10. 視覚的に死角、比較的に刺客、然るべきSERIOUS.
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10. 視覚的に死角、比較的に刺客、然るべきSERIOUS.
夕暮れ近くまで会場はごった返していた。
点数の足りない出場者が、一日のうちに連戦して勝ちを稼ごうとするが、多くの者は悪いコンディションで臨み失敗に伏していた。
魔法での対人戦闘は魔力は勿論、精神力を大きく消耗する。
一日に連戦など、そうできるものではなかった。不可能ではないが、それができるような一握りの人間は、先月のうちに必要点数を獲得し、本戦出場を決めてしまっていた。
―ある一部の者たちを除いて。
見学を終えて会場を去ろうとするケイジたちの後を尾ける気配が三つあった。
無論、ケイジはシティをハントするスイーパー等ではなくただのラッパー志望の若者なので、そんなものに気づくことは無い。
会場裏手の人気が切れる場所に差し掛かったときに、気配の一つ目が動いた。
「よぉ…ご機嫌だなボウズ。」
あからさまに絡みに来たゴロツキの風体の男がケイジの進路を塞ぐ。
「えっ…?いや、別にそんなご機嫌ってほどじゃあ―」
「予選免除の特権を持ってるんだって?なあオイ、羨ましいねぇー」
さっきの話を聞かれていたようだ。
余計ないさかいは避けたかったが、さっそく目を付けられてしまった。
免除の推薦状を強奪しようとしているに違いない。
それにしてもこんなガラの悪い人間がそもそも宮廷楽士になどなれるのだろうか。
チリチリのドレッドヘアを油でテカテカにしたオールバックにラメ入りの紫のシャツ、下品な金ピカのネックレス。バイトの面接なら履歴書の写真で落ちているレベルだ。
まともに相手にするだけ損だということがノータイムでわかる。
「予選免除って言っても、まあ、言うほど免除ってほどでもないッスよ?
言うても、言うてもぐらいッスよお~」
目を合わさずその場を過ぎ去ろうとするが、迂回方向に回りこまれる。
「なあボウズ、俺と一丁バトルして、負けたらその免除の権利を譲渡するってのはどうだ?」
「…勝ったら何をくれるんスかね?」
「ありえないことをわざわざ設定する必要ねえだろうよ」
それなら普通に勝負を拒否するだけだった。
相手が勝負を受けるメリットくらい用意して来い。カツアゲする気しかないのがいっそ清々しいほどだ。
―が、ケイジに火がつくには十分だった。
MCバトルを挑まれて、受けないなどMCではない。
「火遊びがしたいようだな…」
予選を見学するにつれ、出場者の熱気に触発されて非常に好戦的なテンションになっていたケイジは、相手の実力も察しないまま勝負を受けようとする。
「待ってくださいケイジさん、あの男のあの刺青…まさか―」
敵方へ一歩乗り出そうとするケイジの袖をライムが引っ張って止める。
その視線は、男のやけに胸元の開いたシャツから覗く、気味の悪い刺青に向けられていた。
オイルか何かにまみれてベトベトの蛇がブツ切りにされている、という、いかにも悪趣味なデザイン。刺青と言うより、程度の低いタトゥーだ。
「まさか―
「…ほほう?その名をどこで聞いた?ただのアマじゃねえらしい…」
ライムの指摘を聞いて男は不気味な笑みを浮かべる。
「女」のことを「アマ」と呼ぶ人間が実在することにケイジは驚きを隠せない。
「ヒャーッハハァー!驚きが隠せねえようだなぁ!
そういうわけだ、もう逃げられねえぜぇ!」
男はこれ見よがしに胸元を開き倒し、取り出した拳サイズの
――「逃げる」…?
戦わないことは逃げることではない。
戦場に立たなければ逃げるも立ち向かうも無い。
戦場に立つか否かは損得勘定、理性に基づく価値判断だ。
利益がなければ戦う意味など無い。
「逃げられない」などという脅しは、一度でも立ち向かおうと思った相手に言え。
「だがそれがいい!」
今は一本でも多くバトルを経験したい。
今日見たバトルの高揚と、昨日のランナーズハイの感覚が蘇る。
どうせ負けようと、推薦状に自分の名前を書いてしまっているから権利譲渡などできまい。ハナから賭けるものなど無いのだ。
「失うものの無い、ゼロからの戦い」という言葉に、会社員という社会的身分のあった後藤啓治は憧れていた。
「ルールは?予選みたいに石球を敵陣に押し込み合うのか?それとも―」
「そんなものはねえ…直接相手をギタギタにした方の勝ちよぉ」
「し、市井での認可なき魔法対人戦闘は禁じられていますよ…!?」
「そんなものは俺たちの知ったことじゃねえなぁー いくぜぁぁあ!」
ライムの非難を跳ね除け(本人も昨日ゴロツキと戦っているのだから説得力ゼロだ)、勝負をけしかけた側の男から、先攻して詠唱を始める。
「小僧には不相応な予選免除
愚者の行き先は所詮便所
眠れ黄昏に 月は東に
ママのおっぱいに帰れ 自然現象」
(――これは“
ライムは瞬時に相手の術式を見抜く。
「小僧」「愚者」「ママのおっぱい」…徹底して相手を格下に見下げるマウンティングに、「予選免除」「所詮便所」「自然現象」という畳み掛けるような
第3節に込められた魔力を収束する
昨日の男たちも同種の夜の魔法を使おうとしていたが、これは術自体の格が違う。
2ターン目を遂げらずに昏倒するかもしれないレベルだ。
「―ケイジさん…ッ!」
バトル中の声掛けは試技なら厳禁だが、ライムは思わず叫んでしまう。
一方男に対峙するケイジは、目をつぶったまま立ち尽くし微動だにしない。
「…ッ!? ケイ― !!」
「―親は生き別れ 既に乳離れ―」
閉じたままの目で、ケイジは敵の顔に拳を突きつけた。
そして目は開かれる。
「強さの証明書 俺の宣伝ショウ
宣言しよう 一撃痺れるフロウ
寝言は燃やすぜ 紫電燃焼」
駆け抜けるような詠唱。人差し指を立てた左手は地面を指す。
(――…!? …!?)
