第47話 モブ令嬢と聖女と王子様

 旦那様たちが、ユングラウフ平野に演習に向かわれて五日、今日は白竜の日月曜日になります。

 屋敷に帰っても旦那様が居ない日常というものが、これほど心寂しいものなのだと私は初めて知りました。

 もはや私の人生には旦那様がなくてはならないのだと感じます。

 旦那様が仰っていた通りなら、帰ってくるまであと二日のはずです。待ち遠しくてしかたありません。


 またセバスやメアリーは、この間にバレンシオ伯爵がらみのトラブルが起こるかも知れないと気を張っております。

 捜査局の方たちも影からリュートさんとマリーズを警護してくださっているようです。

 アンドルクの関係者も街の要所で私たちの身辺を守ってくださっておられるとセバスから教えられました。旦那様は既にご存じだったそうです。

 おそらく、それを私が知ったら、日常生活で不必要に気を張ってしまうと、黙っておられたのではないでしょうか。


 学園でそのような事を考えながら、昼前の授業を受けてしまっておりました。

 昼前の授業が終わりますと、旦那様が居ないと分かっているのに修練場に目を向けてしまいます。

 修練場では先ほどまで、今回の演習から外れた騎士団の方々が訓練をしておられました。

 私、このように、ふとした日常の合間に旦那様の影を追ってしまうのです。

 そうして、静かにため息をつきます。


「やはりフローラは私の同士なのですね……グラードル卿が居なくてもこのようにして、彼らの修練を眺めて、ため息をついているのですから。私、やはりあれは至高のものだと思うのです」


 後ろの席からマリーズがそう声を掛けて来ました。


「性を超越した愛こそ、至高だと思うのです!」


 そう言ってマリーズは席から身を乗り出して力説いたします。

 私と旦那様は、旦那様のお心の枷のようなもので一年間はその身を交わさないと約束しております。しかし私と旦那様は互いに愛を誓っておりますので、マリーズの言うところの至高の愛なのでしょうか?

 ですが――私そのような話をマリーズに致しましたっけ?

 ……若干、何かが違っているような気がしないでもないのですが、マリーズは私を励まそうとしてくれているのでしょうか?


 そのような話をしておりましたら、私たちの横合いに誰かが立ちました。

 私とマリーズは同時にその方に目を向けます。

 そこに立っていたのは、黒く見えるほどに濃い青髪に、紫色の瞳をした男性でした。年齢は私たちとそう変わらないと思います。

 整った顔立ちをしておりますが、勝ち気そうな少しつり上がり気味な目をしていて、さらに口角が不満げに下がっておりますので、我が儘な少年のような雰囲気を放っております。


「ふーん、お前が聖女か。おい聖女とやら、お前は何故我が父上に何の挨拶もせずに我が国に居るのだ」


 その少年は、外見と同じように横柄にマリーズに向けてそう言い放ちました。

 隣にいる私の事はまったく目に入っていない様子です。

 しかし、七竜教の聖女であるマリーズに対してこのような態度を取るということはそれなりの地位の方ではないでしょうか? それに、いま我が国と仰いました。父上に何の挨拶もなく――とも、まさか! この方は……。


「………………」


「……おい、聞いているのか聖女とやら」


 彼は焦れたように、無視を決め込んだマリーズを睨み付けます。


「私……無礼者と話す口は持ちません」


「なっ、無礼者はお前であろうが! 先だって王宮から神殿に使いは出したと聞いているぞ」


 やはりそうです。この方は年齢から考えても、第三王子……


「はあ、はあ、お待ちくださいクラウス様! 学園の中でそのような無作法な態度を取りますとファーラム様に叱られますよ!」


 私がその方の名前に思い至ったとき、廊下を駆けてこられたらしいレガリア様が教室へと入って来られました。

 クラウス様が、ゲッとでもいうような顔を致します。


「なっ、レガリア、貴様、ファーラム老に告げ口したわけではあるまいな」


 そう会話をする間にレガリア様はクラウス様とマリーズの間に立ちはだかるように静かに入りました。


「それに、聖女様は神殿の正式な手順を踏んでオルトラントに留学なさっておられるのです。王宮へと招きたいのでしたら、神殿からの返事をお待ちください」


「クッ……面倒くさいことだ」


 クラウス様は、本当に面倒くさそうにそう言い捨てました。

 不意に、クラウス様の視線が私と合います。


「ところで、この貧相な娘は何だ。このように聖女と向き合って話して、やけに聖女と仲が良さそうではないか。まるで農奴のような髪と瞳をしているのに……まさか聖女のお付きまで学園に通っているのか?」


