第2話 モブ令嬢と当て馬旦那様
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お読みいただきましてありがとうございます。
感想にて様々な意見を頂きましたグラードルの独り言の表記につきまして、
熟考の結果、今後は下記方式で統一したいと思います。
※「『………………』」
また、途中で独り言が入る場合や、独り言から普通に話す場合。
「……『…………』」、「『…………』……」
のような形で表記いたします。
これからも、頑張って更新してゆきますのでよろしくお願い致します。
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「……
婚姻の儀の当日、教会で初めて顔を合わせたグラードルさまは、絶句したような表情で私を見ました。
それは仕方が無いことかも知れません。我が国の貴族令嬢はお美しい方々ばかりです。私はお世辞にも綺麗などと言われるような顔立ちではございませんし、茶色い髪と瞳という事情もございますから。
グラードルさまは、口ごもるように口を動かしています。
「『おいおいマジかよ。コイツ、こんなに可愛い嫁もらってたのにあんなことやってたのか』」
彼の口から、小さく漏れてきたのは、これまで聞いたことのない不思議な響きの言葉でした。
本来ですと、女性の顔を見て固まってしまうというのは、失礼な態度なのですが、顔を一瞥されて鼻で笑われる事もある私からしますと、大した事とは感じられません。
「初めてお目もじいたします、フローラ・オーディエント・エヴィデンシアです。結婚する者同士がその当日に初めて顔を合わせるというのも、奇妙な感じのするものですね」
グラードルさまは私を見て衝撃を受けているご様子ですが、実は私もいささか驚いておりました。というのもこれまでに聞き及んでいた彼の噂話と印象が違っていたからです。
彼のことを知る学園の令嬢方の話では、家の財力を威にして、目下の方々に無理難題を押しつけたり、些細なことで難癖を付けたりなされるとか。
また外見も、
ですが今、私の前にいる光沢の無い黒髪をしたグラードルさまは、確かに堅肥りで、角張った輪郭をしていて、さらに右の眉の上から頬の辺りまである刀傷が恐ろしげではあるものの、黒い瞳に宿る光はとても優しげな殿方でした。
それこそ婚姻衣装代わりの、白を基調とした騎士正装がどこか不似合いに思えるほどです。
「
グラードルさまは、両親たちが近くにいないことを確認するように気配を探ると、顔を寄せて小声で言いました。
彼のその言葉に、私はこの方についての噂話はひとまず忘れた方が良いのではないか――と、意識を切り替えることにしました。
この方は私が噂話から想像していたよりも、悪い人間ではなさそうです。でなければ私の意思など気にはかけないでしょう。
私は軽く微笑んで、「何をおっしゃっているのですか。納得しているからこそ私は今この場にいるのですよ。それともグラードルさまは納得なされておられないのですか?」と、少しおどけて見せます。
グラードルさまは私の反応に対して、頬の傷を指先で軽く掻きました。顔にうっすらとした赤みが浮かんでいるような気がします。
「い、いや。俺としては貴女のような可憐な方と結ばれる事ができるとは思っていなかったから……それこそ望外なことだよ」
グラードルさまは私を褒めてくださいましたが、家族以外でそんなことを仰ってくださった人は、私の人生でも初めてのことですので驚いてしまいました。
それにしても、癖なのでしょうか、グラードルさまは、また途中から聞いたことのない言葉で「『……まさか、名前と後ろ姿しか登場しなかったモブ嫁がこんなに可愛かったとは……しかも、頭よさげだし。ほんとコイツ何考えてたんだ』」、ボソボソとつぶやいています。
私の知る学園の令嬢方は、それはそれは美しい方ばかりです。
私などは髪と瞳の色のおかげで、初対面では驚かれることがあるものの、顔立ち自体は平凡な目立たないものですので、きっと気を遣ってくださっているのでしょう。
