第97話 モブ令嬢と旦那様と謁見の時(前)
その日、私たちは陛下より遣わされた馬車にゆられて王宮へと伺いました。
旦那様は九日、
その間に、旦那様は軍務部へと出仕して騎士団の職務を開始いたしました。
私は、館にてはレガリア様が主導する茶会の準備を進め、学園ではアンドゥーラ先生と、アルメリアやレオパルド様に協力頂いて戦闘訓練をしたり、図書室にて過去に発生したクルークの試練や、円環山脈の内部に生息するという
過去の事例を見ましても、クルークの試練で口を開く
神話によりますと、魔物たちは、七大竜王様が人間を生み出す際に失敗したモノたちであると言われています。
その中でも、人の手には負いかねる凶悪な力を持つ魔物を、竜王様たちが円環山脈の中へと封じているのです。七大竜王様は、失敗とはいえ生み出してしまった彼らも同じ命だと、滅ぼすことはなされませんでした。
竜王様が棲まう円環山脈も、人類をその魔物たちから守るために創り出されたのだそうです。
私はそのように調べ物などをしておりましたので、謁見までの期間は長く感じませんでした。
しかし旦那様は、この先に起こるかも知れないという事態を考えるのでしょう、時折、焦れたようなご様子をしておりました。
「ふむ。茶会の折りに約束したこととはいえ、謁見の立会人がブラダナとアンドゥーラとは……事前に連絡があって良かったわ。でなければ約束が果たせぬところであった。エヴィデンシア伯爵よ、我は近衛たちを鎮めるのに苦労したぞ。彼奴らは、アンドゥーラが我を毛嫌いしていると思っておるようだからな」
謁見が始まった途端、アンドリウス陛下が、少々辟易とした様子で呟きました。
陛下は精巧な彫刻がなされた豪華な椅子に掛け、盤上遊戯の台より一回り大きいくらいのテーブルの向こうで、旦那様と私に対峙しておられます。
そして、私たちの対峙するテーブルの左右で、ブラダナ様とアンドゥーラ先生が席に掛けておられます。
「それは陛下の信用の無さというものでしょう。私はいつもと変わらずに接しているだけですが」
アンドゥーラ先生は、しれっと言ってのけます。
陛下は、頭痛でも起こしたように軽く頭に手を当て、ゆっくりと首を振りました。
「それがいかんと言っておるのだ……。まったく、おかしな所だけ師に似おって……それにしてもブラダナ。おぬし良く立ち合いを引き受けたのう。王宮は息が詰まると言って出て行ったゆえ、既に王都を去ったと思っておったわ」
そのように言われて、ブラダナ様は少し口を歪めてから口を開きます。
「陛下、以前にも言ったがね、この娘のこれはアタシには関係ないよ。それに、今はエヴィデンシア家に厄介になっているのでね。その礼も兼ねてってわけさ」
「
そのように仰って陛下が笑いました。
ブラダナ様が、リュートさんのことを孫のようなものと仰っておりましたが、本当に血縁がなかったのですね。
ですが我が家にてお二人の様子を見る限り、ブラダナ様が育ての親であることは間違いございませんし、お二人の間には、間違いなく血縁と遜色ない絆がございます。
「ところでアンドゥーラ。この結界は間違いなく外部から遮断されておるのだな。部屋の様子が窺えるから実感が無いが……」
室内に目を向けますと、バララント様式の室内はその特徴である重厚な面持ちで、調度品の数々も精巧な細工が施されたそれは見事な品物が並んでおります。
今私たちが居るこの場は、王宮において外部からの傍聴を遮断して密談するために設けられた部屋なのだそうです。
陛下は、旦那様の要求通り、旦那様が指定した以外の余人を交えず謁見ができる場を整えてくださいました。
しかし旦那様はさらにアンドゥーラ先生に、魔法による結界をお願いしたのです。
「こちらから外部は見聞きできますが、外部からこちらは見ることも聞くこともできません」
アンドゥーラ先生が、ご自分の力を自慢するようにそう言いますと、陛下が少し何かを考え込み、そして私たちの方へ視線を向けました。
「ふむ。なればグラードル、卿の話を聞く前に、しばし時間をもらうぞ。いいかエヴィデンシア夫妻――これからのことはこの場限りの事と心得よ……」
アンドリウス陛下はそう仰いますと、突然テーブルに手を付いて頭を下げました。
「……陛下!? いったい……」
