第126話 モブ令嬢と馬車の中(参)
王宮からの帰り道。
ガタゴトと、石畳の路面を走る馬車の車輪の音が小さく耳を打ちます。
馬車の車体の中は、路面からの振動が殆どありません。さすがに王家が利用する馬車ですね。
この形式の馬車に乗るのはこれで六度目になりますが、何回乗っても感心してしまいます。
今この馬車には、前回陛下と謁見したときのようにアンドゥーラ先生とブラダナ様、そして旦那様と私が乗っております。ただ一つ違うのは、旦那様と私の間にシュクルが座っていることで事でしょうか。
シュクルは、あの馴れない会議の場で既に気疲れが溜まっていて、ウトウトしておりましたが、財宝の確認や偽神器の見分で中途半端に起こされてしまって、少しぐずっておりました。
そんなこともあって、馬車に乗った途端、私の腿の上に身体を預けてスヤスヤと眠ってしまいました。
今回も、王宮へ伺うための馬車は、陛下が遣わしてくださいました。
それは、少なくなってきたものの、いまだに我が家には物見高い市民の方々がやって来るからです。
さすがに、その見物人たちも、王家の紋章が入っている馬車に気後れして、私たちが馬車に乗り門の外に出ても追いかけてくるようなことはございませんでした。ですので帰りも大丈夫でしょう。
王宮を出て学園前の街道へと向かう途中、私は口を開きます。
「アンドゥーラ先生。ブラダナ様。いくら何でもあれは陛下に対して失礼であったと思うのです」
私がクルーク様から渡された、財宝の納められた銀糸の布袋。
アンドリウス陛下は財宝以上に、あの大量の財宝が納まる布袋に価値を見いだしておられました。
それが……布袋は財宝を出し尽くした途端に、霞のように消え失せてしまいました。
あの時の陛下の落胆振りといったら、それはお気の毒に思えるほどでしたのに……。
先生とブラダナ様はその陛下を目にして、吹き出すのを堪えるのに必死になっておられました。
それを視界の端に捉えておられた陛下は、あの後しばらく機嫌を損ねておられたというのに……。
「いや……そんなつもりはなかったのだがね。前回のクルークの試練の時のことを思い出してしまってね」
「あの時の陛下の引きつった笑顔も見物だったけどねぇ。陛下も歳をとったというか丸くなったというか、あのような顔をアタシらの前に晒すとは思っていなかったからさ。国からいえば小さな被害で済んで、よっぽど安心していたんだねぇ」
アンドゥーラ先生もブラダナ様も後ろめたい様子を感じさせません。
ブラダナ様に至っては、反抗期を過ぎて、素直な反応を見せるようになった子供を見た親のような反応です。
そんなお二人の様子を目にした旦那様は、半笑いの表情を浮かべておりました。
「まあ陛下も、多数の
取り成すように仰った旦那様は、話題を変えようとするかのように言葉を続けます。
「ところでアンドゥーラ卿。陛下から竜に使う装具のようなものを預かっておられましたが、差し支えなければ伺っても構いませんか?」
アンドゥーラ先生とブラダナ様の間に置かれた大きめの鞄に、旦那様が好奇の視線を送っております。
「あ、ああ、これかい? これは陛下から調べてくれと渡されたのだ。そうだね、君たちにも関係あるか……、これはねグラードル卿のいったように竜に使う装具だよ。君たち……主にフローラだが、君たちが撃墜したトーゴの飛竜に使われていたものだ。……実はね、撃墜されたあの飛竜たちの六割近くは傷も浅く、気絶していたようなものだったらしい」
「え!? それにしてはあの後、騒ぎが起きたような話は耳にしませんでしたが……」
六割もの飛竜が浅い傷で生きていたというのならば、それこそ大騒ぎが起こってもおかしくないはずです。
城壁外周の一
しかしその後、彼らがどのように扱われたのかは聞き及んでおりませんでした。
