第6話 モブ令嬢のお屋敷

 前日の夜、結局あの後旦那様は私に触れることもなく、二人して同じベッドに並んで眠ることになりました。

 私は朝までまんじりとすることもなく、頭の芯が重い感じがしています。旦那様は眠ることができたのでしょうか?

 だとしたら少し理不尽だとは思うのですが、私だけがドキドキしていたのかと、胸にモヤモヤとしたものが浮かんでくるのです。


 旦那様は、すでに私たちの住まう館で、今日やってくる荷物の到着を待っています。

 私も、着替えて館に向かいませんと。

 館の鍵はルブレン家で管理しておりましたので、私もまだ屋敷に入ったことがありません。中がどうなっているのか少しわくわくしています。


 元々のエヴィデンシア家の館は屋敷の門の正面に位置していますが、私たちの館は、門を入って左手に位置しています。以前は小さな林があった場所で、旦那様と私の婚姻話が持ち上がる前には、その土地を売り払うことを考えておりました。

 まだ我家に馬がいた頃には、よくその背にゆられて散策したものです。


 私は、これまで数え切れないほど踏みしめている、我家の慣れ親しんだ階段を降りるとエントランスを抜け、館の玄関ドアを開けて庭へと出ます。

 玄関ポーチの三段階段を降りて、館前に埋設された石畳の上を私たちが新しく住む別館……いえ、今日からはこちらが本館になるのでした、ということはこれまで住んでいた館は旧館になるのでしょうか?

 そんなたわいもないことを考えながら足を進めると、新しい館の玄関ポーチの前にやってきました。

 新しい館は、植物などをモチーフにした、曲線を多用する近年流行のフィーラント様式と呼ばれる建築様式です。

 これまでの館が、直線を強調した模様などを多様した重厚なバララント様式であったので対照的な感じがします。


 しかも、これまでの館は地下階と、下級使用人の寝起きする屋根裏部屋を含めますと四階建てでした。それに対して新館は、五階建てになります。


 しかし、この館を一年とかからずに築き上げた職人の皆様には頭の下がる思いです。朝早くから夕日の沈むまでひっきりなしに人の出入りがございました。

 館の基礎である石材部分の築造が最も時間がかかっておりましたが、それができてからは目を見張る早さででした。

 しかも魔術技師の方まで出入りしておられたのには我が目を疑ったほどです。この館の建築に一体どれほどの資金がつぎ込まれたのでしょう。


 私は新館の玄関ポーチから、ドアが開け放たれたままの玄関を抜けてエントランスホールへと入りました。

 フィーラント様式の造形は女性的で華やかなので、当然のごとく女性には人気があるのですが、伝統を重んじるお年を召した男性には嫌われることもあるようです。

 まだ、エントランスホールを飾る絵画や調度品が持ち込まれておりませんので少し閑散としています。しかし壁や階段の手摺りに施された彫刻だけでも見ていて飽きません。

 私が、館の中を好奇心いっぱいに眺め回っていると。

 突然、絶叫が響きました。


「『マジか~~~~! あのシーンの場所、ここか~~!! 自分の館の地下に調教部屋とか、何考えてやがるコイツ! バカなの!? いやそれは知っているけれども!!』」


 この不思議な響きの言葉は、旦那様のようです。聞こえてくるのは地下階でしょうか?

 私は何事かと思い、急いで階段を地下階へと降りてゆきます。

 地下階には、壁の要所にランプが設えられていて、旦那様が灯したのでしょう、その中で炎が揺らめいています。

 廊下を奥に進んでいくと、そのランプの薄暗い明かりで照らされた旦那様の背中が見えました。


「旦那様! 一体どうなされたのですか!?」


「フッ、フローラ!? 来ていたのか……いッ、いや、何でも無いッ! ねっ、鼠だ、鼠がいたんだ。まっ、まったく。新築だというのに、鼠というのはたちが悪いな! 今この部屋に閉じ込めたから君は上で待っていてくれ!」


 旦那様が裏返った声を上げて私に向かって振り返りました。背後には廊下の突き当たりにある部屋のドアが見えています。旦那様は私の視線を遮るように両の手を広げました。


「この部屋は封印だ、封印! 鼠の巣窟になっている!」


「エッ! それは大変ではないですか、その手の駆除作業を行う業者に頼んだ方が良いのではないですか?」


「いッ、いや大丈夫だ。俺が時間を見て駆除しておく。それまでは鍵をかけて入れないようにしておくから。君やご両親は地下には来ない方がいい」


 旦那様の慌てようを見ますに、よほど大きな鼠が出たのでしょうか? ちまたには冒険者なる職業の方々がおり、彼らの中にはこういった駆除の依頼を受けてくれる方がいると伺ったことがあります。そういった方々に頼んだ方が……。