「これは、本来であれば亡きオルドーと、おぬしたちの父、ロバートにせねばならぬ謝罪だ。三十年前――我が父、オルトロスはバレンシオ伯爵の嫌疑よりも王国の利を取った。あの時、父が調べる気にさえなれば捜査は続いたのだ……だが、実利のために父上はエヴィデンシア家を犠牲にした。……そして、父の後を継いだ我もまた、バレンシオの実利を取った。彼奴がエヴィデンシア家に働いておった横暴を耳にしながらもな……」
頭を上げた陛下のお顔には、明らかな悔恨の表情が浮かんでおりました。
「陛下……バレンシオ家の実利とはいったい何なのですか? 私もエヴィデンシア家に入ってよりバレンシオ家について調べられるだけのことは調べましたが、ついにかの家の内情は掴めませんでした」
「……バレンシオ家は
陛下が、吐き出すようにそう仰いました。
「かの家は新政トーゴ王国が建国されて以降、大功を立てた際には過去の地位――公爵位にての帰属を条件に、かの国より我が国の情報を流すように内命されておった。前バレンシオ伯爵、モーセスは、それを我が父オルトロスに告白した。そしてそのつてを使い、逆に我が国が有利になるように情報操作をするとな。してその功が認められた暁には領地を与えてほしいと懇願したのだ。新政トーゴが出した条件は、一見魅力的だが、実現できるようなものではないと、モーセスは理解しておった。……モルディオも父のように忠勤に励めば、とうに悲願を果たせておったものを……」
アンドリウス陛下は一度、遠くを見るように視線を空中に向けて、そして私たちの方へと戻しました。
立ち合いを任されたブラダナ様は、この話にはあまり興味が無いご様子でおられます。アンドゥーラ先生は静かに聞いておられますが、好奇の光が薄紫の瞳から漏れ出しております。
「新政トーゴ王国と我が国はトライン辺境伯の領地にて国境を接しておるが、トライン辺境伯領は黒竜戦争以前は、トーゴ王国の領地であったことは知っておるな」
かの地は、様々な鉱石の鉱脈を抱える鉱山が存在する優良な領地です。
トーゴ王国が滅んだ黒竜戦争後の混乱期に、生き残ったトーゴ王国の貴族たちがその利権を巡って陰惨な戦いが繰り広げられた場所でもございます。
それでなくとも疲弊していた、かの地の民たちはその内戦に辟易として、当時オルトラントの領地を平定した建国王クラウス様に、かの地をオルトラント王国に併合することを望んだのです。
クラウス様は十数年に及んだかの地の争乱をたった三月で納めてしまいました。
それ以後かの地は、王の信頼厚い辺境伯が治める辺境伯領となったのです。
「六〇年ほど前に新政トーゴ王国が勃興して以来、かの国は鉱山目当てにかの地と、マーリンエルト公国の領地を虎視眈々と狙っておる。バレンシオには、常には我が国の知られても困らぬ情報や、有用そうに見える情報を流させて、トーゴ王国がかの地を攻める兆しを捉えたら、奴らをこちらの思惑通りに動くような情報を流させておった」
陛下の言葉に、旦那様が何かに思い至ったご様子で口を開きました。
「まさか……それでですか、これまでトライン辺境伯領での戦いは、我が国の兵の損耗が余りにも少ないので疑問に思ったことがあるのです。基本的に防衛戦だからかと思っておりましたが、地形的には不利な場所なので不思議に思っておりました」
旦那様が不利な地形と言ったのは、トライン辺境伯領がオルトラント王国の領地としては治めづらい、小さな山脈の向こう側にあるからです。翻って新政トーゴ王国からは、大河を一つ挟んでいるだけの平地続きの土地なのです。
「つまりはそういう事だ、前王オルトロスと、我、アンドリウスは、トライン辺境伯領の安寧とエヴィデンシア家を天秤に掛けて、トライン辺境伯領を取ったということだ……」
旦那様は静かに唇を噛みしめました。
陛下から見えないテーブルの下で、私の手にその手を重ねて、
きっと旦那様も、今私が考えているのと同じ事を考えているのでしょう。
バレンシオ家の流した偽の情報によって守られたのは、きっとトライン辺境伯領だけではございません。
その地に暮らす人々……そして、領地を守る兵たち。
今回のように完全にバレンシオ伯爵の罪が暴けなかった三〇年前、私たちが陛下の立場であったらどうしたでしょうか……。
「三十年前のあの嫌疑が無ければ、バレンシオ伯爵家にはとうに領地を与えておった。結局は己の犯した罪によって願いは潰えたのだがな……あの者たちは、それを王家への恨みに変えておったということだ」
アンドリウス陛下は、赤銀の瞳に厳しい光を湛えて仰いました。
そして今一度居住まいを正して旦那様と私を正面から見据えます。
