第170話 モブ令嬢と旦那様と一つの断定

 あの後、懇親の宴は大過なく終了いたしました。

 館へと帰った私たちはいま、二人で書斎で話をしております。

 シュクルが頬をプウと膨らませてむくれておりましたが、トルテ先生がサロンでバリオンを奏でながら昔語りをして、シュクルの気をそらしてくださいました。


 旦那様は執務机の椅子に座り、天板上に広げた紙を手にした炭筆の先でトントンと突きながら、ソファーに座っている私に視線を向けました。


「ライオット卿とトーゴ使節の二人、あの遣り取りを目にしてフローラはどう思った? 俺はデュルク団長に控えの間に運ばれたあと、あのマスケルという騎士を捕らえるのに協力する羽目になったんだ。……覚えているかい、我が家でのお茶会の前日に捜査局を訪ねたろ。あの時対応してくれた――彼が陣頭指揮を執っていてね。ライオット卿から、あのマスケルという騎士には不審な点があるから拘束して、身体をくまなく調べ上げるように指示があったと聞かされた。マスケルを拘束したとき、捜査局の人員が奴の懐から、邪杯の欠片のようなモノを見つけたのを目にしてね。俺はその時、ここ最近の自分の考えが根底から崩されたようなそんな気持ちになったんだよ」


 旦那様が控えの間で遭遇した出来事は、概ね私が考えていたとおりでした。

 ライオット様がもしも簒奪教団の一員であるのならば、その理由は、自身の存在を認めないオルトラント……いえ、この大陸西方諸国の王族や貴族社会に対する恨み。

 それが根底にあると考えるのが最も自然であると旦那様と私は思っておりました。

 盗難した邪杯を利用して、もしも邪竜を復活させるのならば、それは旦那様が仰った、存在が消される運命だという、生きながら死者であるともいえるライオット様の復讐なのでは。そしてその過程でライオット様は本当にその命を投げ出すつもりなのでは?

 ただ、アンドゥーラ先生から耳にした話を考えますと、私たちにはまだまだ見えていないモノがあると言わざるを得ません。

 私は暫し考え……そして思い至ります。

 ……考え方を変えてみたらどうでしょう、と。


「確かに……私も、あの話を耳にしたときには同じ気持ちになりました。……ですが、あのあと帰りの馬車の中でも考え続けていたのですが、私、思ったのです。……して考えてみてはどうでしょうか」


 私の口から出た言葉を聞いて、旦那様は訝しげな表情になります。


して? フローラ――それは、どういう意味かな?」


「その……つまり、ライオット様が邪杯を盗難した犯人であると断定して考えるのです。そう断定した場合、私たちがこれまで知り得た事実と、本日行われたライオット様の行為からどのような結論が得られるでしょうか。……旦那様は、どうお考えになりますか?」


 旦那様は私にそう問われて、執務机の天板に肘をついて考え込みました。

 そうして……彼は何かに気付いたように目を見開いて、私に視線を向けます。


「ライオット卿は……簒奪教団の一員ではない!?」


 私は旦那様の視線を真っ直ぐに受け止めて、静かに頷きました。


「はい……。旦那様は、ゲームという物語の記憶……その記憶に縛られていたのかも知れません。……たしかに、私たちがその物語の記憶によって助かった事は間違いございません。ですが、簒奪教団という言葉は、滅びに瀕した旦那様の口より漏れただけであり、その存在はゲームの中でも確認はされておりません……」


 私は静かに息をついて、さらに言葉を続けます。


「これは私の想像、というよりは妄想かも知れません。……ライオット様には、ご自分の滅びを掛けて果たしたい願いがあるのだと思うのです。ですがそれは、滅びを覚悟したライオット様に気付いたアンドゥーラ先生から拒絶され、一度は諦めた……。もしかしたら一時は、与えられた自由の中で生きようとなされたのかも知れません。ライオット様は表では捜査局に入り、裏ではエルダンに化けてオルトラントの害になる人間を探っていたのではないでしょうか? その中で我が国に潜んでいた簒奪教団の工作員を捕らえたのかも知れません」


「……それで邪杯の欠片を手に入れた。……なるほど、そう考えるとライオット卿のこれまでの行動に一つの指針が見えてくる。今回の件も……、それにバレンシオ伯爵の件もそうだ。あの人は……」


「ライオット様は……」


「「オルトラントの脅威を取り除こうとしている……」」


 旦那様と私は申し合わせたようにそう結論づけました。

 ですが、そう結論づけたものの、旦那様は疑問が晴れない様子です。


「……だが、それならば何故、邪杯の欠片をローデリヒに使わせたんだろう? 下手をしたら世界が滅びる可能性もあるのに」


 私は、旦那様のその疑問に自分なりの答えを示します。


「おそらく、あの時には旦那様と私が、ライオット様の目に止まってしまっていたからだと思います。ライオット様が果たしたいと考えている願い。それを引き継ぐことのできる私たちが……。以前、旦那様は、いまの旦那様になった後、私と出会わなかったら、どこか遠くへと逃げ出していたと仰った事がありましたよね。ですがライオット様は……逃げ出すことの叶わない人生を強いられているのです。私はあの方の行動を考えますと、このオルトラントへの深い愛情を感じます。それはきっと、いまのオルトラント王家の方々、特にアンドリウス陛下とノーラ様は愛情深い方々ですし。ディクシア法務卿から聞いた、母親代わりの第三夫人アガタ様からは、血を分けた本当の子のように愛情を注がれたと聞かされました。……ですが、本当の母親を責め殺されたかも知れず。ご自身は子を成すことも叶わず、死後はその存在を抹消されるかも知れない……そのお立場を考えますと、あの方の心の内に憎悪が無いとは決して申せません」


