第19話 モブ令嬢とやって来た主人公

 午後になり、私が教室へと戻りますと、昼前には騎士就学生として合同訓練に参加していたアルメリアが席に掛けておりました。

 どうやら、私と入れ違いになったようです。


「アルメリア……」


 私はアルメリアに声を掛けようと思いましたが、旦那様に組み伏せられていた彼女を思い出して声が籠もってしまいました。


「ああ、フローラ。今日から登園してたんだね。グラードルが居たからもしかしてとは思っていたけど……」


 アルメリアが私に気付いてそう言いますが、彼女の表情はまるで夢の中でも漂っているようです。


「あっ、あの、アルメリア?! どうしたのですか?」


「えッ、どうしたって……?」


「その……様子がおかしいですわよ?」


「そうかい? いつもと変わらないと思うんだけど……」


 そう言いながらも、まだどこか視線が宙をただよっているようです。


「……グラードルのヤツはやっぱりひどいヤツだったよ。すっかりだまされた」


「……どういうことですの?」


「いや、昼前の合同訓練でね……前に話した、総当たりがあったんだよ。私はもっと早く、ヤツが元気なうちに戦いたかったんだけど後回しにされてしまってね。やっぱりそんなところでも女の地位は低いね……」


  アルメリアが悔しそうに下を向きました。


「あの……アルメリアは、もしかして旦那様と何かあったのですか?」


「フローラ、君に話して良いのか…………合同訓練の時に、その、胸や尻を握られたり……とか……」


 アルメリアが両の手を握り、なんだかモジモジしております。


「まあ、そんなことがあったから、その、君には悪いと思ったんだけど、意趣返しをしようと思ったんだ」


 それで旦那様と戦うことになったのですね。それに旦那様がアルメリアの名前を聞いて驚いていた理由が分かりました。

 原因があったのでしたら、私がアルメリアに対してわだかまりを持つことは旦那様も望みはしないでしょう。

 しかも結果としては、旦那様がアルメリアを痛めつけてしまったようですし、かえって申し訳ない気持ちが残ります。


「だけどもう疲れ果ててボロボロだと思ってたから、油断してしまって――手首をとられて後ろ手に固められてしまったんだ。しかもあいつ、まったく手加減がなくて、フゥ……スッゴく――痛かったんだ……ファ。しかも……私の上で気絶したもんだから肩の骨が外れるかと思ったよ――ファ」


 なんでしょうか。先ほどからアルメリアの口から出ているのは旦那様に対する文句なのですが、その言葉と彼女の態度がかみ合っていないような気がするのです。


「しかし、あれは凄かったな……うん、あれはイイッ……。あいつ剣を持ってない方が強いんじゃないかな? ちょっと特殊な格闘術のようだったから、後で聞いてみたんだけど、なんだか変な発音の言葉で『逮捕術』とか言ってた。あれはイイね、殺さずに苦痛を与えて拘束できるのが特にイイッ」

 

 アルメリアは少し興奮したように頬を染めています。その顔もどこかゆるんだような笑みが薄く滲んでいて、やっぱり、言葉と態度がかみ合っていない気がします。

 私がなんともいえない微妙な違和感に蝕まれておりますと、彼女が何かを思い出したように表情を改めました。


「ああそうだった。貴宿館の話だけど、学園からの許可は貰ったから、いま飛竜使ひりゅうしをお願いして顛末の報告と、あとは父上のサインと紋章印を契約書に頂く手筈になっている。遅くとも明日には返事が返ってくるんじゃないかな」


「まあ、それならアルメリアが貴宿館の初めての住人になるのかもしれませんね。私、楽しみです」


「私も嬉しいよ。ああ、それから家賃だっけ、ひと月四金貨シガルだって聞いたけど、本当に良いのかい? 私がいま借りてるところは長期宿で、月の借り賃は二金貨シガルだけど、食事無しだし、侍女が一人付いてきているから月五金貨シガルくらい掛かってるんだ。君のところは四金貨シガルで食事と使用人が付いているって聞いたんだが、えきは出るのかい?」


「改装の費用などが掛かっておりますし、使用人もおりますので、部屋が全部埋まることが必要なのですけれど、部屋さえ埋まれば二年のうちには利益が出るだろうとのことです」


