第4話 モブ令嬢家の家族会議

 結局、婚姻の儀が終わったあと、ルブレン家の方々は挨拶もそこそこに帰路につきました。


 私たちも早々に屋敷に帰り、今は本邸の応接室で、改めてグラードル様と我が家族の顔合わせです。

 お父様とグラードル様がテーブルを挟んで対面しています。

 私はグラードル様の隣に掛けていて、お母様がグラードル様をもてなすためにティーワゴンを運び込んでお茶の準備をしております。


義父ちち上、義母はは上。本日よりよろしくお願いします」


「ああ……グラードル殿、こちらこそよろしくお願いする……。しかし……その、何というか、初めてお目にかかったときと、いささか――いや、だいぶ様子が変わったような……」


 お父様は、まるでグラードル様の癖が移りでもしたように、言葉尻がボソボソとしたつぶやきになりました。ですがグラードル様と違って普通の言葉でつぶやいているので聞き取ることができます。

 グラードル様のお父上もおっしゃっていましたが、前回の戦いに出られる前とそんなに変わったということでしょうか? お父様がグラードル様とお会いしたのは、婚儀の話が出た一年ほど前のはずでした。


「自分では今ひとつ分からないのです。ただ、戦場で傷を負い、療養所のベッドの上で考える時間が長かったので……」


「……グラードル殿はまだ若い……そういうこともあるのかも知れませんな」


「でも良かったですわ、話に聞いていたよりもお優しげな方で、さあ、お召し上がりください」


 お父様はまだどこか探るようなまなざしを向けていますが、お母様は満面の笑みを浮かべてグラードル様に紅茶を勧めています。女の勘とでもいうのでしょうか、母も私と同じように彼の態度に裏がないということが感じられるようです。


 オルトラントを含む大陸西方の国々は、男性上位の社会構造をしています。今回の婚姻の話も両家の当主同士で話が進み、婚儀の前にグラードル様と顔を合わせた事があるのはお父様だけだったのです。


「義母上手ずから給仕いただくなぞ、侍女は……」


 グラードル様は言いかけてから、ハッとしたように言葉を止めました。

 それを見たお母様が、お父様の隣に腰掛けて、優しい微笑みを湛えて彼と視線を合わせます。


「ええ、お気づきのとおり我家には、侍女も執事もおりません」


「すみません。無神経でした」


 グラードル様は恥じ入るように目線を伏せますが、僅かばかりの逡巡の後その視線を上げました。


「明日には私の私財が運び込まれる手筈てはずになっております。ですので使用人を雇い入れましょう」


「それは……、いやグラードル殿たちの館ではそうするが良いが、私たちにこれ以上のことは無用だ。もう何年もこうして過ごしているのだし、ルブレン家からの援助金はできる限り自分たちのために使いなさい」


「そうですよ。グラードル様とフローラの二人がこれから先のエヴィデンシア家を支えていくのですから」


「何をおっしゃいます義父上。義母上。これまで家を支えてこられたご両親に苦労を強いて我々だけが楽をするわけには参りません。そうでしょ、フローラ」


「――えっ、ええそうですわ。お父様お母様」


 私は、グラードル様から初めて呼び捨てられたことに、少しばかりどぎまぎしてしまいました。私の隣に座るグラードル様はそんな私の心の内に気付かずに話を進めます。


「ひとつ提案があるのですが。……義父上、義母上。お二人も私たちの館に住みませんか。あちらにも十分な部屋数があります。そうすれば、最小限の使用人を雇うだけですみます」


「いや、しかし、それではあまりにも……」


「いいえお父様、それが良いですわ。私たちの住む館はこちらよりも大きいですし、別々に生活していれば館の維持費も相応にかかってしまいます。それこそエヴィデンシア家の未来を考えるのならばグラードル様の言葉に従うべきではないでしょうか」


 私は、グラードル様の好意に従うことが、エヴィデンシア家全体の利益になるのではないかとお父様を説得してみました。子供の頃から文官としての教育を受けていたお父様には、こういう説得の方が有効だからです。それに通常貴族が雇う使用人の人数を考えても、こちらの館でさえ十分な居室の数があるのですから。


「……そうか、確かにそうだな……」


「……」


 お父様は、納得したように考え込んでいますが、お母様がもの言いたげに私たちを見ています。


「お母様?」


「旦那様の決断には従います。しかし館というものは人が住まなくなると急速に朽ちて行くものです。先祖代々住み続けてきたこの館の事が心配です」


「……そういうものですか。そこには考えが至りませんでした」


 お母様の言葉に、グラードル様も考え込みます。

 そのとき私の脳裏に、学園唯一と言っていい友人の話が浮かびました。


「あの……この館を貸し出してはいかがでしょうか」 


 その言葉に、お父様もお母様もグラードル様も目を見開いて私を見つめます。


「貴族の館を貸し出しなど、聞いたことがないぞ。仮にしたとしても、借り手があるかどうか」


「そうですね。この館を借り上げる財力のある者ならば、既にこの地に居を構えているでしょうし」


「いえ、お父様、グラードル様。館全体を貸し出すのではなく、部屋を貸し出すのです。これは学園の友人に聞いた話なのですが、それこそ遠方の領の方々は学園に通うために、縁戚を頼ったり、館を借り上げたり、宿と長期の契約をしておられる方もおります。領地の運営が成功している方々はまだ良いですが、それでもそのためにかかる負担は大きなものだそうです。特に騎士爵でご子息やご令嬢を学園に通わせておられる方々は大変なようです」


 ファーラム学園。大賢者ファーラム様が王国の次代を担う後進育成のため、前王オルトロス様に進言して設立された学園です。

 現在のオルトラント王国、特に貴族の子息は通うことが必須とさえされております。また学園の卒業生は王国の主要機関に優先的に就任することがきます。そのため、貴族の後を継ぐことのできない子供たちや、栄達を望む騎士爵の子供たちの多くも学園に通っているのです。


「ああっ! 寄宿舎か……。『確か日本にも旧華族の屋敷を使った寄宿舎があったよな』」


 グラードル様がまた不思議な響きの言葉でつぶやきました。独り言を言うときの癖なのでしょうか?

