第154話 モブ令嬢家と貴宿館のお茶会(三)
本館から出た私とシュクルが手をつないで、貴宿館の茶会の本会場である裏庭へと向かおうといたしましたら、貴宿館から出てきたマリーズが私の元へと小走りでやってまいりました。
「フローラ! 先ほど、ミームがマーリンエルト公国の紋章の付いた馬車を見たと言っていたのですが……。しかも、公王陛下夫妻らしき方々が館に入っていったようだと……」
「マリーズ……」
マティウス様たちは、我が家への来訪を隠しているわけではないようですし、彼女はマーリンエルトの人間ですから、べつに話してしまっても問題はございませんよね……。
「……ミームさんが目にしたことは間違いございません。実は、昨夕、オーディエント家のお祖父様が訪れたのですが、その護衛騎士に紛れてマーリンエルト公王様がいらっしゃったのです」
「まあ……、もしかしてそのときお茶会の話を聞きつけて参加したいと仰ったのですか?」
軽く目を見開いてそのように言ったマリーズに、私は頷きます。
それを見たマリーズは、少しあきれ顔になりながら、僅かに視線を下に向けて考え込みました。
「なんともマティウス陛下らしい……。私、挨拶に行ったほうが良いかしら……」
彼女は独り言のように呟きました。……ですが不意に視線を私に戻します。
「アッ、待ってください。そういえば先ほど、護衛騎士に紛れてと仰いましたけど、もしかして陛下と供におられた護衛騎士というのは二人でしたか? ――黒味の強い緑髪の方と、鮮血のような赤髪の美丈夫の方ではありませんでしたか?」
そのように問い掛けられましたけど、私、昨夕はお祖父様の迫力と、マティウス様の独特な存在感に他の護衛騎士の方々にまで意識が回りませんでしたし、先ほども公王ご夫妻に言質を取られないように気を張っておりましたので、そこまで意識しておりませんでした。
ですが……考えてみますと、確かにマリーズがいま言ったような髪色だったような……。
「……たしか、そのような髪色の方々だったと思います」
そう答えますと、マリーズはグッと力を込めるように、腰のあたりで拳を握り込みました。
そしてキッと私を見ます。
その迫力に驚いたシュクルが私の腰に抱きつきました。
「フローラ――、公王ご夫妻との対面で余裕が無かったのは分かりますが……なんと勿体ない。……私、挨拶してまいります……イザーク様とカルステッド様。公国の右剣と左剣の組み合わせが愛で……いえ、見られる機会、そうそうございませんから」
マリーズはそう言い放ちますと、スタスタと本館へと歩いて行きました……。
あの、マリーズ? 目的は公王ご夫妻への挨拶ですか? それとも、護衛のお二方を見に行くことですか?
決断したのは、後のほうだったような気がいたしますけど……。
少し呆然としてマリーズを見送っておりますと、貴宿館の中から誰かの高い声が響きました。
「いまの声……。シュクル、ちょっと貴宿館を見て行くけど大丈夫?」
「……大丈夫なの」
シュクルはキュッと私のドレスの膨らみ部分を掴んで、金と銀の瞳で見上げてきます。
警備の方々がいるとはいえ、今日は大勢の人がおりますし、シュクルを一人で会場のほうへ向かわせる気にはなりません。
私は、シュクルを連れて貴宿館の玄関をくぐります。
貴宿館のお茶会はいま盛り上がりの中にあるようで、裏庭のほうからは、本日のためにレガリア様が招いた、楽隊の方々の奏でる調べが聞こえてまいりました。
本日のレガリア様は、お茶会の進行を担っておりますので、ロメオの演奏ができないことをとても残念がっておりましたが、ときには他の方の演奏を耳にするのも勉強ですねと、なんとかご自分を納得させておりました。
貴宿館は、いまは殆ど人影が見られず、外から聞こえる音と相まって物寂しい印象を与えています。
「………………」
先ほどのような大きな声ではございませんが、誰かが感情にまかせて言葉を言いつのっているような物音が、二階のサロンのほうから響いてきました。
私はシュクルと手をつないだまま、階段を上がります。
「……止めないかメイベル! この間も言っただろ。俺は別に彼女と付き合っているわけじゃない!」
「放してくださいお兄様! ではなんでこの女をここまで気に掛けるのですか!!」
階段を上がってサロンへとまいりましたら、そこでは興奮して取り乱した様子のメイベル嬢の腕を、オーランド様が掴んで彼女を鎮めようとしておりました。
オーランド様がおられれば、このお茶会でメイベル嬢とクラリス嬢が顔を合わせても、問題が大きくならないのではないかと思って招いたのですが、もしかして逆効果でしたのでしょうか?
