6. ROCKの理、BLOCKお断り
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6. ROCKの理、BLOCKお断り
スケートリンクのように磨かれた大理石のだだ広い回廊を、ケイジは召使に先導されて歩く。
柱ごとに施された派手な彫刻、等間隔に置かれたきらびやかな調度品。
廊下の脇でこちらに一礼するメイド姿の女性たちの前を通り過ぎる。
街の喧騒とは打って変わって、自分たちの足音だけが響いていた。
「どうぞこちらへ」
召使がドアを引き、無人の広い部屋に案内されるままに入る。
部屋の中央の、20人は座れる長い机の一番奥の席に着かされる。
「こちらで少々お待ちくださいませ。」
召使は銀の燭台を机に並べ、入り口の脇に立って沈黙した。
―― …。
――話が違う。
―――いや、違わないのか。
門をくぐった時点ではまだ、そういうコンセプトのホテルかも知れなかった。
しかしフロントも無ければ他に客もいない。
彼女は自宅と言った。
住み込みでメイドか何かをやっているのだろうか。
そう言えば身に着けたものも小奇麗だった。
今日は父母がいないとも言っていた。
父母も住み込みなのだろうか。
由緒正しい召使の家系なのだろうか。由緒正しい召使って何だ。
などと思案しながら、ケイジには大体のオチが想像できていた。
「お待たせいたしました。」
「…あああー…」
騒動で汚れてしまった衣服を着替えてライムが部屋に入ってきた。
これから舞踏会にでも行くのかというような絢爛豪華なドレスに身を包んだ姿は、どこからどう見てもこの屋敷に住まう王侯貴族のそれだった。
――話が違う。
ランナーズハイどころか、女をはべらせる悪そうなミュージシャンへの野望まで跡形も無く吹き飛んでしまった。
ラップでモテ期が来たなどという中学生のような妄想を心から恥じた。
自分はやっぱり99%の黒歴史の方だった。
死にたい。
ケイジの脱力を他所に、お姫様はうやうやしく自己紹介する。
「あらためまして、先ほどは危ないところを助けてくださり、本当にありがとうございました。
私はライム・ヘタニーフム
…いえ、この家での本名はライムライト・ジョーズニー・カッサネールと申します。
このカッサネール家当主の四女でございます。」
――ああー、そうでしょうそうでしょう。そうでしょうとも。
ケイジは帰りたくなった。帰る場所があるのかは知らないままだが。
カッサネール家というのは、貴族院議会の一席を代々預かるこの辺り一帯の領主の家柄で、古くは王家の遠縁でもあった。
「先ほどの壊れたお店は当家の領地で、事故の補償手当てが支給されますから、ご心配にはおよびません。
それと、あなたの討ち取られた相手は札付きの指名手配犯でしたので、傷害を罪に問われることもございませんよ。」
罪も何も、よくわからないうちに勝手に爆発が起こったのだから、ケイジには何の責任も無いように思われた。
ただ、逃げるように、いや実質逃げてここまで来たことについては少し気がかりだったので、その点は胸を撫で下ろす。
「強引にお連れして申し訳ございませんでした。
あの場であまり顔を見られるわけには参りませんでしたので…」
確かにこれだけの身分を考えれば、そもそも領地内とはいえあんな場所に出入りしていることは秘匿すべきことなのかもしれなかった。
ならば、なぜ身分を隠してまで、盛り場で指名手配犯たちと揉めていたのか?
それは宮廷魔法師選抜試験に関わる、重大な情報の真相を探るためだった。
「あなたは“宮廷試験”を受けに王都へ来られたのですよね?」
――宮廷楽士オーディション。
勝ち組ミュージシャンになるための(おそらく)特急切符。これを逃す手は無い。
このタイミングで自分がここにいるのはそのためとしかケイジには考えられなかった。
「もちろん!―です。」
即答した。
追って敬語を付け足したが、余計不自然になった。
「その試験を本戦まで何としても勝ち抜いていただきたいのです。
私ができる範囲で、当家が全面協力いたしますので!」
ライムは連れてきた執事風の男から一枚の紙を受け取り、そのままケイジに差し出した。
この世界の文字は、前世の世界で使われていたどの国の文字とも違っていたが、酒場前の掲示板と同様に、ケイジにはそこそこ読むことができていた。
<宮廷試験 受験申し込み 推薦状>
この見出しに加え、最下部にある署名欄。推薦状…?
「これはもしかして…?」
「試験の予選を免除する、当家からの推薦状ですわ。
先ほど見せていただいた、あなたほどの実力なら、予選など手続きの労力の無駄ですから。」
「先ほどの」―MCバトルのことだろう。
やはりこの国にはラップ文化も根付いている。
つまりオーディションもラッパーとして出場できる、それもいきなり本戦に臨めるということか。その間にゆっくり他の参加者の実力を研究できるなら、実にありがたい。
お礼というのはこれのことか。
想像とは違ったが、酒場で得ようとした情報どころか願ってもないボーナスだ。
「それと、お住まいは近くにございますか?