 私が彼から視線を外してお父様を見ると、テーブルの上で握りしめられた手がブルブルと震えています。


「エヴィデンシア家が宿屋の真似事なぞ……」

「義父上。フローラ嬢が考えているのが私の知っている寄宿舎というものと同じならば、おそらく宿とはまた別ものです」


 なんということでしょう。グラードル様は私がおぼろげに考えていることが、実際に存在していて、しかもその仕組みまでをもご存じのようです。

 お母様が、お父様の握りしめられた拳の上に優しく手を添えて、グラードル様と私に視線を向けました。


「……その寄宿舎というのはどういったものなのでしょうか?」


「義父上は、騎士として任官したことがあると聞きました。基本的な考え方は兵達が共同生活する宿舎に近いものです。しかしフローラ嬢が考えているのは、貴族の子息や子女に対して部屋を提供するということでしょう。フローラ嬢。貴女は食事の提供はもちろん考えていると思うのですが、おそらくですがそれ以外にも考えていることがあるのではないですか?」


「はい……これは、グラードル様やお父様のお許しを得なければならないのですが、私の考えていることを形にするためには、この館にも使用人を雇っていただく必要があるのです……」


「それでは、私たちがあなたたちの館に移る意味が無くなるのではありませんか?」


「いいえ、お母様。その使用人を雇う資金はこの館に住まう方々の――この場合は家賃といった方が良いのでしょうか? そこから拠出するのです。私に話をしてくれた友人は遠領の騎士爵の長女なのですが、彼女の家では第二市壁外周部にある宿の部屋を借り上げています。そしてその屋敷に領地より使用人を伴っているそうです」


「……そういうことか……」


 つぶやいたグラードル様の表情に理解の色が見えます。


「つまり、使用人を共有化して館を借りる方々の負担を軽減することができる――ということだね」


「なるほど……確かにそれならば現実的かもしれん……。……だがバレンシオ伯爵から妨害があるのではないか。やつはエヴィデンシア家が、僅かばかりでも貴族社会に影響力を与えることを嫌っている。そもそも、グラードル殿との婚姻にも難癖をつけていたではないか」


 お父様の懸念は私も考えないでもありません。

 グラードル様との婚姻話も、お父様がバレンシオ伯爵から横やりが入ったと溢していたことがありました。そのときは、ルブレン侯爵、というよりヴェルザー商会の王国への貢献度が加味されて、アンドリウス王よりお許しが出たのです。

 ですが、本来ならば貴族同士の婚姻には必要の無い許可が、国王より必要になったこと自体に、バレンシオ伯爵の影響力の大きさが見て取れるのです。


「それについては、もう問題ないでしょう。すでに婚儀はなりました。エヴィデンシア家がルブレン侯爵家の縁戚となったからには、下手に手を出せば政争になります。これまでバレンシオ伯爵がエヴィデンシア家にここまでの横暴を働けたのも、長年の根回しでエヴィデンシア家が貴族社会から切り離されてきたからですしね」


「それでは……」


「そうですね、フローラ嬢の考えている寄宿舎は十分に実現可能でしょう。……貴女は、その、本当に賢くて、素敵な方ですね。父上が野心から進めた結婚話ではありましたが、貴女の伴侶となれたことは、俺にとって人生最高の幸運です」


 そう言って照れくさそうに優しく笑うグラードル様に、私も、彼の伴侶となれたことにはっきりとした幸運を感じておりました。以心伝心というのでしょうか、ほんの少しのやりとりで、互いの考えが理解できることの充足感はこれまで感じられたことがありませんでした。


 ただ、こうなってきますと、グラードル様のつぶやきや独り言を理解できるようになりたいという、好奇心も湧き上がってきてしまいます。ですがわざわざ異国の言葉で話しているのは、知られたくないことを話しているのでしょうし、そのことを聞いたら嫌われてしまうでしょうか?


「まあ、あなたたちは今日出会ったばかりですのに、まるでもう何年も連れ添った伴侶のようですわね」


 見つめ合う私とグラードル様をみて、お母様がうれしそうに胸の前で手の平を軽く組み合わせています。


「……分かった。届け出さえすればエヴィデンシアの家督は私からグラードル殿に移る。これよりあとのことはグラードル殿、君の決定に従おう。私はこのような身体なので、たいしたことはできないが、できる限りのことはさせていただく」


 お父様が、椅子に立てかけた杖を掴んで立ち上がろうとすると、すかさずお母様はお父様の杖を持つのと逆の腕を支えるようにして立ち上がりました。これこそ長年連れ添った伴侶の呼吸というものでしょう。


「今日は、こちらに泊まっていくのでしょ? 旦那様を部屋にお連れしたら、あなたたちの部屋の準備をしてきますね」


 お母様は、どこか浮き立った少女じみた様子です。


「お母様、こちらに泊まるのでしたら私は自室に……」


「まあ、何を言っているのですフローラ。婚姻初夜に夫婦が別室で過ごすなどあってはならないことです。大丈夫ですよ。私たちの部屋とは離れた客室に準備しますからね」


 そう言うと、少しあきれ顔をしているお父様を伴って、弾んだ足取りで部屋を出て行きました。……お母様、それでは市井の井戸端で話をしている奥方様たちと同じようですわ……。

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