第156話 モブ令嬢家と貴宿館のお茶会(五)

 蕩々と響き渡る楽器の調べに身をまかせ、私は旦那様と手をつないで踊ります。

 私、正直申しまして身体を動かす事はあまり得意ではありません。

 ですが、お母様の指導で基本は学んでおりますので、このくらいゆっくりとした拍子リズムに合わせてでしたらなんとかついてゆけます。

 それに、旦那様がしっかりと私を先導リードしてくださっているので、安心して身をまかせて踊っております。


 ノームさんたちの能力ちからによって整備された裏庭ではいま、楽隊の方々の演奏に合わせて、多くの男女が、私たちと同じように踊っておりました。

 その中にはレガリア様とアルベルト様の姿も見受けられます。


 これは、旦那様と私がこちらへとやって来る前に起こった出来事なのだそうですが、なんとアルベルト様はお茶会の衆人環視の中、レガリア様に告白なされたのだそうです。

 その結果がどうなったのか……それはいま手を取り合って踊っている姿を目にすれば、一目瞭然でございましょう。

 元々お二人は又従姉弟またいとこ同士ですし、縁を得てから四月よつきにもならない私からは見えない繋がりがきっとあったはずです。

 それでなくとも大輪の花のようなレガリア様は、輝く海色の髪と、赤味のある黄色のドレスが陽光に栄えて、今を盛りと咲き誇っているように見えます。

 完全にこの場の主役となってしまっておりますが、実はこのお茶会の主催の中心であるレガリア様があのように招待客以上に前面に出てしまうのは問題あるのですけれど……。

 まあ貴宿館の女性陣主導ですので、いまはマリーズがお客様たちを退屈させないように会場に気を配っております。

 私たちに、レガリア様とアルベルト様の話をして、「お二人も踊ってきたらどうですか」と、この場に押し出したのもマリーズなのです。

 ちなみにアルメリアの姿は会場の隅に見えました。

 傍らにミュラと呼んでいた犬をはべらせた、ミシェル様の近くに立っています。

 何か話をしているようではないのですが……何故でしょうか、雰囲気がなじんでいて違和感がありません。


「『……犬が二匹いるのかと思った……』」


 私と同じ方向を見ていた旦那様が、何かボソリと呟きました……。

 楽器の音に紛れておりましたので、ハッキリとは聞こえませんでしたが、お顔が半笑いになっております。

 私は旦那様と踊りながら、浮かんできたひとつの疑問をぶつけます。


「旦那様は、レガリア様とアルベルト様のお二人が、あのように結ばれるとご存じだったのですか?」


「ああ、いや……もしかしての可能性だけどね。二人の馴れ初めが、お茶会会場でのアルベルト君の告白だったから、このお茶会が代わりになるのかも知れないな……とは少し考えた。ゲームでも、リュート君がレガリア嬢と結ばれるような行動をしていないと、自動的に起こるイベントだったから……」


 そう少し言い訳気味に仰った旦那様に、私は少しプクリと頬を膨らませてみせます。


「でしたら、教えてくださっても良かったのではございませんか?」


 旦那様は困り顔で口を開き、「……ごめん。なんだか口に出したら、起こらないんじゃないかって気持ちがしたんだ」と仰いましたが、何故かすぐに目尻が下がって、少しだらしない感じのお顔になってしまいました。


「フローラ……ちょっとその顔可愛すぎるから……」


「……旦那様」


 私は、自分の顔に熱が上ってくるのを感じながら、僅かに恨めしげな表情を浮かべ、旦那様を上目遣いに見て抗議の気持ちを示します。


「フローラ……だから、可愛すぎるからね……」


 だめでした。

 旦那様は踊りながらも、私を愛おしそうに抱き寄せます。

 そのまま口づけでもしそうな程に身体を寄せ、旦那様のお顔が近付いてまいります……。


「ぶぅぅぅぅぅぅーーーー! パパとママだけずるいの! シュクルも一緒! 一緒に踊るの!」


 タイミング良くと申しましょうか悪くと申しましょうか、シュクルが旦那様と私の腰のあたりに飛びついてまいりました。

 シュクルが駆けて来た方に視線を向けましたら、クラリス嬢が謝罪顔をしてマリーズの隣に立っております。

 マリーズがどこか悪戯が成功したような笑顔を浮かべておりますが、彼女がシュクルをたき付けたのでしょうか?