「そうか、それでフローラも助かって、我家も侍女を戻せるし、月に一金貨シガルの蓄えができるなのならばこれ以上のことはない」


 結局最後にはいつものアルメリアに戻っておりましたので、会話の最中に感じていた微妙な違和感を私は忘れてしまいました。





「こちらに、フローラ・オーディエント・エヴィデンシアがいると聞いたのだが、どなたかな?」


 昼後の授業時間も終了して、帰ろうと支度をしておりました私は、教室の入り口で名前を呼ばれて振り返りました。


「私がフローラ・オーディエント・エヴィデンシアですが……アルベルト様!?」


 ディクシア法務卿の長男で、二学年のアルベルト・ロリエンス・ディクシア様です。

 背が高く、法務卿とよく似た顔立ちに、同じような濃い緑の髪をしていて、瞳の色は法務卿と違い薄い橙色をしております。そのせいか父親よりも活動的な雰囲気です。

 彼は、私を確認すると、一瞬驚いたような表情をした後、その表情を消しました。

 私を初めて見た方がする反応の一つです。

 蔑んだ表情をされることが一番多いのですが、いまの表情はその次によくされます。大概の人はその後私を無視なさいます。

 むしろ、入学時に農奴娘と貶められていた私を守ってくれたアルメリアの方が変わり者かもしれません。


「……父上からこれを預かってきた。君たちを茶会に招待したいそうだ。グラードル卿に渡してくれ」


 それだけ言うと、封蝋がされた封筒を手渡されました。


「はい、承りました」


「……確かに渡したぞ」


 そう言うと、あとは一瞥もなく廊下へと去って行きます。


「なんだい彼は、愛想のない男だね。彼みたいな性格の男は嫌いじゃないが、あの線の細さは頼りないな」


 そう言ったのは、背後からやって来たアルメリアです。アルメリアの好みは聞いていないのですが、騎士を目指しているだけのことはあってたくましい方が好きなのでしょうか?

 そう考えますと、確かにアルベルト様は痩せている印象でした。


「しかし凄いね、フローラ。法務卿からお茶会に招かれるなんて。あの方は立場もあるから、お茶会自体あまり開かないと聞いていたんだけど。……やっぱり名門の血筋は違うのかもしれないね」


「そんな……ただ、先日、ディクシア法務卿には貴宿館の件で骨折りを頂きました。貴宿館が学園と共同する新しい試みとなりましたので、きっと、進捗の状況を聞きたいのかもしれません。それに、本来であれば私どもからお礼に伺わなければなりませんでしたのに……」


「だったら、そのときにお礼を言えば良いんじゃないかな」


「そうですね。私……お茶会に招かれるのは初めてのことですので、お母様に色々伺わなければなりませんね」


「えッ? 君はまだ社交界にお披露目されていないのかい!? ああっ――そうだったね、仕方がないのか……ごめん、フローラ」


 アルメリアは一瞬驚きましたが、すぐに事情を察してくれました。

 そもそもこれまでは、バレンシオ伯爵を恐れてエヴィデンシア家を招待しようなどと考える方はいらっしゃいませんでした。正直申しまして、何故今回ディクシア法務卿が私たちを招く気になられたのかも、本当のところは不明です。ですので少々不安ではございます。どちらにいたしましても旦那様の判断を仰がなければなりません。


「あれ?」


 私が物思いにふけっておりましたら、アルメリアが不意に声を上げました。


「どうしたのですか、アルメリア?」


「いや、向こうでメイベル嬢がこっちを見て居たような……あれ? 気のせいだったかな」


 私は、アルメリアが指さした方向に視線を向けましたが、教室を出て行く学生の中に彼女を確認することはできませんでした。しかし、私は妙な胸騒ぎを感じてしまいました。





 校門を出た私はアルメリアと別れました。彼女は第二城壁を越えた、旅商人たちが多く出入りする区画の辺りに長期契約で宿の二室を借り切っているのです。

 辻馬車を使えばそうは遠くないのですが、歩くとエヴィデンシア家の屋敷までの距離の三倍ほどあるはずです。

 懐の厳しい騎士爵家の彼女は、その距離を走って通っているといいます。

 正直、私にはとてもできませんので、尊敬してしまいます。


 そんなことを考えながら、軍務部行政館の前まで来ました。

 旦那様と待ち合わせるためです。彼も本日は退出が同じ時間になると言っておりました。

 