「それがね、トーゴの躁竜騎士の中にも生きていた者も居たらしいが、あの後、目を覚ました竜たちは彼らの命令を聞かずに飛び去ってしまったのだそうだ。金竜騎士団の者たちの中にその様子を目にしていた者が居てね。その者が言うには、その竜たちは、トーゴの躁竜騎士たちと絆を交わしていた訳ではなく、何かの力で無理矢理従わされていたように感じたそうだ。金竜騎士団の躁竜騎士たちは空中戦を行っていた最中、トーゴ軍の飛竜の多くが練度が足りないと感じていたらしいが、彼は、それを見て腑に落ちた気がしたと言っていたそうだよ。それで陛下からトーゴ軍の飛竜に使われていた装具や、躁竜騎士たちの装備を調べてくれと渡されたわけさ。竜種を無理矢理従わせる
先生は静かな口調で仰っておりますが、薄紫色の瞳には、僅かに怒りの光が宿っています。
「そのような事が……ですが、竜種を無理矢理に従わせるなど……」
私は、自分の腿の上でスヤスヤと眠るシュクルに目を向けます。
この子がもし……誰かに無理矢理従わされたとしたら……、嫌な想像が頭を過って、私はそれを振り払うように軽く首を振ります。
シュクルを挟んで向こうに座っている旦那様が、シュクルを支えている私の手の上に、大きな手を優しく乗せます。彼も、嫌な想像をしてしまったような、苦悶に満ちた表情をしておりました。
ブラダナ様も、憤然とした様子を隠さずに仰います。
「……ああそうさ。それが本当ならね。新政トーゴ王国は竜王様たちの怒りに触れて滅ぼされても文句は言えないよ」
「……そうですね。私も、もしシュクルが誰かに無理矢理に従わされたとしたら……怒りに我を忘れてその相手を討ち滅ぼしてしまうかも知れません」
「君たちは……本当に情が深いのだねぇ。人の姿をしているとはいえ、クルーク様とシュガール様の子を、まるで本当の自分たちの子のように愛情を注いで。……まあ、シュクルが愛らしいことは私も認めるが、相手もいない私には、今ひとつピンとこない感覚だよ」
アンドゥーラ先生はそのように自虐的に仰いながらも、とても優しい視線で私たちを見ておりました。
しばらく、私たちを眺めておられた先生は、突然何かを思い出したような表情をいたします。
「そうだ。そういえば君たちに聞きたいことがあったのだった。私が聞いた話では、君たちが王都へと辿り着いたのはトライン辺境伯領を飛び立ってから二時間半と掛っていない。いくら第一世代の竜だと言っても、どう考えても計算が合わない。いったいどのような奇術を使ったのかね?」
さすがは先生と言うべきでしょうか。
王都へと戻られて、二日ばかりの間で聞き及んだ話の中から、不可思議な点にお気づきになったようです。
「目敏いですね、アンドゥーラ卿。……どう説明するべきか……」
旦那様は、少しの間シュクルに視線を向けて考え込みました。
「アンドゥーラ卿は、私たちがこのシュクルを、クルーク様より託された時の話は、聞かれましたか?」
「ああ、聞いたよ。今日の会議の場では詳細は省いたが、君は延命の為にバジリスクに化身させられていたという話だね。何でもその時に、卵のこの子を腹の下に抱え込んで守っていたとか」
「聞いておられたのなら話が早い。どうも、シュクルはその時に俺の知識を学んでいたらしいのです。その知識の中から新たな魔法を構築したのですよ。おそらくは、私の前世の世界でワープと呼ばれている、瞬間的に遠くの場所へと移動する現象を、魔法で再現したのだと思います」
その言葉を耳にして、ブラダナ様とアンドゥーラ先生は、驚きの表情を浮かべました。
「なっ、なんと、君の前世の世界では瞬間遠距離移動ができたのか!? この世界でも、試みられてはいるが、未だに完成を見ない魔法であったのに……。それを、このシュクルが成したというのかい……そのワープとはいったいどのような理屈なのだ?」
ブラダナ様は思案顔で考え込んだご様子ですが、先生は即座に問いただしました。