 クラウス様がそう言った瞬間、レガリア様の雰囲気が変わりました。


「クラウス様……いくらクラウス様とはいえ我が友を誹る事は許しません! 彼女はれっきとした我が国の爵位を持つ伯爵家の令嬢です!」


「レガリア……まさか!? 最近できたお気に入りの娘というのはこの娘のことか! このような貧相な……」


「……クラウス様」


 レガリア様の声の調子が一段下がります。お名前を口にしただけなのですが、背筋がゾクリとするような迫力がございます。

 クラウス様のお顔から血の気が引きました。レガリア様の表情は私の位置からですと確認できませんが、クラウス様の表情は恐ろしいものでも見ているように固まっております。


「わッ、悪かったレガリア。お前の友を誹るつもりはなかった。……聖女マリーズ、神殿には貴女を招く旨の使いが行ったはずだ。色よい返事を待っているぞ」


 そう仰いますとクラウス様は、踵を返してズンズンと歩いて行ってしまいます。

 そういえば、旦那様が聖女様が来たということは、いつか王子が来るかも知れないと仰っていましたが、まさか旦那様がおられないときにこのようにして現れるとは思いませんでした。


 確か旦那様のお話では、リュートさんがマリーズをヒロインとして選んだ場合。マリーズを巡って争うのが第三王子であるクラウス様であるそうです。

 ですが正直申しまして私が見たところ、いまのところマリーズにとってリュートさんは、貴宿館の同居人としては親しくしておりますが、基本的に白竜の愛し子という存在以上のものではないと思われます。


 結局マリーズは宣言通り、あの後一言も発せず虹色の瞳で、いまの遣り取りを静かに観察しておりました。


「あの方は……第三王子クラウス様ですよね。レガリア様とは一体どのようなご関係ですか?」


 クラウス様が教室を出て行ってからマリーズが、レガリア様にそう問いました。


「そうです。彼はオルトラント王国、第三王子クラウス・モーティス・オルトラント。私の母が彼の乳母だったのです。そして、いまも教育係として王宮へ出仕しております。その関係もあって私も幼い頃からクラウス様の事はよく存じております」


 レガリア様はそう仰い、小さな声で「お母様にもっと厳しく教育するように言っておかなければ……」と呟きました。


「それに致しましても、申し訳ございませんマリーズ様。七竜教と王家は対等の関係でございますのにあのように頭ごなしに……」


「いえ、大丈夫です。子供の言ったことですから……それに、この場では私、学生という立場ですしね」


「ありがとうございますマリーズ様」


 レガリア様がマリーズに礼をいたしましたのは、マリーズが、『子供のやったことにしましょう。それに自分はここでは神殿の人間ではないという建前なので、今回のことは不問にしますよ』と、言外に言ったからです。


「ですが、クラウス様は私たちとそう年齢が違わないと思うのですが、学園には通っておられないのですね」


「はい、アンドリウス王は学園に通わせたいと思っておられるようなのですが、王太后様が古い考えのお方ですので……」


「……しかし、レガリア様に来て頂いて助かりました。私、もう少しあのように言い募られていたら、何をしでかしていたか分かりません」


 そう言って、クフッと暗く笑います。あのマリーズ、その笑顔は聖女としてどうでしょうか?

