側方転回

 朝日が眩しくて、カーテンを雑に閉めた。

 寝不足の時に感じる独特の高揚感と倦怠感に支配された脳で、ぼんやりと考える。

 楽に生きるのは簡単じゃない。

 「"楽"に生きろ」と言われて「はい」と簡単に言えたなら、元よりこんなに捻くれてない。

 じゃあ僕は、"面倒"に生きているのだろうか。

 答えは是。面倒に色々考えて、考え過ぎて立ち止まっている。そんな自分が嫌いじゃないのだ。

 だけど『楽に生きろ』と言っていた。


『自分で深く考えず他人に答えを求める』


 と、いうことなのだろうか。僕の勝手な解釈かもしれないけど。

 まあ。皇女様が言うなら、今晩から。



* * *



「今日、側転ができるようになった!」

「側転、ですか?」


 いつもの公園。見慣れた皇女様。

 半月が照らす大気中には春特有の生暖かさが充満していて、思わず目を擦る。花粉症がやばい。

 白いネグリジェに黒のダッフルコートを羽織った皇女様は得意顔だ。


「すごいじゃないですか」

「ああ、そうだろ!...今日あったかいな」

「ですねー」


 コートの腕をまくって、透き通る白い肌が現れる。


「でも、どうしていきなり側転ですか?」

「ああ、今日教えてもらった」


 日付的には昨日だけどね、と彼女は続ける。

 側転とか懐かしい。小学校とか中学校とかの体育館でやらされた記憶がある。確か僕はマット運動やら跳び箱やら、得意だったな。周りから羨望の眼差しで見つめられて気持ち良かった。

 皇女様も、そう、なのだろうか。


「体育の授業で、やったんですか?」


 言ってから少し経って、失言したと気付いた。皇女様の顔が、曇った気がしたから。

 『学校に行かせてもらえない』なんて噂を耳にしていたのに。

 地雷だって、少し考えれば自分で分かることだった。

 半円に雲がかかり、辺りが暗くなる。


「...私は、学校に、行かせてもらってないからな。授業なんてない」


 普段はやけに明るく感じる電灯の光が、今晩は一層暗く感じる。皇女様の表情が窺い知れないけれど、声音だけは寂しげに響いていた。

 僕はどうしたら良いか判らない。けれど。


「ごめん、なさい」


 謝った。

 嫌な事を思い出させたから。

 せっかくの、自由な夜なのに。

 すると皇女様は、僕に心配させまいと明るい口調で強がる。無理をしているのだろう。彼女は優しいから。


「なんで少年が謝るんだ。私は大丈夫...だっ!」


 僕がそう感じただけかもしれないけど、苦悶を振り払うように地に左手をついた。真横についた手を身体で追い越し、後ろの足が曲がらないように真上に蹴る。逆さまになった瞬間黒ずんだコートがめくり上がり、純白のネグリジェが全貌を現す。


 くるり。


 体操選手さながらの、見事な側転だった。


「綺麗だろう?」


 手をパンパンと叩き、付着した砂を払う皇女様は振り向く。そして惚けていた僕に聞いてきた。僕は頷くことしかできない。


「...はい。とても」

「そうだろ!学校の体育のセンセよりも凄い人に教えてもらってるからなっ」


 胸を張っている彼女はどこか煢然けいぜんとしていて、空虚な侘しさを感じさせた。 


「勉強とかも、ですか?」

「ああ!各分野の修羅の者から教わっている。英語以外はなっ」

「なるほど...そりゃすごい」


 各分野の修羅って、凄い言い方だな...。

 英語と聞いて思い出したのはカップヌードルだった。『Cup Noodle』という小学生でも読めそうな英単語を、彼女は読めなかった。


「英語は、苦手なんですか?」


 聞いて、またもや不必要な質問をしてしまったと実感した。皇女様は訥々とつとつと語る。


「英語、やりたいのは山々なんだが...。お父様が、『お前はこの国から出る必要が無いから、英語を学ばなくて良い』と、口酸っぱく言ってくるのだ」


 そう言って俯いた。長い前髪が顔にかかる。


「そうなんですか...すみません」


 今日の僕は、どうかしていた。まるでウヅキみたいに、プライベートに土足で上がりっぱなしだ。自分でよく考えて、線引きをしなければ。お互いに。


「いいんだよ...私は一番、日本に行きたいんだけどな、行けないんだっ....っと」


 僕が次に生かされようも無い反省につとめていると、皇女様はくるり、再び側方転回をした。音を立てず綺麗に着地したのち、首をブンブン振る。


「やめよやめよ!湿っぽい話はダメだ!せっかくの夜なんだから」 


 遅れて左右に振れる細い銀髪は蜘蛛の糸のようであった。囚われた僕は。


「なあ少年。少年は側転できるか?」

「...はい?」 


 唐突な質問に、思わず間抜けな返事をしてしまった。

 側転、か。昔はできた。受験期だったことも相まって現在は相当、身体は鈍っていると思う。最近になって夜、走り始めたけど。


「やってみます」

「私より綺麗にできたらコーラを奢ろう」

「頑張ります!」


 挑戦的に笑う皇女様に空元気で応えた。

 両手を前に突き出し、腕を地面の砂利と平行にして構える。あ、腕痛い。昨日のバドミントンの筋肉痛が響いてる。

 深呼吸を一つ、大きく吸い込み吐き出して鼓動を整える。すーはー。


 よし!...あれ。動かない。鉛みたいだ。身体が拒否してるみたい。 


 でも、ここで回らなきゃ。

 目を瞑る。やらなきゃ、ダメだ。


「おりゃああああああっ!」


 てのひらにチクチクと砂利の感覚。頭を打たれたようにクラクラする。腕に全体重が乗り、悲鳴をあげている。自分の足がどれほど上がってるかなんて分からない。真っ逆さまになった途端、位置エネルギーが運動エネルギーに変換され足が地面に向けて急降下。着地した足の裏に全体重が押しかけて、逆流するように脚に痛みが走る。

 

 けれど、これは心地いい痛覚。手応えはあった。


「どうっ、でした!?」


 僕はこの時、自慢げだったと思う。痛みを隠しながら目前で見ていた皇女様に聞いてみる。

 すると彼女は小馬鹿にしたように笑い飛ばした。


「ぷっくく...しょっ...少年!全然足が、あがって、ないぞっ」

「えっ...」


 自分では割といい感じだったと思ったんだけど。なに得意顔になってんだ僕。恥ずかしい。穴があったら掘り進めたい...。


「これじゃコーラはお預けだなっ」


 楽しげに皇女様は笑う。 


 そっかー。ダメだったかー。

 昔はできたのに。やっぱり変わったんだな。僕は色々。


「しょうがないです。自分で買いますよ。コーラ」

「半分くれよなっ」

「はいはい」


 ポケットに入った小銭の感触を確かめながら自動販売機に向かう。


 コーラを自分で買って。

 結局全て、自分でやるんだ。

 自分で考えて、自分で答えを出して。

 昔とは変わった自分を受け入れて。


 楽になんて、生きれないな。僕は。

 一回転して、元へ終着した。

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