「いやアンドゥーラ卿、私の前世の世界でも理屈は考えられておりましたが、実現はしておりませんでしたよ。でも、シュクルが成功したということは、魔法ではその理屈で実現できるのかも知れませんね」
「ふむ……グラードル卿。君、そのワープとやらの理屈を教えてくれないかね」
「……そうですねえ……」
旦那様は少し考えた後、騎士服の隠しより手巾を取り出して広げました。
「私が今わかるワープの考え方とはこういうものです。この手巾の両端を移動する距離と見立てますと、ワープとはこのように端と端をくっつけて移動するようなものと考えてもらえばいいのでしょうか」
旦那様は、広げた手巾を折り曲げてその両端を接地させました。
それを目にした途端、先生は美しい薄紫色の瞳がおさまる目を大きく見開きました。
「……なるほど! そういう理屈か! グラードル卿、君はフローラから聞き及んでいると思うが、魔法とは七大竜王様や六大精霊の力を借りて我々魔法使いの
アンドゥーラ先生は興奮して、何を思ったのか身を乗り出して旦那様の手を取ります。
先生! いったい何を!? 突然のことに私は固まってしまいました。
「グラードル卿……、君の前世の世界というのは興味深いな……今度、じっくり話を聞きたいのだがね……アウッ!」
まるで誘惑でもするような顔つきで旦那様に迫ったアンドゥーラ先生の頭を、ブラダナ様が
「何をやってるんだいこのバカ弟子! 奥方の目の前で」
「……あっ、ああ、すまないフローラ。研究心に火が付いて我を忘れただけだから、他意は無いよ。……だからそのように怖い顔をしないでくれないか」
……私、そのように怖い顔で先生を見てしまっているのでしょうか?
あの……旦那様? 何故旦那様も引き気味になっておられるのですか?
そのあと先生は、神妙そうな態度を取ろうとしてはおりましたが、今にも遠距離移動魔法を試したさそうなご様子で、そわそわと考え込んでしまいました。
「……ああ、しかし、この装具を早急に調べねばならないのか……、くそ、このような時に何故私は引き受けてしまったのか……、いや、だがこれはこれで興味深いし……」
先生が何やら、好奇心の狭間で苦悶しておられます。
私たちがそのような遣り取りをしている間に、馬車は我が家へと辿り着きました。
いまだに見物人が我が家の周りをうろついておりますが、さすがに遠目から見ても高級だと分かる造りの馬車を目にして道を空けます。
その間に門を守ってくださっている近衛騎士の方々が、門を開けて馬車を敷地内へと誘導してくださいました。
「おや、あれは?」
旦那様が、本館の横に置かれた馬車を目にして声を上げました。
本館の玄関前へと横付けされた馬車から降りて、その後この馬車で、ご自身の館へと帰られるアンドゥーラ先生を見送っておりましたら、メアリーがやってまいりました。
「お帰りなさいませご主人様、奥様、ブラダナ様」
ブラダナ様は、今回の件の報償授与式典が終わるまで、これまでどおり我が家に滞在する事となっております。リュートさんもクルークの試練達成者として、式典に参加することが決定しておりますので、その晴れ姿を目にしてからバーンブラン辺境伯領へと帰られるそうです。
「ご主人様と奥様にはお客様がいらしております。ルブレン家のボンデス様とカサンドラ様がお子様を伴って、領地へと帰る前に挨拶したいとのことです」
「まあ! お
「そうか……良かった。兄上も釈放されたのだね」
私はお義姉様と久しぶりに顔を合わせられる喜びに、旦那様は留置されておられたお兄様が釈放された喜びに、共に笑顔を浮かべました。
私と旦那様の間で、私たちと手を繋いでいたシュクルが、そんな私たちを少し不思議そうな表情を浮かべて見ておりました。
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