 私も、これまでのお付き合いでマリーズが、聖女という呼び名から想像されるような方ではないと理解はしています。それに、七竜教で聖女とは、竜王様のお言葉をその御前にまみえずとも聞くことのできるお力を持つ方のことを言うのだとも、貴宿館に彼女を受け入れて初めて知りました。

 私はそれを知っておりますから良いですが、他の方にそのような姿を見られたら、神殿としてはよろしくないのではないでしょうか。

 幸い、レガリア様は大人の女性のような包容力を以て、気にした様子を見せませんでしたので良かったのですけれど。


「どちらに致しましても私、王宮には出向くことになるのでしょうね。いま、マーリンエルトの神殿と調整しているところなのです」


 マリーズがその表情を、聖女にふさわしいものに戻してレガリア様に言いました。


「そのときにはきっとリュートさんやフローラたちも、王宮に招かれることになると思うわ。だから、フローラもバリオンの練習はしておいた方が良いですよ」


 マリーズの言葉を受けて、レガリア様は私に視線を向け、母親のごとき優しいお顔で私にそう仰います。


「それは……一体……」


「私、王宮に招かれるときにはいつもアンドリウス様の御前でロメオの演奏を致します。今回は一緒に演奏できたら良いですね」


 そう言ってニコリと笑顔を浮かべられました。と言うことは、マリーズが招かれるときには、レガリア様も招かれることが決定しているということです。それに、そのようなお顔をされては、とても嫌だと断ることはできません。

 旦那様、どうしましょう……私、もしかすると王様の御前でバリオンの演奏をしなければならないかも知れません。

 私は、僅かに身体が震えるのを止めることができませんでした。

 このようなときに旦那様が近くにおられればそれだけで安心できるのですが……旦那様、早く帰ってきてください。





 昼に、第三王子クラウス様が学園の教室に現れるという予想だにしない事が起こりましたが、昼後はおかしな事もなく専攻学部の授業を終了して学園を出ました。

 マリーズは昼の出来事がございましたので、一度神殿に行ってどのようになっているか確認してくると言っておりました。

 リュートさんは、同じ基本教室のご友人と冒険者登録をするとか言っておりましたが、冒険者というのはあの、王都で雑事を引き受けたり、王都近郊で薬草の採取や害獣の討伐をするというお仕事だと聞き及んでおります。

 学園の授業料や貴宿館の家賃はアンドゥーラ先生やブラダナ様から払われています……お小遣いがほしいのでしょうか?

 白竜の愛し子に危険なことはしてほしくございませんが、アンドゥーラ先生がお止めにならないのならば、大丈夫ということかも知れません。


 結局、私は一人で屋敷へと帰ることとなりましたので、途中寄り道することもなく館まで歩きます。

 私が屋敷の門をくぐりますと、本館の前に旦那様の愛馬フォルクが佇んで居るのが見えました。


「旦那様! お帰りになったのですね!」


 私はうれしさのあまり、玄関へ向けて駆け出してしまいました。玄関ポーチの三段階段を飛び跳ねるようにして駆け上り、扉を開け放ちます。


「旦那様! お帰りなさいませ!」


 そう言ってエントランスに駆け込みますとそこには……、フルマとチーシャが息を切らせて座り込んでおりました。

 その周りには、お父様とお母様、そしてセバスとメアリーが立っております。


「フローラ……」


 口を開きかけたお父様が、少し言いよどむようにして私から視線を外しました。

 お母様も、どこか顔色が優れません。


「……お父様、一体……どうしたのですか? あの、フルマ、チーシャ――旦那様は?」


「申し訳ございません。あたしたちが付いていながら……」


 私の問いかけに返ってきたのは、何故か謝罪の言葉です。

 そして、言葉を続けることができなくなってしまったお父様に変わって、セバスが口を開きました。


「奥様、お心を確かにお聞きください……」


 皆の態度と、その言葉に不安を掻き立てられ、私の心臓がドクドクと――耳に響くほどに高く鼓動を刻みます。

 反して、頭からは急速に血の気が引いて行くのが分かります。


「旦那様が……何者かに拉致されました」


 その言葉を聞いた途端、目の前が暗くなりました。

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