よろしければしばらくの間、当家に客人としてお迎えする準備がございますが…」
自分がどこに住んでいるのかは知らなかった。
自宅の鍵らしきものどころか、宿屋の札すら持っていなかった。
ともすると住んでいた事実自体無いのかもしれなかった。―が。
「え、いや、ちょっとそこまでは…
まあ特に住処を決めてるわけじゃないけど―こんなナリだし…
その、ねえ…?」
さすがにこの貴族邸に厄介になるのは気疲れが多そうだった。
風呂やトイレまでお付きの人が添いかねない。
知らない人に囲まれての食事など気まずいことこの上ない。
「それでは、当家の管理下にある宿場町に部屋を用意いたしましょう。
食事も付いた宿がいくつかございますから。」
気まずく思っているのを汲み取ってくれたようで、別の提案をしてくれた。
―むしろ想定どおりという風でもあった。
この世界の相場も知らないし、路銀があるわけでもないケイジにとって、ありがたい申し出だった。
――しかし、この至れり尽くせりの待遇は何だろう?ことの運びが上手すぎる。
「ありがたいけど…そんなことまでしてもらっていいんですか…?
俺がオーディションを勝ち上がれるかもわからないのに、家名で推薦まで出して…」
「――少し、私個人のお話を聞いていただけますか。」
ライムは柔らかかった表情を少し締め直し、背筋を伸ばした。
「――私は昨年、魔法士官学校を卒業しました。」
ライムの成績は学科試験を主席で突破し、実技試験を最下位でギリギリ通過したというアンバランスなものだった。
魔法師になるには圧倒的に実力が足りない。
在学中からそれに気付いていたライムは、理論分野のみに従事する研究者、「魔法学士」を目指していた。
ところが、この国では特定の資格を持つ者を除いて、一般の魔法師は社会的身分が低く、魔法学士はさらにその下。実質的には冒険者や開拓者といった、下級市民と同等の職業だった。
「“学士”になりたいという私の意志を、両親は強く否定しました。家柄を自覚し、身分の低い学士など諦めよと…。」
「“楽士”は…この世界でも低い身分なのか… それで親が反対を―」
――ミュージシャンを目指す若者が必ず通る関門だ。
音楽には階級というものがある。
「クラシック」というジャンルは元々その直訳どおり、「階級層の音楽」つまり上流階級のための芸術であり、庶民のための娯楽ではない。
ストリートミュージシャンなどには越えられない壁。
増してMCバトルをやるようなラッパーなど、貴族から目の敵にされてもおかしくは無い。
――この女子は、そもそも女子というハンデも抱えながら、そんな圧力を背負ってあれだけのバトルを繰り広げていたのか…。
ライムの話とケイジの理解は少しズレていた。
「今の私では家を出ようともすぐに捉えられ、連れ戻されてしまいます。
身分をそのまま捨て去ることはできません。
だから、私はもう一人の私――ライム・ヘタニーフムの名で、父母や兄弟に内緒で学士を目指しているんです…。」
「そこまでして楽士に…」
音楽に国境は無いが、格差も差別もある。
しかしロックという精神は、格差や階級を踏み越えるためのものであり、権力に捉われない反骨の志そのものを示すものだ。
身分のために音楽を生むのでは断じてない。
ライムの意志は紛れも無くロックであり、ヒップホップであり、ラッパーのそれだ。
先のMCバトルのリリックイメージがありありと可視化していたのも、この意志によるメッセージ性の強さから生じたものに違いない。ケイジはそう確信した。
それはあるいは遠い前世、何でもできたはずの年頃に何もしなかった自分への後悔が駆り立てる衝動かもしれなかった。
「学士志望の私の力では宮廷試験に挑むことができないのですが―」
「なるほどわかった、そういうことか。 つまり俺が―」
ケイジにはラップ神がついている。
「身分も何も無いこの俺が、試験を勝ち抜いて前例を作り、階級層の奴らにガツンとヒップホップを聞かせてやればいいんだな!?」
やはり理解にズレがあった。
「あ、…あの、まあ、ガツンとというか、あなたには、出場できない私の代わりになんとしても試験本戦を最後まで勝ち抜き、合格していただきたいのです。」
ケイジの感動と高揚が入り混じった声とは逆に、ライムはシリアスなトーンになる。
「宮廷試験は毎回、必ず波乱が起こるのです。王宮も王族も警備が手薄になりやすいものですから。
表彰式で国王陛下の命を狙う、という事件も過去にありました。
―ですから、信頼の置ける方に最後まで残っていただきたいのです。」
――…物騒な。
