第9話 モブ令嬢家の使用人事情(後)
「知性を司る精霊、ノルムの明察に敬意を……まさにそのとおりです」
こんなときですが、一瞬私の姿を揶揄されたのかと思ってしまいました。ですが、セバスの表情は至極真面目なものです。
「前当主オルドー様がロバート様に爵位を譲る前に、我が父アルフレッドに命じられたのです」
「……お祖父様は、なんと命じたのですか?」
「オルドー様が、えん罪の件で法務の場から追われ、ロバート様が法務官として任官する道も閉ざされたあのとき、オルドー様は、我々アンドルクを解放なされました。『エヴィデンシア家に
セバスは高ぶる感情を抑えるように淡々と続けます。
「オルドー様は、そんな我々をバカな奴らだと笑ってくださいました。ですがその後。ロバート様には私たちの真実を教えることはしない。そして、ロバート様の行いをただ見守るようにと……そして、もしこの先エヴィデンシア家が衰退し、ロバート様が我らを解雇することとなったとしたら、それを受け入れるようにと……」
セバスの話すお祖父様の言葉が間違いないのならば、お父様はセバスたち――アンドルクの人たちに本当の当主とは認められていないということなのでしょう。
ですが、お祖父様の言葉に従いながらも、彼らもお祖父様の真意を測りかねていることが感じられます。
「セバス、貴方はお祖父様が何故そのようなことを命じたと考えていますか?」
「おそらくですが、オルドー様はエヴィデンシア家の背負う重責をロバート様には背負わせたくなかったのでしょう」
その言葉は、どこか悔しげです。
セバスの年齢はお父様とそう違わないはず。
一〇年ほど前にお父様がアンドルクの方々に暇を出すまで、彼の父、アルフレッドは執事として働いてくれておりました。
おそらくですが、彼は次代の執事としてお父様を支えたかったのではないでしょうか。
私は、お祖父様が亡くなった五歳までの記憶を呼び起こします。
「私の中にある……お祖父様の記憶は僅かばかりのものです。ですが――私は、お祖父様がそれだけのためにそのようなことを言うとは思えません。もっと他に……何か心当たりはありませんか? お祖父様は厳しくも、とてもお優しい方でした……」
私のその言葉に、セバスは心の中を探るように目をつむり、深く息を吐くとその目を開きました。
「……バレンシオ伯爵……、かの御仁も、当時はまだ財務卿ではありませんでしたが、横領したと思われるその財力で、無法なる者たちを配下として飼っておりました。かの御仁の罪……その証拠を探す過程で、彼らの妨害により多くのアンドルクが殺されました。それは我らアンドルクが、法務の臣たるエヴィデンシアの使徒としての誇りがあったからです。法の下に裁かれるべき人間の調査をする過程で、人を殺すようなまねは極力避けたかった……それが仇となったのです」
「おそらく――それだな」
そう言ったのは旦那様です。口には出しませんでしたが私も同じ意見でした。
「貴方に、何が分かるというのか!」
セバスは、その表情の読みにくい細い目で、キッと旦那様を睨みます。
しかし旦那様は、開き直った様子で続けました。
「フローラや義父上を見ていれば想像できるよ。……きっとフローラの祖父様は、バレンシオ伯爵との政争に敗れた後、もうあんたらに死んでほしくなかったんだろうな。おそらく、法務卿の地位を失ったエヴィデンシア家がまだバレンシオ伯爵の捜査を続けていたら――その無法者たちを使って、もっと過激な手段に出ただろう」
「……クッ、あのとき……あの男さえ裏切らなければ……エヴィデンシア家があのような目に遭うことはなかったというのに……」
旦那様の言ったことは、セバスにも分かっていたのでしょう。やりどころのない怒りを吐き出すよう言葉が紡がれます。ですが、その中に無視することのできない言葉がありました。
「裏切り? そんな話は初めて聞きました」
自分の失言に気づいたのか、セバスは一瞬顔をしかめます。しかし言葉にしてしまった以上、無かったことにはできないと諦めたのでしょう、ゆっくりと口を開きました。
「オルドー様に口止めされておりました。……私たちはバレンシオ伯爵の横領の確かな証拠を持っていたのです。その証拠はオルドー様の信頼
弱々しく、セバスの拳がテーブルへと打ち付けられます。
「そんなことがあったのですか。ですが、その騎士の方がバレンシオ伯爵に捕らわれたという可能性は無かったのですか?」
「当時、私たちもその可能性は考えました。ですが裁判が決した後も、バレンシオ伯爵の手の者は、我らと同じくかの騎士を探していたのです。それこそ我ら以上に血眼になって……、それは我らの耳と目がしっかりと捉えております」
そのどこかへと消え失せてしまった騎士が、どうしてしまったのか……既に三〇年ほどの月日が流れております。時を巻き戻す術など無い以上しかたのない話ですが。
「オルドー様は亡くなる最後の最後までその者を信じていたのです。きっとバレンシオ伯爵の横領の証拠を持って帰ってくると……」
「お祖父様……」
私は、いま初めて知ったお祖父様の無念に、心を強く揺さぶられました。しかしいましなければならないのは過ぎ去った日を悔やむことではありません。
「その話は分かりました。では、セバス。貴方は何故このような話を私と旦那様にしたのですか?」
「このような話とは?」
「アンドルクの真実についてです。お祖父様が、アンドルクの真実を知らないお父様の決断のままに任せたのに、何故いまになって、私たちにその話をしたのです」
「フローラ様は本当に……オルドー様のようなノルムの知を持っておられるのですね」
「オルドー様は病床の中、最後に父に言ったそうです。自分が死んだらロバート様はアンドルクを解雇するだろうと。そして、解雇された後のことも一言だけ仰っていたそうです。『この後、エヴィデンシアがまたお前たちアンドルクを求めたら。仕えるも仕えないもお前たちの意思に任せる。そのときお前たちの真実を語るも語らぬもな』と」