 ですが、舞踏の最中に衆人環視の中で旦那様と口づけを交わすという、赤面を超えて慙死ざんししそうな状況にならずにすみました。

 結局その後は、旦那様とシュクルと私で、お遊戯のように躍ることとなったのです。

 私たちの姿は、招待したお客様たちに微笑ましく眺められておりました。

 それはそれで恥ずかしい気持ちもございましたが、シュクルがとても満足そうにしていて、私はとても心が温かくなりました。それはきっと旦那様も同じであったと思います。





「やあやあ、こちらは皆、なかなかに楽しそうな様子ではないかね」


 私たちが踊り疲れて、会場の脇で休んでおりましたら、ライオット様がそのように言いながら裏庭にやって来ました。

 それに続くように、サレア様やアンドゥーラ先生もやってまいります。


「フローラ――こちらは平和で何よりだね。今日はせっかくゆっくりできると思っていたのに、思わぬ方の登場で、却って気疲れしてしまったよ」


 アンドゥーラ先生が、気疲れしたご様子で愚痴を吐き出しました。

 その言葉を受けてサレア様も口を開きます。


「そうですね。まさかマーリンエルト公王ご夫妻が出席しておられるとは考えもしませんでした」


「昨夕突然に決まったことでしたので、皆様にお知らせする時間がございませんでした。申し訳ございません」


 私はお二人にそのように声を掛けました。

 アンドゥーラ先生は、私の近くにおられるライオット様を横目に見ます。


「噂は少し聞いたことがあったけどね。……それにしてもライオットの奴が来たあと陛下の機嫌が悪くなってしまったが、君はいったい何をやったのだね?」


 先生の言葉を受けたライオット様は、いつものように剽げた様子で口を開きます。


「やあやあ、なんだいなんだい。俺が何かやったと断定なのか。……なんともなんとも信用がないのだね俺は」


「胸に手を当てて、とくと過去の行いを鑑みてみるのだね」


 うんざり顔のアンドゥーラ先生にそのように言われて、ライオット様は素直にご自分の胸に手を当てます。


「…………とんと、思い当たるところが無いのだが?」


 彼はわざとらしいほどに真面目なお顔で、そう人を食ったように言い放ちました。

 先生は、綺麗に結い上げられた、美しい深紫の髪が乱れるのもお構いなしで、頭を掻いて大きく息を吐き出します。


「…………君から真面目な反応が返ってくるとは初めから考えてはいなかったけどね。……まあいいさ、君と私は過去にともに戦ったというだけで、既に道は分かれているのだ。それ以上の関わり合いではないのだからね」


 アンドゥーラ先生は、どこか切り捨てるようにそう言い捨てます。


「まあまあ、なんと悲しいことを言うのだろうね。俺は君にはとても期待していたというのに……まあまあ、仕方がないかね。――子供の君には私の期待は重すぎたのだろうね」


 ……なんでしょう? 最後のライオット様の言葉には、どこか後悔の念が滲んでいたような……。

 アンドゥーラ先生は、ライオット様の言葉が終わる前にこの場を去っていて、レガリア様に言葉を掛けるために楽隊の陣取る向こう側へと行ってしまいました。

 サレア様は、私たちに目礼してアンドゥーラ先生を追いかけて行きました。

 すると今度はアンドリウス陛下が、ノーラ様やレガリア様のお母様やレオパルド様のお母様たちを伴ってやってまいりました。

 陛下の登場に、招待客たちがザワつきます。

 それはそうでしょう。ノーラ様がエヴィデンシア家の茶会に参加なされるという事は事前に告知されておりましたが、アンドリウス陛下が参加なされるとは、貴宿館の住人ですら今朝になって知ったのですから。