 その私の言葉に、旦那様は深く頷きました。


「……愛憎って奴か。つまり、巧く行けば良し、だが自分が原因で滅びるならそれも仕方ない……ということかな? なるほど、あの人らしいかも知れない。まったく、なんて厄介な人だ。だが、確かにそう考えると、これまで感じていた矛盾が晴れた気がする」


 おそらくライオット様は、ご自分が滅びる前に、このオルトラントに潜み、また向けられている脅威を、全て払っておこうとしたのではないでしょうか。

 旦那様ではないですが、他者がオルトラントに滅びをもたらすことは耐えられなかった……という事でしょう。


「新政トーゴ王国にいまだに潜んでいるらしき簒奪教団の人間。ライオット卿の予測ではダイムラー公爵か、そいつの打った手を防いで、さらに逆襲の手を打ったのは、オルトラントにこれ以上手を出させないため……」


「それで間違いないと思います」


「……ライオット卿の心底がそうだとしたら、後の問題はあの人の望み……それはいったい……!? フローラ? 君、泣いているのかい……」


 そうです……私は不意に、ライオット様の心の底にあるモノに思い至ってしまいました。

 その瞬間、あの方の深い愛情に打たれて、私の涙腺は決壊してしまったのです。


「旦那様……。何故、初めに選ばれたのがアンドゥーラ先生だったのでしょうか? そうしてまたいま、何故私たちが選ばれたのでしょう……。それはきっと、あの方にとってはご自身と近い立場だと感じられたからでは……」


 私がそう申し上げましたら、旦那様も思い至ったのでしょう。その顔を辛そうに歪めました。


「…………そうだったのか……まったくあの人は、本当になんて厄介な……。だがそうなると、彼が邪杯盗難の犯人である証拠を、是が非でも見つけなければ……。もし俺たちがいま考えた事が真実であるならば、俺はあの人を絶対に死なせたくない。……だが、いまの俺たちが何を言っても、きっと韜晦されるだけだ。しかしあの人のことだ、決定的な証拠を示せば誤魔化すことはしないだろう。そうすれば説得する事ができるかも知れない。……それに、俺たちにだけ厄介事を押し付けて……自分はその切っ掛けを作って退場なんて楽をさせてたまるか。あの人には是非苦労を分かち合って頂こう」


 ライオット様の本心に気付いた旦那様は辛そうに言葉を紡いでおりましたが、最後には私たちに押し付けられることになるかも知れない後始末に思い至り、冗談めかしてそう吐き出します。

 私には、それは旦那様の決意表明とも感じられました。


「旦那様……旦那様は、ライオット様の望みを引き受けるつもりがあるのですか? それはきっと苦難の道になると思いますが……」


 私のその言葉に、旦那様はとてもお優しい――私を包み込むような微笑みを浮かべました。


「ある意味、俺の望みとも合致するからね。だからあの人は俺たちを選んだんだろう。俺たちにその力があるかどうか試してまで……俺たちはライオット卿の思惑どおりその試しを乗り越えて、特にフローラ。君はあの人の望み通りオルトラント中に名の知れる存在になった。まあおそらくあの人の想像を超えてしまったと思うけど……だからこそ、あの人の準備は既に整っていると考えた方が良い。多分、あとは切っ掛けなんだと思う。今回の褒賞授与式典に事を起こさなかったのは、さっき考えたとおりオルトラントに向けられた脅威を払うことと、この式典には各国の使節団がいる。ここで事を起こしたら、あの人の望みと逆の結果を迎えてしまうかも知れないからだろう」


 確かに、旦那様の仰るとおりであるかも知れません。

 我が国の中だけで事が起こるのなら、いまの私たちがオルトラントに与える影響力でライオット様の真意を、王国に広めることが叶うかも知れません。


「ライオット卿の誤算は、あの人が予想していたよりも早く、俺たちがその真意に気付いてしまった事だろう。彼の本心に気付いてみると、あの人は事を起こし自分が退場した後、俺たちがその真意に気付くための手がかりをそこら中にばらまいている」


「そうですね。ライオット様は陛下たちより愛情を注がれはしたものの、本心を心の内に抱え込んだ孤独な人生を送ってこられた方です。とても頭の良い方ですが、人の縁の妙にまでは思い至ることができなかったのかも知れません」


 旦那様と私が婚姻してより得た人の縁……それによって知り得た事実が、ライオット様の真意を暴き出してくれました。

 この先私たちにできることは、旦那様の仰るとおり、彼が事を起こす前にその証拠を手にすることです。

 私も、ライオット様の人生をこんな所で終わらせたくはございません。

 それは一つの断定から始まった考察でした。

 ですが旦那様と私は、覆しがたい彼の本心に思い至ってしまい、焦れる想いに身を焦がすこととなったのです。

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