「大丈夫だ! こう見えて俺も騎士の端くれ、鼠の駆除くらい問題ない!」


 不安そうな私の様子に気づいたのでしょう、旦那様はそう言って胸を張ります。しかし騎士と鼠の駆除の因果関係が今ひとつ分かりません。旦那様はだいぶ混乱しているようです。


「さあフローラ。とりあえず上に行こうじゃないか!」


 旦那様は私を振り向かせると、その背を押して地上階へと進んでゆきます。

 階段を上りきったところで、旦那様が少し不思議そうに口を開きました。


「それよりもフローラ。君は学園へ行かなくて良いのか?」


「えっ?」


「えっ? ……もう講義の始まる時間じゃないか?」


「あっ……あの、私は学園をやめなくても良いのですか?」


「もしかして、君は学園をやめるつもりだったのか?」


「はい。上級生のお姉様方も、婚姻なされた方の多くは、学園を去りましたので――私もそうするものと思っておりました。婚姻の手続きなどが終わりましたら、退学の申請をしようと思っていたのですが」


 実際、貴族の女性が学園に通う目的は、婚姻相手を探すためか、私がそうであったように学園卒業後に自分の力で生きていかなければならず、そのための力を養うためです。


 旦那様は腕を組み、少しの間考えると、私の肩に優しく手をかけて視線を合わせます。

 旦那様は、夜には私に手を出そうとしませんのに、やはり年上だからでしょうか、普段は身体に触れることに戸惑いがありません。

 私だけが一方的に心をどぎまぎさせられるのは、なんだか不公平な気がします。


「……君は、学園をやめたいのかい?」


「私は……できるのならば、卒業したいとおもっております。しかし、卒業までにかかる費用は……」


 私が言い切る前に旦那様が口を開きます。


「今は費用の心配はしなくて良い。君を学園に通わせるくらいの稼ぎは俺にもある。……君は頭のいい人だ。俺には昨日一日でよく分かった。俺は、君の未来の可能性をこんなことで潰してほしくはない」


 確かに旦那様が仰るようには、お金に余裕があります。しかし、それはルブレン家よりの援助金があるからです。

 旦那様は王国直属の騎士団の騎士ではありますが、聞いている限りその位は平騎士です。騎士爵でも有りませんので、その給金では伯爵家であるエヴィデンシアの家屋敷いえやしきを賄って行くには到底無理が有ります。

 おそらくですが旦那様の頭には、エヴィデンシア家の爵位を継いで伯爵として従軍する事で加算される、貴族従事報奨があるのだと思います。

 しかし残念ながら、貴族従事報奨は基本給金から算出されますので、旦那様の現在の給金ですと僅かばかりのもののはずです。

 給金を上げるには、騎士団内での序列を上げるか、勲章をいただけるような功績を挙げるしかないのです。


「大丈夫……俺も、このまま終わるつもりはないよ。君のような得難い宝をこの手にして、それを自ら手放すようなまねは、今の俺には絶対にできない」


 私の肩に掛かった手に、僅かに力が入ります。


「本当に……良いのでしょうか? 実はこれまでは廃爵後を見据えて学園に通っておりました。その可能性がなくなった以上、私が学園に通い続けるのは我が儘以外のなにものでもありません」


「俺が……君に学園に通ってほしいんだ。きっと――君が学ぶことはきっとエヴィデンシア家のためになる。君はそういう人だろ」


 旦那様が、そう言って笑顔を浮かべます。


「えッ、あっ、ああ! フローラ?! 一体……」


 旦那様の言葉に、私は知らないうちに瞳から涙が溢れておりました。


「旦那様……申し訳ございません。お見苦しいところをお見せいたしました」


 旦那様が、たどたどしく隠しから手巾しゅきんを取り出して私の涙を拭おうとします。

 ですが私は差し出されたその手を掴んで胸元に引き寄せました。

 私は、驚き見開かれた旦那様の瞳を見つめ返します。


「……私が学園で学ぶことはエヴィデンシア家のためになりますか?」


 私の問いに、旦那様は慌てた顔から真顔に戻り、そして優しい笑みを浮かべました。


「ああ……ああ、間違いない」


 そう言い切ってくださった旦那様の胸元に飛び込むように、私は初めて自分から抱きつきます。


「一年、一年待ちます……ですが旦那様、その――キスくらいしてくれても良いのではありませんか?」


 私は、すねた表情で旦那様におねだりしてしまいました。


「フローラ……」


 旦那様の太い腕が、私の背中に回されました。

 私は、旦那様を見上げていた瞳を閉じて、そのときを待ちます。

 ゴクリ、という唾を飲み込む音が、静かな館の中に驚くほど大きく響いたように感じられました。

 私の身体が持ち上げられるような感じで、背中に回された腕に力が入ります。

 ………………


「グラードル様! グラードル様はいらっしゃいますか!! ルブレン伯爵より家財の納入を申しつかりましたヴェルザー商会のボンズと申します!」


「わあッ!」


「ヒャゥ!」


 私と旦那様ははじかれるようにその身を離します。

 一瞬、私は旦那様と視線を絡み合わせると、急激に恥ずかしさが込み上がってきてしまい、身体ごと後ろに向いてしまいました。旦那様も私と同じタイミングで後ろに向きました。