ライムは絶句する。
(―魔法の術式経路が読み取れない…ッ)
「生き別れ」「乳離れ」、それに敵の使った呪言乗算と同じ韻で「宣伝ショウ」「宣言しよう」「紫電燃焼」。
相手の詠唱呪文の効果を跳ね返すための技法であることまでは理解できる。
敵の「眠れ」に対する「寝言」という
しかし、それだけだった。
一体何の魔法なのか?
精霊や自然界の魔素を使役し、自身の魔力を引き出す
実技の実力はないが、魔術の分析には少なくとも魔法士官学校主席の地位を誇るライムが、術の効果も出所も分析できない。
当然敵も同様だった。
しかし1ターンが終わってもまだ男は地に立っており意識もはっきりしている。
2ターン目続行だ。
「…ッエア!…エッエ!…!? エア… …!? アアーッ!! アッ―」
急に対戦者は嗚咽のような、えづくような、奇妙な声を上げ始めた。
否、それは声になっていない呻きだった。
男の舌は痺れてビクンビクンと痙攣していた。
そして次の瞬間―
男のチリチリのドレッドヘアが一瞬で燃焼し、塵のように燃え尽きて、火元の主はその場に崩れ落ちた。
男が火達磨になったとかいうわけではなく、それは彼自身の放った催眠の魔法効果が跳ね返ってきたものだというのは、ライムにも認識できた。
認識していないのは術を放った当のケイジだけだった。
「オイオイオイ、あいつ豆腐メンタルか…?
自分の
気絶や魔力枯渇でなく、意識も戦意も残ったままなのに、呪文の2ターン目・第5節を一語も詠唱することなく地に伏す。
何をどうしたらそんなことになるのか?
少なくとも今のライムには思い当たらない。
(――これもやはり、昔話でしか知らない「雷の魔法」なのかしら…?)
相手の意志に逆らって詠唱を不能にする効果と、
その発動を視認できないほどの速度。
そんなことができるのであれば、それは魔法を阻害する魔法、
“魔法師殺し”の魔法だ。
(――もしかしたら私は…)
「なあ、さっき言ってた…何だっけ、ワックス?って、この人の名ま―」
「触らないでもらおう」
倒れた男に近づこうとしたケイジを、どこからか降ってきた声が制止する。
二人は辺りを見回すが、人通りの多い正面入り口を避けてきたこの脇道には、他の人影は見当たらなかった。
視線を男に戻すと、確かに今倒れていたはずの男の身体が忽然と消えていた。
意表を突かれた二人は事態が理解できず棒立ちになる。
一瞬の思考フリーズの後、視線のさらに先にそれまでなかった気配を感じて顔を上げると、消えた男の身体はそこにあった。
新しく姿を現した長身の人物が、倒れていた男を小脇に抱えていた。
ワインレッドの紳士服に葬儀のような黒ネクタイ、黒い皮手袋、顔にはイタリアのお祭りに使うような
仮面には、どうやら先の男の刺青と同じ蛇の絵柄が描かれていた。
「お前がおそらく抱いているであろう勘違いを正そう、少年」
大の男一人を軽々と小脇に抱えたまま、仮面の長身は勝手に話し出す。
ケイジたちは、その異様な光景にまだ動けない。
「確かにこいつは今日の予選にも出場していて今はベストコンディションではなかったが―それでも所詮は下級工作員。単純にお前より弱かった。
そしてこの俺は―― お前より強い。」
ライムの首筋に汗が伝う。
直感でわかる。彼の言に虚勢も駆け引きもない。強敵だ――。
「我らは予選突破の点数などとうに獲得している。まだ予選に参加しているのは点数目当てのためではない。
実力を見誤ると火傷ではすまんぞ。」
連戦―。
先ほどケイジが見せたのは凄まじい魔法だったに違いないが、魔法効率や魔力残量はライムには量れていない。続けて使用できるような代物なのだろうか。
一見して到底自分の敵う敵ではない。
ケイジを信じるしかなかった。
「私が手を下すのは予定外だが――少年、」
無防備のように見えて全く隙のない足取りで、仮面は間を詰めながら、メリケンサックのように指に装着したの
「本戦出場権は諦めてもらおう」
ケイジの鼓動はビートボックスのように高鳴っていた。
◇◇◇
(第11話に続く)
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