「重ねて問いましょう。真実を話す気になった理由はなんなのですか?」
いまのセバスの話は、お祖父様が与えた許可の話であり、理由ではなかったからです。
セバスの視線が旦那様に向かいました。
「……旦那様が原因だと?」
「今日フローラ様とグラードル様が訪れた際、はじめは何も語らず、ただ使用人として仕え、陰からエヴィデンシア家の方々を助けようと考えていたのです」
セバスの少し笑みを含んだその表情に、私は気付きます。
「もしかしてそれは、旦那様から……ということですか?」
私が最初聞いていた旦那様の噂話。そしてアンドルクの方々が調べたという旦那様の過去の行状。さらに先ほどのセバスの断言から考えれば、そういうことなのでしょう。
「ええ……ですが、訪れたフローラ様とグラードル様はとても仲睦まじく、互いが互いを思いやっています。そうして私は思ってしまったのです。『このお二方が作る新たなエヴィデンシアのために、真実この身を捧げたい』と、それにはお二方にアンドルクの真実を知っていただかなければなりませんでした」
「その話をするためだけに旦那様を拘束し、あのような言葉を叩きつけたのですか」
私の言葉には、まだ少しばかりの怒りが籠もっているかもしれません。
「グラードル様の態度が真実のものだとは感じたのですが、私も配下の者たちの報告を無視することもできませんでしたので、無礼ではございましたが試させていただきました」
「一つ聞いて良いかな」
私とセバスのやりとりを黙って聞いていた旦那様が、少し腰の引けた感じでセバスに問います。
「もしそこで、俺が実は演技していたとしてフローラを見捨てて自分だけが助かろうとするような行動をしたらどうなっていたのかな?」
「それは……」
「ああっ、やっぱりいい! 嫌な感じしかしないからな」
「ご無礼を働きましたが、私たちアンドルクをお二方の新たなエヴィデンシア家の使用人としてお雇いいただけますでしょうか?」
セバスは椅子から立ち上がると、その脇で片膝をついて片方の手の平を胸に当て頭を軽く下げます。
「旦那様」
「あっ、ああ……」
私に促された旦那様は、いつの間にか戒めが外されていた席を立ち、セバスの前に立ちます。
「ではセバス。君たちアンドルクは俺のことを当主と認め、使用人として仕えてくれるのだな」
「はい、是非に」
旦那様は、すーっと軽く息をつきました。
「ならば、一つ俺から頼みがある」
「……なんでしょうか?」
セバスが顔を上げていぶかしげに旦那様を見ました。
「当主である俺と同等の忠誠を、フローラにも誓ってほしい……」
「旦那様!?」
私は驚いてしまいました。それも当然です、何度も述べているとおり大陸西欧諸国は男性上位社会、物事の決定権はすべからく男性に委ねられます。当主となる旦那様と同等の権限など、普通ならば考えられないことです。
「フローラ、きっと君の方が、俺よりも彼らをうまく使える」
私の驚きをよそに旦那様はそう言い切ってしまいます。
そして、セバスはまぶしそうな笑顔を浮かべました。
「是非に! 当主様よりの用命確かに承りました」
承諾の礼をして立ち上がったセバスは、少しの間、顎の下に手を当てて考え込みました。
「……しかし、グラードル様のことを調べた者たちは、教育し直さなければなりませんね」
「あっ、それマジで止めてあげてください。ごめんなさい。お願いします」
セバスのつぶやきに対して、何故か慌てた旦那様が、妙な口調で制止しておりました。
◇
「本日は父の数々のご無礼、誠に申し訳ございませんでした」
地下から地上へと上ったところで、見送りのメアリーが胸に手の平を当てて小さく頭を下げます。
地下では途中から完全に気配を消して、傍観していた彼女の言葉は相変わらず平坦で、その感情が読み取れません。
「私は、アンドルクが解雇されたときにはまだ七歳でしたので、過去の因縁などに興味はございませんでした。ですが今日、お二方を見ていて、エヴィデンシア家にお仕えできますのがとても楽しみになりました。早急に準備をしてエヴィデンシア家に伺いますので、そのときはよろしくお願いいたします」
「ええ、メアリー。こちらこそよろしくお願いしますね」
「ああ、よろしく頼む」
私たちがそう答えると、メアリーは今一度会釈をして階段を下って行きます。
「さあ、次は法務部だ。ここからだと辻馬車を拾った方が良いだろうね」
「旦那様、お身体の方は大丈夫なのですか? 当主変更の届け出は明日にしても良いのでは?」
「大丈夫、まだ日は中天に至っていないから、こんなに早く帰ってしまっては時間がもったいないよ。ついでに寄宿舎を運営するのに届け出が必要かどうか聞いてみよう……『ゲームのスタートも近いはずだし』」
アンドルクでは緊張を強いられ、独り言を言う間もなかったらしい旦那様から、最後に久しぶりの独り言が漏れました。
それを聞いて私自身、緊張が解けていくのを感じます。
「それよりも、フローラのほうはどうなんだい? 君が疲れたのなら無理強いはしないが……」
「私は大丈夫ですわ」
返事をした私は、ふっと違和感を感じます。
街道の方を見ていた旦那様が、視線を私の方へと戻したところで固まっていたからです。
「どうしたのですか旦那様?」
「いや、そこ」
「えっ……」
旦那様が指さす先、先ほどまでぽっかりと口を開けた地下への階段があった場所。そこには何もなくなっていました。石畳の路地の突き当たりとなっていたのです。
旦那様が、確かめるように足下を探りますが、確かな石畳の感触があるだけでした。
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