「グラードルさまはお口がお上手ですのね」
「いや……本心なんだが……」
そう言った後、グラードルさまは、また頬の傷を掻きながら、照れくさそうに目をそらします。心なしか頬の赤みが強くなっているようにも見えます。
彼の仕草が……これは年上の方に対して失礼だとは思うのですが、どこかかわいらしく見えます。
私も、何故かそんな彼を見ているのが照れくさくなってしまい、うつむいてしまいました。
頬が火照って来たような感じがして、火照りを冷ますように両の手で頬を押さえます。
「グラードル、おまえに
グラードルさまの背後から突然かかった太くしゃがれた声に、私たちはびくりと視線を向けました。
グラードルさまのお父上、ドートル・ルブレン侯爵がこちらに歩いてきます。
ドートルさまは黒茶色の髪に薄い紫の瞳をしていて、恰幅のいい大柄な体躯をしていました。見た感じ顔半分ほどグラードルさまより背が高いようです。
元々は商人で、現在でもオルトラント王国の大商会、ヴェルザー商会のオーナーでもあります。
ヴェルザー商会は、旅商人でもあったドートルさまのお父上が、オルトラントに居を定めてより一代で財をなしたと聞き及んでおります。そして、二〇年程前にドートルさまがルブレン侯爵の令嬢を娶り、ルブレン侯爵の爵位を継いだのです。
つまりは今回の私とグラードルさまの婚姻と同じことをなされたわけです。
それにしても、お父様や神官様と、最後の打ち合わせをなさっておられたはずですが、もうお話は終わったのでしょうか。
「父上! フローラ嬢に失礼ではありませんか!」
「ふむ……グラードル。おぬしとてその娘の肖像画を見たときに溢しておったではないか」
ドートルさまは顎下の髭に手を当てて、ニヤニヤと私を見ています。
背筋に何やらゾクゾクとした冷たいものが這い上がってくるような感じがしました。学園の令嬢たちが言っていた、犯されそうな怖気というのはこういう感じなのでしょうか?
……ですが、ドートルさまの言葉が確かならば、グラードルさまは、私に気を遣ってくれているのでしょうか? でも、これまでの態度が感情を押し殺した演技とは思えません……
「『えっ……もしかしてこの世界って美的感覚が違うのか!? ちょっとソバカスがあるけど、かわいいよなこの
グラードルさまがまた分からない言葉で独り言を言っています。
「……フローラ嬢は、俺にはもったいないような女性です。父上」
「ほう、……おぬしが気に入ったのならば、大事にすればいいさ。我が家にとってはエヴィデンシア家の名が得られるだけで、もう目的は達しておるのだしな」
ドートルさまはそうは言いましたが、「しかしおぬし、戦場から帰ってからどこかおかしくなったのではないか?」と、探るような様子でグラードルさまを見ます。
グラードルさまはその問いに「……死ぬような思いをしましたから……少し、価値観が変わったかもしれません」と答えると、また不思議な響きの言葉で小さく「『前世の記憶……、いや、意識が甦ったなんて言えないよな……』」つぶやきました。
「ハッ! 死にかけた? 開戦前に、鬨の声で驚いた馬から落ちただけだろうが。その顔の傷もそのとき取り落とした自分の剣で傷つけたんだろ! その話を同僚から聞いた俺がどれだけ恥をかいたと思っている!」
そう言いながら、忌々しげな表情でやってきたのはグラードルさまの兄上、ボンデスさま。黒緑の髪をしていて赤黒い瞳をしています。お父様の話では財務官として王宮にお仕えしていると聞きました。彼が次期ルブレン侯爵となられるのでしょう。
ドートルさまもボンデスさまも、外見だけを見るとグラードルさまに似ています。しかしどういうことでしょうか? 何故か私には、グラードルさまが彼らと血縁があるとは思えないのです。
「私も初陣で浮き足立っておりました。兄上にご迷惑をおかけしたとは、知らなかったとはいえ申し訳ございませんでした」
「フンッ! 殊勝な物言いをして何を企んでいる。キサマが俺の地位を――次期ルブレン候爵の座を狙っているのは分かっているのだぞ!」