 侯爵家や伯爵家の子息子女たちがこぞって陛下たちに挨拶に向かいますが、陛下は、本日の茶会への参加は忍びのようなものだから、格式張った挨拶は無用と仰いました。

 そうして、皆に簡単な言葉を掛けたあと私たちの方へとやってまいりました。

 そのお顔にはどこか苦々しげな表情が張り付いております。

 陛下の不機嫌な雰囲気を感じ取ったのでしょう、それ以上陛下に近付いてくる招待客はおりません。

 ノーラ様たち奥方連もマリーズのいる楽隊の近くで、招待客たちと挨拶をしており、こちらへとやって来る様子は見えませんでした。


「まったく……一杯食わされた。お主たちに言質を取られぬようにと言った我が足を掬われてしまったわ」


 陛下は、苦々しいものを吐き捨てるようにそう仰いました。


「いったい、どうなされたのですか? ライオット卿が何やら急報を持ってこられたようですが」


 陛下の隣では、戯れた笑みを浮かべてライオット様が立っております。

 旦那様は、途中から彼に視線を向けて陛下に問いました。

 ですが陛下は、苦虫を噛み潰したようなお顔のままです。


「陛下、よろしいですかね?」


 陛下の様子を目にしたライオット様がそう確認いたしました。


「…………うむ」


 陛下はそれだけ言うと、庭に設けられた休憩用の椅子へと座り込んでしまいます。

 ライオット様が館の中に入る前、陛下が後で愚痴を言うかも知れないと仰っておりましたが、その気力も無くなるほどの出来事があったということでしょうか?


「ふむふむ、ではでは説明させて頂こうかね。……実は、十日ほど前になるそうなのだが、新政トーゴ王国の中枢を成していた者たちが赤竜王グラニド様によって粛正されたそうなのだよ。トーゴ王国の首都は半壊したという話だ」


「……赤竜王様によって粛正……主都半壊、ですか……」


 ライオット様の口から吐き出された衝撃の言葉に、旦那様はゴクリと唾を飲み込みました。


「そうそう、そうなのだよ。原因はやはり、竜種たちを強制的に従わせていた事だったようでね」


 ライオット様は、ご自分の言葉によって、旦那様が予想通りの衝撃を受けたことを満足したご様子で、さらに言葉を続けます。


「トーゴの愚か者たち……というよりは、あの国に巣くっていた簒奪教団とでも言うべきかね。奴らは、五百年前の惨劇に懲りもせず、また竜王様をしいしようとしたそうなのだよ。グラニド様も初めは、首謀者を引き渡せばそれだけで許すつもりでいたらしいのだがね。そのような暴挙に出たものだから怒りを買って主都半壊という憂き目に遭った訳だ。王と首脳、さらに精霊教会――まああの国の精霊教会は、簒奪教団の隠れ蓑のようなものだったらしいが、彼らは竜王様の力で粛正されたのだそうだよ」


 旦那様はその説明を聞きながら、次第に疑問顔になって行きます。私も、旦那様が何故そのようなお顔になったのか理解しました。


「ちょっと待ってくださいライオット卿。その話で、何故陛下はあのようなご様子になっておられるのですか? 喜んでおられるのなら話は分かるのですが……」


「なら聞くがね。何故マーリンエルト公王夫妻は当初の予定を早めて一週間近くも前に我が国にやって来たと考えるのかね? まさか、昨日公王が口にしたという説明をそのまま信じるエヴィデンシア夫妻ではあるまい――そうだろう? そうそう、そういえば昨晩は、君たちの子をマーリンエルトに迎えたいなどという話が出たというではないかね……」


 ライオット様はそのように仰って、ことさら剽げた作り笑いを浮かべます。ここまで言えば分かるのではないかね? といった感じです。

 確かに、そこまで言われて旦那様も私も予測が立ちました。

 ライオット様が館に入る前に仰っていた、マティウス様が未来を見ているという言葉と考え合わせれば、可能性はかなり狭まります。


「……まさか。王家同士の血の結びつきですか?」


「おうおう、さすがはグラードル卿。――奥方も理解している顔だ。さすがはエヴィデンシア夫妻。私の見込んだとおりだね。つまりはね。君たちの子をマーリンエルトに迎えたいという話。それもあわよくばと思ってたのだろうがね。本当の公王の狙いは、クラウスに公王の娘を嫁がせる事だったのだよ」