「我の謝罪の意味はそういうわけだ。できることならばロバートが王宮に訪れたおりに、このように謝罪したかった……だが、王は頭を下げられぬ。王宮とてどのような目があるか分からぬ――王は弱きところを見せるわけにはいかんのだ」
その様子を見て、ブラダナ様が呆れた様子で口を開きます。
「また、厄介な……。王家ではいまだにそのような事を言っているのかい」
「ブラダナ――そう言うな。建国王クラウスから続く我が家の家訓のようなものなのだ」
アンドリウス陛下は、私たちがこれまで拝見したことのない少し情けなさそうな表情を浮かべましたが、すぐにその表情を収めて、私たちに視線を戻します。
「……おぬしたちは、ドラグ帝国最後の皇帝、ディーンの事を知っておるか?」
旦那様は思い至らないご様子ですので、私が答えます。
「黒竜戦争の折り、建国王クラウス様と友誼を深めたお方であったと記憶しておりますが」
「そうだ。建国王クラウスは黒竜戦争の折り、様々な友を得たが、共闘した他国の貴人たちの中で最も友誼を深めたのがディーンだった。それこそ義兄弟の契りを交わすほどにな……。ディーンはそれは清廉な人柄であったそうだ。己に僅かでも誤りがあれば配下の者にさえ頭を下げるような男であったと……だが、それが災いした。黒竜戦争後の混乱期、配下の者たちに柔弱であると侮られて、ディーンは反乱によって伐たれてしまった。オルトラント王国、建国間もない時期のことだ。クラウスは怒り狂い、ディーンの救出に向かおうとした。だが、オルトラントもこの地を平定するための混乱の中にあり、それも叶わなかった……」
アンドリウス陛下は、過去を振り返るように、遠くを見つめて続けます。
「その後、建国王クラウスは少し変わったそうだ。それまでは配下の者たちに感情の全てをさらけ出すような男であったそうだが、配下の者たちに弱みを見せなくなった。それによって黒竜戦争を戦った仲間の中には、離れていった者もおるが、王国は盤石のものとなっていった。……王家では、この話を幼少期から家訓のように言い聞かされておる。王とは国を纏める機関の一部なのだ。柔弱な部品であっては国が滅ぶ……俺とて、王位を父オルトロスより継ぐまで実感は無かったがな……」
そう仰るアンドリウス陛下の様子を目にして、旦那様が口を開きます。
「陛下は……そのように心を殺して王として生きておられるのですか。辛くはないのですか?」
そう言った旦那様の方が辛そうに見えます。
「少ないながらも、我の心の内を理解してくれる者があるからな…………おお、そうであった。おぬしたちにディクシア法務卿より伝言があったのだ。既にすんだことではあるが、あの茶会の折り、アンドゥーラが見せた竜の逆鱗にあった記憶の中に重大な証拠が眠っておったそうだ」
陛下は旦那様に答える中で思い出したように仰います。……陛下はディクシア法務卿に信頼を置いておられるのですね。それにしましても、重大な証拠とは何でしょうか? 私たちが記憶を見たときには、その記憶の持ち主である竜が、人に捕らわれた事しか分かりませんでしたが。
「それはいったい?」
旦那様も同じように考えたのでしょう、陛下に問いました。
「あの記憶によって、三〇年前、証拠を手に姿を消した騎士の消息が掴めたそうだ。……その様子だとブラダナもアンドゥーラも、おぬしたちには話さなかったのだな。話しても問題ないかブラダナ?」
「ああ構わないよ。エヴィデンシア家は十分に関係者だからね」
気遣うように仰った陛下に、ブラダナ様はいつものようにぶっきらぼうなご様子でおっしゃいます。
それにしましても、お祖父様が証拠を託したという騎士の消息があの記憶の中に紛れていたとは……オルタンツ様も当時はまだ十代前半であったはずですが……良くその方のことを覚えておられたものです。
「あの後、オルタンツが逆鱗の記憶を今一度調べたいと言いだしてな。ブラダナより逆鱗を借り受け、アンドゥーラに協力してもらって調べ直したのだ。その結果、白竜の愛し子、リュートの父親はその騎士であったことが判明した」
「まさか……、と言うことはやはり――リュート君の母親はその逆鱗の持ち主だったのですね!?」
口に出してから、旦那様はアッ、という顔をいたしました。
陛下は、その様子を見逃さず旦那様に鋭い視線を送ります。
「おぬし……何でそれを知っておる?」
ブラダナ様も、目を眇めるようにして旦那様を訝しげに見やりました。
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