なにより純粋に音楽を競う場で、汚い政治戦争が行われるというのは冒涜だ。
オリンピック会場で領土問題を旗に掲げるような最低最悪の行為だ。
悪そうなミュージシャンとはそういうことではない。
許すまじ。
ケイジは理解を改めることなく、一人さらに高揚する。
「それができる力をあなたはお持ちです。
あなたこそが、私の探していた人物に違いありません。」
ライムは、自身の目的を果たすためには、家柄の威光を利用することに何のためらいも無かった。
そしてケイジに対して、全幅の信頼を寄せていた。
「でも今日出会ったばかりの俺に、なぜそこまで…そんな風に…?」
「――その理由は当家の事情に触れるのでまだ詳しくお伝えできないのですが、あなたが現れることは私にわかっておりました。
だから身分を隠して酒場を巡り探していたというのが、実のところです。」
よく当たる占い師でも雇っているのだろうか。
過去に面識がある様でもないし、「わかっていた」という言にはケイジは引っかかった。
まあ、金のある上流階級の人間は何をやっていたところでおかしくはない。火を焚いた上に鉄柱を渡して油を塗り下民に渡らせたりするような連中だ。
しかしながら、「まだ話せない」のであって、嘘をついていたりケイジを陥れようとしている様子は全く感じられなかった。
何より、この相手はケイジのMCバトルを見た上で、その実力を評価してくれている。
ケイジにとってラップを褒められたという経験は、ぼんやりとした前世のどんな記憶の奥にも秘められていそうになかった。
「時代遅れのオヤジの念仏」、「敗北者」、「何一つ心に響かないw」…
いつどこで言われたのか、罵詈雑言だけが脳裏に残っている。
「あなたほどの実力者なら―」。さっきのライムの声を反芻する。
ケイジは純粋に誇らしかった。
「どうかあなたのお力を、私にお貸しくださいませんでしょうか…?」
丁寧で低姿勢だがライムの目には光と確かな力強さが宿っている。
音楽に関して他人から頼られて、ミュージシャンが首を横に振るはずが無い。
ましてや未知の難関が相手だとしても、できないなどと言うはずが無い。
「だが断る」
「えっ…?」
にわかにライムの目に動揺が走るが、ケイジは気にせず臆面もなく正面から啖呵をきる。
「手を貸すだなんて他人のステージに立つような真似じゃなく、
オレ自身の意志で―
全身全霊でお見せしよう…この俺の生き様―HIP HOPをね…!」
「…! あ、ありがとうございます…!」
ライムにはその言い回しがよくわからなかったが、つまり協力してくれるという意図は受け取れた。
HIP HOPというのは彼の操る絶大な魔法技術の名前だろう、多分、くらいの認識だった。
ケイジは自分の人生で一度は言ってみたい台詞ランキング上位の台詞を言い放てて胸が熱くなる。
一度でも言えたことでランキングボードがカラカラと脳内で入れ替わる。
「―それでその、ここまでお話しておいて今さらなのですが―」
安心したのか、ライムの表情はふにゃりと砕け、むしろやや気恥ずかしそうになった。
「あなたのお名前を教えてくださいませ」
――そういえば名乗っていなかった。なぜ今まで気付かなかったのか。
「俺の名前は― ケイジ」
ケイジは勢いよく立ち上がる。
「―a.k.a KG だ!」
「ケイジ様、ですね。どうかよろしくお願い申し上げます」
MC名の名乗り―またケイジの脳内でランキングボードが変動する。今日は最高の日だ。
(ライムは後半の部分をファミリーネームだと受け取ったが。)
話が一区切り付いて、ライムははたと思い出す。
「そうだわ、ごめんなさい、お願いと助けてくださったお礼の順序がすっかり逆になってしまいましたね。」
それは、推薦状や宿の手配が「試験を勝ち抜くこと」の支援であって、今日助けてもらったお礼とは別物であるという意味だった。
既に十分だが、まだなにかしてくれるのだろうか。
ライムが合図すると、入り口に控えていた執事と召使が部屋を出た。
二人を見送り、おもむろにライムが立ち上がる。長いブロンドがふわりと揺れる。
絹製の手袋を脱ぎながら、ライムは立ったままのケイジに歩み寄る。甘い香水の匂いがケイジの鼻まで届く。
…ん?
「今日は父も母も遠出して戻りませんので――」
…えっ?
「私とここでゆっくりと――」
触れられる距離まで迫ったライムは、ケイジの手を取った。
…あっ―
いつの間にか日は既に落ちていた。
◇◇◇
(第7話に続く)
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