二人の向こうでは、クラリス嬢がどうしたらいいか分からない、とでもいったようにオロオロとしております。
「皆様! どうなされたのですか!?」
私が、そのように声を掛けましたらキッとメイベル嬢に睨み付けられました。
「フローラさん! 貴女、本当は私に仕返ししようとしていたのね! 私……貴女のこと信じておりましたのに……なんでこの女が、ここの住人になっているのですか! 貴女、私を欺いてこの女とお兄様を近づけようとしていたのでしょ!!」
彼女の瞳には狂気の光が瞬いていて、その視線の強さに、私は一歩後じさってしまいます。
「……私、そのような事は……」
「よさないか! すまないフローラ嬢。メイベルは錯乱しているんだ……」
メイベル嬢の剣幕に、私もどのように言葉を掛ければいいのか分かりません。
シュクルが、怯えたように私に抱きついて、メイベル嬢の視界から逃れるようにスカートに顔を伏せました。
これは……シュクルを連れてくるのではありませんでした。
まさか、このような状況になっていようとは……。
私がそのように、後悔しておりましたら、私の背後からどなたかが駆けて来ました。
その方は、つかみ合っているメイベル嬢とオーランド様をも通り過ぎますと、手を広げてクラリス嬢の前に立ちます。
「メイベルさん――大丈夫です! クラリスさんはオーランドさんとは何でもありません! あくまでクラリスさんの境遇を不憫に思って世話を焼いてくれているんです!」
そのように、クラリス嬢を守るように立ちはだかったのは、なんとリュートさんでした。
これまで知りませんでしたが、リュートさんはメイベル嬢やオーランド様とも面識があったのでしょうか。
彼の言葉は、知人に話しかけているような響きです。
「嘘です! ならなんでお兄様がその女だけ特別扱いしているのですか! ここにこの女を住まわせるようにしたのも、きっとお兄様なのでしょ!」
メイベル嬢は、ボロボロと涙をこぼして吐き出すように言葉を絞り出します。
「メイベルさんは分かってるでしょ。オーランドさんはとても優しい人だって! それに……クラリスさん、いえ、クラリスと付き合っているのは……ボクなんですから!!」
「「「えッ!?」」」
リュートさんが意を決するようにそう仰いました。
ですが……あの、メイベル嬢はそちらを見ておりませんでしたけど、いま、当のクラリス嬢も目を見開いて驚いておりましたよ。
……あっ、もしかして、この場を収めようとリュートさんが機転を利かせてくださったのでしょうか。
「……えッ? そっ、そうなのですか……」
リュートさんの告白の衝撃が私たちの間を通り抜け、メイベル嬢も少し勢いを削がれたようで、目に理性が戻ってきたように見えます。
「そっ、そうだよねクラリス……」
「えッ!? ……ええ、そうですよメイベル様……」
「…………なんだか、ぎこちないです……本当ですか?」
一度は理性が戻ってきたメイベル嬢ですが、ぎこちない二人の様子にまた瞳に危ない光が瞬きました。
「私、だま――ムッ、うぁ、アッ……おっ……兄さま……ムッ…………アッ、なに……を……ンン…………」
「「「…………!?」」」
私たちは息を呑みました。
なんと、また興奮しかけたメイベル嬢の唇を、オーランド様がご自分の唇で塞いだのです。
「……パパとママみたいなの……」
「ああ、シュクル――見てはいけません!」
ぽつりと呟いたシュクルの目を、私は慌てて両の手で塞ぎます。
…………ああぅ、顔が……顔が赤くなるのを隠すことができません……。
口づけを交わすメイベル嬢とオーランド様の向こうで、リュートさんとクラリス嬢の戸惑い顔の中に、どこか薄ら暖かい微笑みが滲んでおります。
あの微笑み……、間違いなく、シュクルの言葉が聞こえておりましたよね。
私が、恥ずかしさに身悶えている間に、オーランド様に口づけされていたメイベル嬢が、クテリとしてしまいました。
失神といったらいいのでしょうか? とても安らかに、幸せそうな表情で……彼女はどこか艶めかしくすら見えました。
「すまなかったねクラリス嬢。……それにフローラ嬢、リュート君も。……君たちは茶会に戻りなさい。ああフローラ嬢、そこのソファーを貸してもらうよ」
オーランド様はメイベル嬢を抱き上げると、長ソファーに横たえました。そうして、とても愛おしそうに、彼女の乱れた髪を整えてあげます。
二人の間に流れる立ち入ることを許されないような雰囲気に、私たちはサロンから立ち去ろうといたしました。
すると、階段のあたりに来たときに、リュートさんがクラリス嬢にぽつりと口を開きます。
「さっきの言葉……ボクは本当にそうなりたい。そう――思ってるから」
彼は、クラリス嬢にそう言い放って、階段を足早に降りてゆきました。
背後から見えた彼の首筋は真っ赤に染まっていて、いまの発言が、彼にとってどれほどの勇気がいるものだったのかを感じさせました。
リュートさんの言葉を受けて、階段の上で立ち止まってしまったクラリス嬢に振り返りましたら、彼女も顔を赤く染めて頬を押さえておりました。
以前少し考えましたが、二人は元々同じ農牧学部に在籍しておりましたし、やはり何か繋がりがあったのかも知れません。
恋の始まりを告げるような二人の初々しい遣り取りに
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