「おーい、お嬢さん。そこの茶髪の、ノルムの愛し子のお嬢さん」


 ……これは、新たな嫌がらせでしょうか? 竜王様の愛し子とはよく聞きますが。精霊王の愛し子とは初めて聞きました。


「おーい、お嬢さん。そこの貴族のお嬢さん。こっちだ」


 そう言われて、私は声の方向へと目を向けました。

 声のした場所には、一人の男性の肩を借りて、足を引きずるようにして歩いてくる旦那様がおりました。

 旦那様に肩を貸す男性は、旦那様より少しばかり背が高く、体格はがっしりとしております。年齢は旦那様より上でしょうか。

 髪色は灰色で、瞳は薄緑のようです。

 私は急いで、旦那様の元へと駆け寄りました。


「だっ、旦那様!」


「ああ、大丈夫だお嬢さん。疲れ切ってるだけだからよ。このお方、今日はちょっと無茶をやり過ぎてな…………」


「済まないレオン兵長、手間を掛けた。もう大丈夫だ」


「本当に大丈夫ですか? なんなら屋敷まで背負っていきましょうか?」


「いや、さすがにそれは……悪いが辻馬車を呼んでもらえないか」


「そうですな、貴族が平民に背負われて帰るのは体面もありますか……ちょっと行ってきます」


 そう言うと、レオン兵長と呼ばれた男性は、広場の方へと駆けて行きました。

 あの方は、教練場で聞いた声の主のようです。旦那様を高く評価してくれておりました。

 私は、ふらつく旦那様に肩を貸すように隣に寄り添います。


「旦那様、大丈夫ですか?」


「ちょっとばかり、無茶をした」


「ちょっとばかりではございません。私見ておりました。その……ご苦労様でした」


 私がそう言いますと、旦那様は手で顔を隠して上を向きました。


「ああ、見られていたのか、知っていたらもう少し格好を付けたんだが」


「何を仰っているのですか……その、十分に格好良かったですよ……でも、もうこんな無茶は止めてくださいまし」


 そんな話をしておりますと、辻馬車を呼んだレオン兵長が広場の方から帰ってきました。


「グラードル卿、馬車はすぐ来ます」


 彼はそう言った後、私をまじまじと見ます。


「あの、なんでしょうか?」


「いや、グラードル卿が、今日あんなことを始めた原因は貴女なのかと思ってね。確か、新婚なんですよね?」


「レオン兵長」


 旦那様がとがめるように彼の名前を短く呼びます。


「いや、これは失礼しましたグラードル卿」


「いや、こちらこそ今日は助かった。君が居てくれたおかげで秩序が保てた。……自分の人望の無さを見誤っていたよ」


「いえ、俺はおもしろいものを見せて貰いましたんで満足ですよ」


 旦那様の自嘲を含んだ感謝の言葉に、レオン兵長はニンマリと笑って答えました。

 その笑顔は嫌な感じのするものではなく、どこか敬愛のこもったものに見えました。


「ああ、そういえば紹介が遅れた。彼女は我が妻、フローラ・オーディエント・エヴィデンシアだ。よろしく頼む」


「これはご丁寧に。奥方、おれはレオン・クライスと申します」


「フローラです。旦那様共々、これからもよろしくお願いいたしますね」


 兵士の礼をする彼に私も淑女の礼を返しました。


 その後、やって来た辻馬車に旦那様を乗せるのをレオンさんに手伝って貰い、私たちは屋敷へと帰りました。

 辻馬車は、門から屋敷の中へと入ろうとしますがそこで速度を落として止まりました。

 館前まではまだ少しあるはずです。


「どうしたのですか?」


「いえ、済みません。人がおりましたので……」


「人が? 分かりました、ここで降ります。旦那様よろしいですか?」


「ああ、大丈夫だ」


 私たちは、その場で辻馬車を降りました。

 そして屋敷内に入りますと前方、貴宿館の方へと歩いて行く人が見えます。

 その人は大きな袋を背負い、腰に短剣を横差しにしています。少し猟師のような出で立ちで、背負った袋の向こうにチラチラと白い髪が見え隠れしています。

 その人は貴宿館の前まで行きますと、息をひと吸いして口を開きました。


「すいまーせん! リュート・ブランシュと申します!! アンドゥーラ・バリオン・ カランディア魔導爵の紹介でまいりました。フローラ様かグラードル卿へお取り次ぎをお願いしまーす!」


 声からして男性のようですが。これはもしかして、アンドゥーラ先生の言っていた方でしょうか? 


「え!? まさか……」


 その名乗りを聞いて旦那様が声を上げました。


「旦那様? お知り合いですか?」


「いッ、いや! 知らない、うん、知らないとも!! フローラは知ってるの? アンドゥーラの名前を言ってたけど」


 旦那様の声が少し裏返っているような……。


「……はい、その申し訳ございません。聞いてはいたのですが、色々ありまして旦那様に話すのをうっかりしておりました」


 私の言葉を聞いて、旦那様は少し考え込むような感じでぼそぼそと独り言を始めました。ここ二、三日はほとんど聞いておりませんでしたので、少々久しぶりな気がします。

 

「『どういうこと? 何でヤツがここに居るの!? たしか、えっ、まさか今日だったのか? ゲームスタート!?』」


 貴宿館の前で名乗りを上げていた男性が、旦那様と私の声を聞きつけたのか、こちらに振り返りました。……この人は?!


「白竜の愛し子……」

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