 私は恥ずかしさをこらえながら、旦那様の様子をのぞき見ると、旦那様のうなじのあたりが真っ赤になっています。


「申し訳ございません! グラードル様! グラードル様はおられませんか!」


「こ、ここにいる! 今行く! そこで待っていてくれ!!」


 旦那様は今一度掛かった声に、答えると玄関に向かって大股で歩きだします。


「『何あれ、何なの。チョー可愛いんですけど!! ウチの嫁最高じゃない!? 何でこんな可愛い子がゲームに出てこないの!? いや、俺の嫁を主人公に渡す気などないけれども! それに俺なんだよねグラードル。なんでこんなできた嫁もらってるのにあんなことやってんの!? バカでしょ! いやそれも知っているけれども! ……くそッ! 俺、……絶対破滅なんかしたくないぞ! フローラとエヴィデンシアをなにがなんでも守り切る!!』」


 旦那様が、あの不思議な響きの言葉をつぶやきながら行ってしまいました。何やら興奮している調子に聞こえましたが、タイミング悪く声をかけてきた商会の方に怒っているのでしょうか?

 私もなんというタイミングの悪さでしょうと思ってしまいましたから。旦那様もそう思っていてくれるのなら……それはそれで嬉しいのですが。


 ◇


 館に持ち込まれた荷物は、館に設置する棚やベッドなどの家財と旦那様の私財です。

 三台の大型荷馬車が玄関ポーチ前に横付けされ、十数人の使用人がひっきりなしに館に出入りしています。

 グラードル様ご自身の私財は騎士の甲一式と、槍、剣、弓がいくつかと、衣類、そして数枚の絵画でした。

 また、数日の内には旦那様の乗馬が一頭、運び込まれるとのことです。

 跡取りではない次男の持ち物としては、多いのか少ないのか、そもそも貧乏貴族の私には判断がつきません。しかし、ボンズという商会の使用人が旦那様にルブレン侯爵からの援助金を渡しておりましたので、旦那様はそれで残りの必要な調度品を買い揃え、あとは使用人を雇う資金とするとおっしゃっておりました。


「とりあえず、これだけあれば生活はできるでしょうか」


「そうね。あとは足りないと思ったときに取りに行けば良いのではないかしら」


 旦那様が、商会の方々と荷物の運び込みをしている間に、私は、食事を作るために必要な調理器具などを、お母様と一緒に運び込みました。


「フローラ、義母上。こっちは片付きました。こちらで手伝った方が良いことはありますか? 力仕事が必要でしたら、商会の人間がいる間にやってしまった方が良いでしょう」


 その問いかけに、お母様は軽く小首をかしげ考えます。


「でしたら、あちらの館で使っていた薪を、こちらに運び込んでいただけないかしら」


「分かりました義母上。――ということだ、ボンズ殿。済まないが、いま少し力を貸してくれ」


「はっ、はあ――しかし、ドートル様に話を聞いてはいましたが……グラードル様は、本当に人間が丸くなりましたな……」


 荷物を持ち込む使用人たちのまとめ役、ボンズと名乗った初老の男性が旦那様をしげしげと見ています。

 彼のその視線に対して、ほんのわずかな間ですが、旦那様の表情に焦りのようなものが浮かんだ気がしました。


「俺はあなたと面識があっただろうか?」


 旦那様の質問に、ボンズさんは、目上の人に対して失礼なことを言ったと思ったのでしょう、慌てたように、「いえいえ、とんでもございません。一年ほど前に商会で少しお見かけしただけですよ」と言い、慌てた様子で話を元の話題に戻します。


「奥様方。薪以外にも運び込むものがありましたら、何でもおっしゃってください。――おいお前たち聞いていたな、あちらの館の荷物も運び込むぞ」


 旦那様の様子に気がつかなかったらしいお母様は、うれしそうに胸の前で手を軽く打ち合わせます。


「まあまあ、それは助かりますわ。それでは案内しますわね」


 お母様が先導して歩き出すと、ボンズさんが、ほかの使用人たちをせかして、館を出て行きました。


「『……良かった~。ここ二年くらいの記憶が、ほとんど前世の記憶と入れ替わってるなんて、説明しようがないもんな……』」


 不思議な響きの言葉をつぶやきながら、お母様の後に続くボンズさんたちを見送る旦那様には、明らかな安堵の色が浮かんでいます。


「フローラ。俺は部屋を回ってほかに必要なものを調べてくるよ。君は義母上の手伝いを頼む」


 そう言うと、足早に部屋を出て行ってしまいました。

 旦那様は一体何に対して、焦っていたのでしょうか?

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