呟き、ゆっくりと腕を上げた。長年極め続けた剣の信条だった。真っ直ぐに構えた剣が、押し寄せる黒の中で白銀の光を映していた。
「檜星流」
影が地表に迫る。ジンは動じない。
研ぎ澄まされた呼吸の果てに、柄にぎしりと重圧がかかった。人間の握力一つで頑丈な刀剣が軋み、空気が揺れているような気さえする。その中で糸一本分さえ動かなかった剣先が微かに震え——
「"
剣閃が、火花を散らしながら影を切り拓いた。
二つに分かたれた影が、瞬く間に細切れになって消え失せる。側から見れば……いや、それを正面から見据えていたアルフェルグさえも、何が起こったのか理解できていなかった。
切断に気を取られた隙に、アルフェルグはジンの姿が消えたことに気付いた。咄嗟に影を集め、辺りの気配に神経を尖らせる。しかし、それでは最早間に合わなかった。
「理想の話、今度は俺からしようか」
「——ッ!」
「お前みたいに大仰な願いじゃない。俺は——」
懐に潜り込んだジンの眼が、仮面の奥の瞳を睨み付ける。一瞬のうちに、下段の剣が昇った。
「楽しく剣を振り回して、ささやかに。大切なものを守れるんならそれでいい」
躊躇なく放たれた一撃で、アルフェルグの左腕は根元から千切れ飛んでいた。人と変わらない鮮血が散り、ジンの衣服に一滴の染みを作り出した。
紅い染みが心臓の位置に貼り付いている。燃える脈動を表すような色だった。
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