第11話 モブ令嬢と法務卿

 馬車を降りた私と旦那様は、石畳が埋設された道をゆっくりと歩いて行きます。

 通りの向こう、広場の先に背の高い館がいくつか目に入ります。

 法務、軍務、財務の行政館です。そしてその奥に王城の城壁が見えております。

 ちなみに建物の高さの関係で見えておりませんが、学園が法務部行政館の向こう側に存在しております。


 法務部の行政館は広場から一番近い場所にあります。それは、この法務部の行政館が最も王都の人々が訪れる機会の多い場所だからです。

 というのも、婚姻の届け出や、子供が生まれた場合、また亡くなった方が出た場合なども法務部への届け出が必要だからなのです。

 今回、私たちは婚姻の届け出と旦那様のエヴィデンシア伯爵位の継爵手続きを合わせて行うこととなります。


 行政館まで歩く道のりは、当初の予定より少しばかり遠くなってしまいましたが、私と旦那様が連れだって歩く道の両端には、貴族御用達の高級品を扱う店が立ち並んでおります。

 学園に通うのによく通る道なのですが、今日は店口に並べられた数々の品物が、いつも以上に私の目を楽しませてくれています。


「フローラ、楽しそうだね」


「ええ、私、殿方とこのようにお店を眺めながら歩く日が来るなど、思いもしておりませんでしたので」


 私が旦那様に向けてニコリと笑顔を見せると、旦那様が、「くッ!」と服の胸のあたりを握り込みました。やはり心臓に持病でもおありなのでしょうか? 少々心配になってしまいます。

 そんな私の心配などよそに、旦那様は私の顔をまじまじと見つめて来ます。

 私は、頬に血が上ってくるのを感じました。

 旦那様と夫婦となりまだ三日目ではございますが、私はもう、この方こそが私の運命の相手バルファムートであったのだと……そう確信しております。


 青竜バルファムート様のお名前は、純潔と貞節を司っておられます関係上、婚姻の儀で女性の宣言に使われます。それ以外にも、神話にて、すべての竜王様から子を成すことを懇願されたという逸話を持ち、運命の相手を指す言葉としても使われることがおおうございます。(結局のところ青竜様はどの竜王様もお選びにならなかったのですけれど)


「……でもおかしな話だよな、君の髪や瞳の色だって精霊からの加護であることは間違いないのだし、より強くノルムに愛されている証拠だと思うんだが」


 驚きました。

 旦那様が私の、髪色や瞳について言及するのは初めてのことです。

 これまでは、避けていたというよりも、本当にまったく気にしていなかったという感じなのです。


「旦那様……、私が市井の娘であればそこまで問題は無いのだと思います。特に我が国の貴族は、古より見目にこだわるきらいがございますし。私は……旦那様にそのあたりのこだわりが無いのが……その、少々疑問に思ってはいたのですが」


「ああ、ルブレン家はほら、父上が今は貴族とはいえ、元々市民から成り上がってきたような家系だからね。父上自身、君の髪色や瞳は気にしていなかったろ」


 思い返してみますとそうでした、婚姻の儀でお顔を合わせたときも、……その、しょっ――くさいとは言われましたが、蔑む視線は感じませんでした。


「ルブレン家で君の髪色と瞳の色を気にするのは、兄上とアルクと母上くらいのものだよ。そもそも兄上は既に結婚しているし、兄上の夫人は南方トランザット王国出身だから、あちらは赤茶けた髪色の人が多いらしいし。アルクの場合は……まあ、言うのはかわいそうかな、あいつが一番気にしているんだし」


 後半の言葉は言いづらそうに小さくなって行き、独り言に切り替わってしまいます。


「『瞳の色は黒だけど、髪は本当は茶色なんだよな……まあ脱色して金髪っぽく見せてるんだけど、金髪ってよりはストロベリーブロンドが正解か。そう言えばアルクが生まれたあと、母上が悲嘆に暮れていた時期があったな~~。考えてみると、あのとき俺、結構母上に邪険にされてたような』」


 旦那様が何やら黄昏れたような様子で、空を見上げています。


「『でも、近くの王国見回しても、ここまで貴族の美形率が高い国って無いんだよな。……ゲームでも他国の貴族の外見を馬鹿にしてるシーンがあったし……』」


 旦那様が自分の思いに沈み込んでおられますと、背後から馬の蹄の音とガタガタという車輪が石畳を進む音が響いてきました。


「旦那様」


 私は旦那様を促して、道の端へと寄りました。

 その私たちを、二頭立ての見事な装飾が施された馬車が追い越して行きます。

 これは――新しい懸架けんか装置が備えられた最新式の馬車のようです。私たちの乗ってきた辻馬車と違い、乗客の快適さは天と地ほどの違いがあると聞いたことがございます。


 馬車は、私たちの目的地でもあります、法務部行政館の前で止まりました。

 御者が素早く御者台から降りますと、車体のドアを開けて中の乗客が降車するのを手伝います。


「『うげッ、アルベルトの親父……』」


 私の隣で旦那様が小さくつぶやきました。いつもの独り言ですが、今の言葉は意味が分かったような気がします。

 馬車から降りてこられたのは、法務卿のオルタンツ・モービエ・ディクシア伯爵です。

 アルベルトと聞こえましたが、私の一学年上にディクシア伯爵のご子息アルベルト様が在籍しております。

 旦那様は、アルベルト様と面識がおありなのでしょうか?