「何を言っているのですか兄上。俺は、フローラ嬢と結婚してエヴィデンシア家に入るんですよ。それ以上のものを求める気はありませんよ」
「強欲なキサマが貧乏貴族のエヴィデンシアで満足するわけがない! 父上がキサマを援助するのも二年限りと誓約している。無能なキサマとエヴィデンシアが、父上の――ヴェルザー商会からの援助無くしてどれだけ貴族としての生活を保てるか……」
「父上、兄上方。お客様方がおそろいです。そのように大きな声を上げておりますと、お客様方にルブレン家の醜聞が広まってしまいますよ。それでなくとも我が家の評判は良くないのですから」
声のした方向を見ると、線の細い、私と同じ年くらいの少年が立っていました。薄い赤みを持った金髪をしていて、黒い瞳をしています。微笑むような笑顔を浮かべるその方は、それこそ父親と兄弟に似たところの見当たらない美しい少年です。しかしその言葉を聞く限り、彼がルブレン候の三男で、今日より私の
そういえば学園でお見かけしたことがあるような気がしますので、年齢も近いはずです。
部屋の入り口に、杖をついたお父様とそれを支えるお母様が心配顔で、それから今一人女性が顔をしかめて立っています。青っぽい緑の髪に赤い瞳をしているその方は、おそらくはお
お父様のお話では、ルブレン候のご兄弟は全員お母様が違うのだそうです。
「ふむ、では我々も席に移動するとするか」
ドートルさまは、今のやりとりなど無かったかのように入り口に向かい、メルベールさまの手を取ると、お父様とお母様を促して部屋を出て行きます。
「フンッ、二年間せいぜいあがいてみることだな」
ボンデスさまもそう吐き捨てて部屋を出て行きました。
最後にアルクさまが残りましたが、彼は何故か私に近づいてきて、顔をのぞき込んできました。
黒い瞳は、グラードルさまと同じですが、彼の瞳の光はとても冷たいものです。
「……」
「本当に平凡な顔の方ですね……ホント、断ってよかったなぁ」
「……?」
「あれ、知らなかったんですか? 最初はボクと貴女の話だったんですよ。この婚姻の話は。年齢も同じですしね」
内心の読めない微笑みを浮かべたままの顔から、そんな言葉が吐き出されました。
「ボクが断ったから、グラードル兄様に話がいったんですよ。お父様としては国の中に少しでも派閥を増やしたいんですよ。ボクならばエヴィデンシアを再興できると考えていたみたいですけど、ボクはまだまだ若いんです。貴女みたいな平凡顔の女性と一度でも婚姻関係を結ぶなんて……気持ち悪い」
「いい加減にしろアルク!」
グラードルさまがアルクさまの腕を掴んで私から引き離しました。平凡顔なのは自覚しておりますので、そのことに関しては別になんとも思わないのですが、グラードルさまが怒ってくれたことに、少しうれしさがこみ上げてきます。
「痛いなぁ兄さん。何をそんなに格好付けてるんですか? 強引に手籠めにでもしなければ妻も娶れないはずだったのに、没落寸前とはいえ貴族の娘を妻にできるからって、何か勘違いしてるんじゃないですか? 兄さんみたいなろくでなしを本当に好きになってくれる女性がいるとでも思ってるんですか? ……いい加減放してくださいよ」
アルクさまはグラードルさまの腕を振り払うと、忌々しげに睨みつけてから足早に部屋から出て行きました。
グラードルさまはその姿を見送ると私に向き直り、その優しい光を宿す瞳で私を見つめます。
「フローラ嬢――その……申し訳ない」
「……いえ」
私はなにか面はゆくて、顔を伏せてしまいました。
「我々も行きましょう。主役がいなければ式にならない」
グラードルさまはおどけたように言い、私をエスコートするように手を取りました。彼のその動作は手慣れておらず、不慣れなことを背伸びしてやろうとするような戸惑いが見え隠れします。
私の手を引く彼の手の温かさに、私はひとつの確信を胸にして足を踏み出しました。
我が家は選びようもない数少ない選択肢の中から、最も幸運な道を手に入れたのかも知れません。
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