第8話-① 優しい目覚め:西辻栄吾

 気がつくと俺は何もない真っ暗な世界に立っていた。「栄吾君……」と聞き馴染みのある声が聞こえ、振り返るとそこに光が差した。その光に向かってゆっくりと歩みを進めていると、一際大きな声で「栄吾君」と名前を呼ばれた。その瞬間、視界が真っ白に染まった。

 あれ、俺ってどうなったんだっけ……? 確か、芽衣が可愛すぎて倒れて──って我ながらどんだけ情けないんだか。

 意識が浮上して最初に知覚したのは、後頭部に触れる幸せな感触。その正体を確かめるために重い瞼を持ち上げると、霞む視界に心配そうに見つめてくる芽衣の顔が映った。


「あ、おはようございます♪」

「おはよう……?」


 どう考えてもこの角度はおかしい。これではまるで、俺が芽衣に膝枕をされていることになる。


「芽衣、これは?」

「膝枕です」

「うん、それは分かる。何故?」

「何故って……あ、まだ起きちゃだめですっ」


 膝枕をされていることは確定した。そして同時に周囲から温かい視線を感じる。急激に恥ずかしさが込み上げてきて焦って体を起こそうとすると、芽衣が俺の額を指で押さえてきた。それだけで起き上がれなくなる。


「えっと……栄吾君が倒れてしまったので駅員さんにお願いしてこのベンチまで運んでもらったのです。さすがに私一人で栄吾君を運ぶのは無理だったので」

「左様で」

「なかなか起きなかったので膝枕をしてみました」


 何故そうなる。

 そう突っ込みたかったが、何せ膝枕が気持ちよすぎて正常な思考などできる状況ではなかった。恐るべし、膝枕の破壊力。


「介抱してくれてたんだな。迷惑かけてごめん」

「迷惑だなんて……栄吾君の寝顔も見れましたし、役得でした」

「そ、そうか」


 男の寝顔なんか見て何が楽しいんだか。そんな考えが顔に出ていたのだろうか、急に芽衣が饒舌になった。


「栄吾君って男の子にしてはまつ毛長いんですね。それに思ったよりも肌が柔らかくてちょっとびっくりしました。ほっぺたぷにぷにしても起きなかったので、つい悪戯をしてしまいましたが、栄吾君の寝顔が可愛すぎるのがいけないんです。だから許してくださいね?」


 二点、突っ込みたい。

 ほっぺたぷにぷにと悪戯について。


「芽衣さん芽衣さん」

「はい、何でしょう」

「ほっぺたぷにぷにとは?」

「言葉の通りです。こうやって──」


 芽衣はそう言って人差し指で俺の頬をつついてきた。痛くない絶妙な力加減でつつかれているとだんだん気持ちよくなって……と、隣に座っていた穏やかそうな老婦人からくすくすと笑い声が聞こえたことで我に返る。


「って再現しなくてよろしい」

「あ、もう少しだけ……」

「だーめ」

「むぅ……」


 そうキッパリ断ると、途端に残念そうな表情に変わった芽衣。何故残念そうにするのか、俺には分からん。


「んで、悪戯ってのは?」

「うぐ、それは……」


 言い淀む芽衣。非常に恥ずかしそうな顔をしているが、俺は一体何をされたんだ? 俺の方まで恥ずかしくなってきた。

 そんな芽衣に追い打ちをかけたのは例の老婦人。初見の印象通り、穏やかな声音で説明してくれた。


「その子、貴方の寝顔を撮影していたのよ。すごく楽しそうにしてたわね」

「あの!? ……って、あれ?」

「は、はぁ……」


 何かに気がついた様子の芽衣と状況を全く飲み込めない俺。撮影ねぇ……俺の寝顔を?


「芽衣」

「ひゃい!?」

「後でスマホのアルバムを確認させて頂いても?」

「断固拒否します」


 焦って反応したと思いきや、ツンとそっぽを向いた芽衣。これは折れてはくれないだろうな。まぁ写真の一枚や二枚、減るものでもないし別にいいだろう。


「教えて頂きありがとうございます」

「いいのよ。それにしても、仲がいいのねぇ」

「ええ、まあ」


 老婦人は微笑んで、「お幸せにね」と声をかけて立ち去って行った。と思ったら途中で被っていた帽子を外した──同時に髪の毛までも。は? ……ウィッグ? 白髪の下から現れたのは黒々とした短髪。どこか見覚えがあるのは気のせいだろうか。


「やっぱり……」

「え?」


 芽衣がそう呟いたのが聞こえて見上げる。未だに膝枕からは解放されていない。頭を包み込むように受け止めてくれる柔らかな感触が気持ちいい。一応言っておくが太ももフェチとかではないぞ?


「えっと……今のお方ですが、豪紀様です」

「……速水家当主の?」

「はい」


 つまりこういうことか。

 速水家当主の速水豪紀氏が俺たちを監視していた。何のためかは分からないが、背筋を冷や汗が流れた。だが、ということは……


「見逃してくれたってことでいいんだよな?」

「はい、おそらくは」

「「…………焦ったァ」」


 幸成様然り豪紀様然り、どれだけ俺たちをビビらせれば気が済むのか。雇われの身でなければ文句の一つや二つ言いたいところだ。というか豪紀氏、老婦人の声真似が上手すぎた件について。


「じ、じゃあそろそろ行くか」

「体調はもう大丈夫なのですか?」

「ん、万全だよ」

「良かったです」


 漸く膝枕から解放されて立ち上がる。いつの間にか太陽はかなり高い位置にあった。

 芽衣もゆっくりと立ち上がり歩き始めたが、どこかぎこちない。まぁ、その理由は分かりきっているんだけど。


「芽衣、豪紀様が仰っていたことについて色々と聞かせてもらうからな」

「……っ! 忘れていなかったのですか」

「当たり前だ」


 俺が寝ている間の悪戯について色々と追及しながら、俺たちはデートを再開した。今度こそ、楽しむぞ。


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 ちなみに速水豪紀氏、お忍びでの外出。

 帰宅後家の者にこっぴどく注意されたとかされてないとか。


 外出、したいですね。

 外に出たいという方も家でいいよという方も、よければ高評価よろしくお願い致します。m(_ _)m

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