 私たちはディクシア伯爵が馬車から地面に降り立つ前に姿勢を正しました。

 私は、両の手をお臍の前で左手の手を上にして両の手を添え、頭だけを少し前方の地面を見るように下げます。

 旦那様は、握った左手をまっすぐに腰の横に付け、握った右手を心臓の上に添えて、あとは私と同じく頭だけを少し下げました。


 私たちは、法務卿が行政館へと入るのを待っていたのですが、法務卿の歩みが不意に止まりました。


「おや――君は……。確かエヴィデンシア家のご令嬢。……君たち、顔を上げたまえ」


 法務卿が何故私を? そんな疑問が頭をよぎりますが、失礼にならないようにゆっくりと顔を上げます。

 ディクシア様は、お父様と同年代くらいでしょうか? 濃い緑の髪に、瞳は薄い青色をしています。

 細い身体をしていますが、頭ひとつ分くらい旦那様よりも背が高く見えます。髪を真ん中から両わけしていて額が広く見えます。

 私たちが姿勢を戻すと、ちょうどディクシア様が胸の隠しから眼鏡を取り出して、眼鏡の鼻当てで鼻骨を挟んで眼鏡を止めたところでした。

 私を見つめたディクシア様の顔に、僅かに気の毒そうな表情が浮かんだ気がします。


「……確かにそうだ。ロバート殿はご息災かな?」


「あっ、あの、ディクシア法務卿は、なぜ私のことを?」


 うっかり口に出してしまいましたが、分かっています。この髪と瞳の色ですね。


「父は大過なく過ごしております。ディクシア法務卿は父と?」


「ああ、彼とは学園で席を同じくした仲だ。……彼のような人間が、志した道へと進めなかったことは、誠に残念であった。ところで……」


 そう言うと、ディクシア様の瞳が旦那様に移動します。


「こちらは私の夫となりました、グラードル・ルブレン・エヴィデンシアでございます、閣下」


「そう畏まらずともよい。……なるほど」


 ディクシア様はそう言うと、測るような目で旦那様を見ます。

 今日の旦那様は、他人ひとからこのような目で見られる日なのかもしれません。


「……では今日は?」


「私たちの婚姻の届け出と、エヴィデンシア伯爵家の継爵の手続きに参りました」


 そう答えたのは、旦那様です。


「ふむ、なるほど……ではついてきなさい」


 そう言うとディクシア様は隠しに眼鏡を戻しながら歩いて行ってしまいます。

 私たちは遅れないようにと、急いであとを追いかけました。





「これで手続きは終了した……」


 どうしてこうなったのでしょうか?

 私たちの前には、ディクシア法務卿が座っております。

 私たちが今いるのは法務卿の執務室です。

 この部屋は行政館の三階にあり、外部からの傍聴を防止するためか、部屋の壁も厚くドアの厚みも通常の倍近くもあるように見受けられました。もしかするとお祖父様もこの部屋を使っていたかもしれません。


 足の速い法務卿の後をついて来た私たちは、何故かそのままこの執務室まで案内されて、婚姻の手続きと継爵の手続きをすることとなりました。


「他に何か申請することはあるかね? 今ならば少しは時間がとれる」


「ディクシア法務卿、エヴィデンシア家ではひとつ、新たな試みをしてみようと考えているのですが、その届け出はこちらで良いのか。それとも財務部へとするべきなのかご助言いただけますか?」


「ほう……新しい試みとな。話してみたまえ」


「はい、それは…………………………」


 旦那様は、私たちが結婚した夜に話し合った寄宿舎の概要を、法務卿へと説明いたしました。


「……おもしろい。これはなかなか通常の貴族からは出てこない考え方だ。兵の宿舎は聞いたことがあるが、学園に通う遠領の学生のためにか……」


 これまで、表情のほとんど動かなかったディクシア様が、興味深そうに私と旦那様を見ます。

 ここに招き入れてくださったのは、おそらくお父様との過去の友誼を重んじてくださったのでしょうが、今の視線は私たち二人に興味が出たというような感じです。


「どうでしょう、手続きはどちらにするべきでしょうか?」


「……これは新しい案件だ、法務部で預かろう。財務部へは利益が出たときの税の支払いは必要だが、運営の許可は必要ないだろう。しかし、学園にも連絡を入れた方が良いな」


 そう言うと、法務卿は部屋に備え付けられた時計に目をやりました。


「大丈夫そうだな。グラードル殿、ついてきたまえ学園長と話をしよう」


「はっ、はい!」


 旦那様は、あまりに早い展開についてゆけず目を白黒しております。


「フローラ、君はどうする。こちらで待たせていただくかい?」


「いえ、学園に行くのでしたら、私もご挨拶したい方がおりますので、途中まで一緒に行ってよろしいでしょうか?」


「ならば急ぎたまえ」


 ディクシア法務卿は短くそう言うと、私たちの戸惑いをよそに、既に席を立って部屋を出て行ってしまいそうです。

 法務卿は相当にせっかちな性分のようです。


 私と旦那様、この部屋へとやって来たときと同じように法務卿の後を追って、学園へと向かったのでした。

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