第29話 モブ令嬢と馬車の中
ディクシア法務卿主催のお茶会が終わり、私たちは法務卿が手配してくださった馬車に乗り帰路についております。
時間は
上空には月が浮かび、満天の星が輝き広がる夜闇の中を馬車が進んでゆきます。
最新式の馬車は、石畳の凹凸の衝撃を乗客にほとんど感じさせません。このような馬車に乗ってしまいますと、次に市井の辻馬車に乗るのが苦になってしまうかもしれません。
旦那様の前ではリュートさんが、髪と瞳だけでなく身体まで白んで見えるほどグッタリとしております。
劣らず、アルメリアも疲れているようで、私の前でうつらうつらとしております。彼女もお茶会の間中ずっと、リュートさんとお近付きになろうと迫ってくる令嬢たちをあしらっておりましたので、精神的に疲れているかも知れません。
法務卿の館を退出する際、レガリア様には『是非、学園では私の事を訪ねてくださいね。私、奏楽学部のロメオ学科にいつでもおりますので』と、手を取って言っていただきました。
もちろんレガリア様の好意を疑うつもりはないのですが、先ほどの書斎での話を思い出しますと、ディクシア法務卿の影を感じずにはおられません。
私がレガリア様と懇意であるとの話が学園で広まれば、学園内で私の身の安全が高まることは必定でしょう。これはメイベル嬢による嫌がらせからという意味以外でもです。
私の隣では旦那様も、先ほどの法務卿たちとの会話を反芻しておられるのか、思考の沼に沈んでおられるようで、不思議な響きの言葉での独り言が漏れております。
「『……しかし、ウチの嫁凄くね。バイオリンの巧さ何なのあれ!? 心が震えたよマジで。……まさか、まだまだ隠し球がある訳じゃないよね。これで、ドジっ子属性まで持ってたら。嫁界のパーフェクトソルジャーじゃね』」
いまバイオリンという言葉が聞こえましたが、もしかして旦那様の言葉でバリオンの事でしょうか? 初めて、旦那様の言葉で理解できそうな単語が見つかりました。
「『そういえば、ゲームの中でアンドゥーラが、しず○ちゃん並みの殺人音波で主人公を失神させてたときに、『あの
それにしましても、先ほどの話を考えておられたと思ったのですが、私のバリオンの演奏を思い出していただいているのでしょうか。……何でしょう、うれしさが込み上げてきます。
「『それに、ここで出てくるかロールママン。アルベルトの思い人だからか? それにしても現実になるとアンタ本当に一七歳? 感がスッゲー。ウチの
アルベルト様の名前が出ました。そういえば、今日はアルベルト様のお姿をお見かけしなかったような……。
主催のご家族が姿を現さないということはお茶会では珍しいことです。オルタンツ様の奥様は、出席なされたお客様への対応で、家政婦と共にめまぐるしく歩き回っておられました。ご弟妹もサロンで見かけた気がいたします。
「『……だが、問題はバレンシオ伯爵か……こればっかりはゲームは関係ないから、気を引き締めていかないと……。ゲームの中にバレンシオ伯爵の名前はなかった。考えてみると
いま、バレンシオと聞こえました。やはり、先ほどの話も旦那様の頭の中に渦巻いておられるようです。
しかしいま、オーランドという名前も出ましたが、おそらくはメイベル嬢の兄上、三年に在学しておられるオーランド様の事でしょう。旦那様は彼と面識がおありなのでしょうか?