 ……そういう事だったのですか。

 うぬぼれているようで恥ずかしい気持ちになってしまいますが、いま我が国で外に出したくない血は、私たちの血であると思います。

 あえてその無茶を口にした上で、両国にとって障害である新政トーゴ王国の脅威を口実に、両国の絆を深めるためと、王子と公女の婚約を提案したのでしょう。

 陛下があのご様子を見るに、言質を取られてしまったのでしょう。

 公女様がどのようなお方かは存じませんが、クラウス様と結婚成されれば間違いなく第一夫人でしょう。

 社交界での影響力を考えれば、オルトラントの中にマーリンエルトの影響が強まる事になります。

 トーゴ王国の脅威が変わらないのであれば、確かに心強いですが、いまの話が本当であるのなら少なくとも数十年はトーゴ王国の脅威は減じるでしょう。

 あえて他国の影響力を我が国に入れる必要はございません。

 つまりはマーリンエルト公王、マティウス様は、自国の未来を考えて我が国への影響力を強める策をとったのです。これは、我が国の王都が襲われ、気の弱っている今だからこそ取れる手であった筈です。


「……ですが、ものは考えようではございませんか?」


 不意に――旦那様がそのように仰いました。

 私も、ライオット様も、さらにこの会話が聞こえている陛下も、疑問はてな顔になってしまいました。

 そんな私たちを目にして、旦那様はどこか気恥ずかしそうに、ご自分の考えを口にいたします。


「いえ……きっとマーリンエルト公王は、クラウス殿下を噂話でしか知らないのだと思うのです。と言いますのも、私の噂話から、昨夕、私の人となりを確認されました。ですからクラウス殿下のここ最近の成長ぶりは知らないでしょう。今のクラウス殿下ならば、公王の娘と結婚なされても、妻に操られるような事は無いと思います。殿下の成長によっては、逆にマーリンエルトに我が国の影響力を強められるかも知れないではないですか。さらに我が国は、帝国から続く血脈を取り込むことができます。さすがに建国から五百年近い我が国ですから、昔のように平民上がりの王を頂く簒奪国家などと言う国は、新政トーゴ王国くらいしかございません。ですがこれで、胸を張っていられるというものです」


 旦那様は、ことさらに痛快そうに笑って見せました。

 その様子にライオット様は目を見開きます。そうして……腹を抱えました。


「……ぷっ!」


 ひとしきり笑ったライオット様に、比較的近場にいた招待客たちが不思議そうに視線を向けております。


「まったく……君という男は……時折、そのように意表を突いてくれる。ウンウン、いいねいいね、その考えかたは良い。……どうですか陛下? このくらい前向きでいた方が気分が良いではございませんか」


「うむ――確かにそうだな。……グラードル卿。お主の前向きさに救われた心持ちだ……」


 本日の晴れ上がった空のような表情になったアンドリウス陛下はそう仰います。ですが、その晴れ間はすぐに曇りがちになってしまいました。


「……だがそのお主に、正統な評価を与えられぬ事がなんとも口惜しい。……本当に良いのか? お主が妻を大事にしていることはこれまでの事で十分に理解しておる。式典でお主が成そうとしていることは、きっと後世でのお主の評価を落とすことになるぞ」


「そのような事……陛下、妻と国の安寧を考えれば大したことではございませんよ」


 そのようにとこ晴れの笑顔を浮かべた旦那様に、私は浮かび上がりそうになる涙を懸命に堪えます。

 このことに関してだけは、旦那様は決して私の説得に応じてくださいませんでした。

 旦那様にとって私の命以上に大切なものは無いのだと……、もしも私を失ったら、旦那様もその場で命を絶つだろうと……そのように言われてしまっては、もう私に説得する術はございませんでした。

 そしてお茶会も終盤に入りました。

 私はこのあと、今回のお茶会でぜひ縁を深めたいと考えていた相手、メルベールお義母様を探して会場を巡るのでした。

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