……私、嫌な記憶を思い出してしまいました。
学園中等部に入学した際、一度オーランド様に、酷くからかわれたことがあったからです。
当時、多くの方々から農奴娘と蔑まれておりました私のところに、数人の友人とわざわざ確認に来られて、ジーッと私の顔を見たあとに、軽い蔑みの表情を浮かべて『おいお前、お前のような娘はこの先結婚などできないだろう。ボクの靴に口づけをすることができたら、将来妾のひとりに加えてやってもいいぞ。どうだいいい条件だろう』と仰ったことがございました。
さすがに、私もムッとして睨み付けてしまいましたが、『……まあ、考えておきたまえ』と言って去って行かれました。
考えてみますと、その後からでしたでしょうか、メイベル嬢の嫌がらせが始まったのは。
私がお兄様に反抗的な態度をとったのが、腹に据えかねたのかもしれません。
「『でもこれで、主人公、ヒロイン二人。ライバルのレオパルドは出てきた。名前だけ出てきたのは、アルベルト……あれ、そういえば今日はいなかったような……まあ今のところは問題ないだろう。それよりも一番出てきてほしくないのは聖女かな。彼女が出てきたら、王子が付いてきそうだもんな。……しかし、ああ~~~~っ、頭の中がこんがらがってきた。うちに帰ったらノートに書き出さないと相関関係が分からなくなりそうだ』」
旦那様が頭を掻きむしっております。
確かに、法務卿たちの思惑通りに事が運んだのでしたら、今日私たちが法務卿のお茶会に参加したことはバレンシオ伯爵に筒抜けでしょうし、途中、法務卿と密会をしたことも知れることでしょう。
バレンシオ家の抱えるという、無法の者たちがどのような行動を起こすか分かりません。……きっと法務局でも対策はするのでしょうが、私どもも万全の備えをしておかなければ。
「『それにしてもうっかり口に出しちまったが、捜査局の制服の話は不味かった。あいつらそれこそ隠密みたいなもんだもんな。ゲームでもグラードルが断罪されるときに初めて出てきたんだし。でもまあ、ライオットは少し気にしたみたいだけど、秘密組織じゃないはずだから、そこまで大きな問題にはならない……よな?』……ん?」
馬車が我家が在る通りに入り、少ししたところで私は、旦那様の腕に軽く触れました。
「旦那様……そろそろ屋敷です」
「ああ、ありがとうフローラ」
「アルメリア、リュートさんも屋敷に到着しますよ」
暗闇の中、屋敷の門に備え付けられた門灯の光が見えてきました。
馬車は暗い道を進み、速度を落として行き我家の門を通り抜けます。その後さらに速度を落として本邸の前へと進んでゆきます。
「……? あれは……?」
「ん、なんだいあの派手な馬車は?」
「え? 何ですか、うわぁ、あれは凄いですね」
本邸の前まで来ますと、その先右手の方に見える貴宿館の前に、馬車が止まっておりました。
白い車体の、見事な装飾がなされた大型の馬車が、館の玄関ポーチに備え付けられた室外灯と、窓から溢れる光に照らし出されております。
私たちがいま乗っている馬車よりも、遙かに高価な物であると見た目だけでも分かります。
「……まさか……嘘だろ……」
その呟きに、絶望したような響きを感じて、旦那様を見ますと。
馬車の窓から差し込む月光だけでも分かるほど、顔から血の気が減り蒼白になっております。
「旦那様!?」
私が旦那様にそう声を掛けたところで、馬車が本邸の前で止まりました。
すると、それを待っていたかのように本邸のドアが開きセバスとメアリーが足早にやって来ます。
御者が素早く御者台から降りて、車体の下から踏み段を引き出してドアを開けました。
御者の手を借りて私たちが馬車から降りますと、セバスが口を開きます。
「旦那様、奥様、お帰りなさいませ。お客様がお待ちでいらっしゃいます」
「リュート様、アルメリア様お疲れ様でございました。ご主人様たちは客人がございますのでお二人はこちらへ」
そう言って、メアリーが二人を貴宿館へと連れて行きます。
それを確認すると旦那様はセバスに近づいて、どこか覚悟を決めたように口を開きました。
「もしかして……だが。聖女――様だろうか?」
「ご慧眼の通りです。急ぎ連絡をと思ったのですが、『こちらの都合で訪ねたのだから』と、お待ちになっておられます」
「旦那様……聖女様、というのはもしかして、七竜教のですか!?」
私は驚いてしまいました。七竜教の聖女様といえば、竜王様からのお言葉を御前にまみえずとも聞くことができるという、徳の高さをお持ちだと聞き及んでおりましたから。
「ああ、あの馬車の車体にある紋章は、七竜教のモノだろう。あれに乗れるのは教皇様か聖女様くらいのはずだ。それにしても……『なんで、そっちから来るかな!』」
「でもいったい何で?」
「それはもう、リュート君だろうね原因は……」
私の疑問に、旦那様が貴宿館の中に入ろうとしているリュートさんを見て言いました。確かに、考えてみれば旦那様の言う通りですね。
以前の『白竜の愛し子』様は、当時の聖女様と結ばれたのです。
本来巫女は結婚することができないのですが、当時の聖女様は復飾なされて結婚なさったそうです。
以前話した、当時の冷害の事もございますが、『白竜の愛し子』様と結ばれた聖女様のおかげで、あの時代神殿の権威は最も高まったと聞き及んでおります。
そう考えますと、これは聖女様が望んだことなのでしょうか? もしかすると神殿が権威付けのためにお二人を妻合わせようとしている可能性もございます。
「まあ、どちらにしても話を聞いてみないことには何も分からない」
「それにこの時間です。セバス、客間の準備を整えておいてください。お付きの方もおられるのでしょう?」
「それにつきましては、大旦那様と大奥様から言いつかって既に準備は整っております」
旦那様はその返事を聞きますと突然、パンッ! と両の手で頬を張って、「よし、では行こうか」と覚悟を決めたように玄関へと向かいます。
私も、旦那様に遅れないようにと、その背を追ったのでした。
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