第070号室 ストリーキング



 壁は潰れ天井は崩れ落ち、降り積もる大量の塵は小夜の起こした爆発の威力を物語る。


「私はね~びっくりしたよ。ガスの中で、火ぃつけたら爆発するってこと知らないあんたにさあ!」


 小夜に覆いかぶさる形で崩れた天井を背負ったエイプリルが立ち上がり、天井を斜めに持ち上げ垂直に立て直すと、支柱の出っ張りに押し込んで固定した。


「何だ、気絶してんのか」

「………ああぁ、耳がぁあ………!」


 放心状態の小夜からガスマスクを剥ぎ取り、胸ぐらを掴んで引き寄せる。胸に耳を当てれば肺に溢れた血液が泡の弾ける音を立て、呼吸のたびに血霧を吹き出す。両耳からも血の雫が滴り、強く瞑られた目蓋から涙が滝のように溢れ出し、降り積もる粉塵を洗い流していく。


「耳やっちゃったか?聞こえてないかもだけど大丈夫。私もヤッたことあるけど、鼓膜って案外すぐ塞がるからな?」


 爆発の大きさの割に小夜が生きている理由を探して部屋を見渡し、壁が吹き飛び圧力が篭らず分散しうえ、爆発の中心部にいた為、破片が飛んで来なかったお陰だろうかと考える。


「微量のX線を喰らえっ!びっー………」


 顕微鏡の倍率を換えるようにエイプリルの片方の眼球が回転し、小夜のを透視、一先ず大事に至る怪我も無さそうで安心する。


「弱いなぁ〜さっさとサイボーグしちゃえば良いのに………」

「………し、シスターは如何どう………?」


「他人の心配?わりと余裕じゃない………ええっと………………う~~ん………………………」


 小夜の問いにエイプリルは辺りを見渡しシスターを見失ったことに気付いて、鋼鉄の歯茎を軽く食い縛り瓦礫を裏返してみては申し訳無さ気に肩をすくめた。



ーーー



 入り組んだ路地裏にヒューヒューと喘鳴ぜいめいを響かせ、半アラクネ状のシスターが長くしなやか四肢とほどけつつあるドレスの四肢で壁に張り付き、発作的に咳き込むと手足を滑らして団地の陰間に落ち込んでいく。


 殺虫剤の効果は覿面てきめんで、シスターがどれだけ工夫しても脱げなかった僅かに修道服の面影を残す際どい紅白の衣装から、透明な蜘蛛の糸が煙のように風にそよいで消え、蜘蛛をかたどった薄いレース模様と見せ掛けて、実際にはレースを模った薄く透き通る蜘蛛の死骸がシスターの素肌から剥がれ落ち、打ちっぱなしのコンクリートに重なっていく。


 服に精神を侵食され生存本能のままに毒気から隠れたシスターであったが、蜘蛛の糸が剥がれるにつれて正気を取り戻していき、自身が半裸で夜の団地を練り歩いている事実に気付いてひどく狼狽えた。


「ぁ~~~ら、あらあら、ありゃありゃりゃりゃ………大変な恰好ですよ?これは」


 不気味な駆動音を響かせる室外機の風に吹かれ必死の抵抗空しく、蜘蛛の糸で編まれた服を押さえ付ける指の隙間から糸が散り散りに千切れ舞い上がって全裸になり、室外機の排水に濡らされぬめりのある緑色のコンクリートに足を取られ尻餅をついて腰が壊れる。


「ん………!痛ったい!!………とにかく何か着るものを見付けないと」


 痛めた腰を庇いつつも、何処から見ても隠れている態勢で夜の団地を全裸で歩き回り、感覚を研ぎ澄まし異形はもちろんの事、人間にも見つからないよう陰から陰へシスターが全裸の忍者にジョブチェンジする。


 割れたガラスを踏まないよう、全く音を立てぬよう全裸の忍者から全裸の雌豹の構え変わり、明かりの無い古びた公民館へ滑り込み、物音を聞いて来た道を戻り、反対からも人の影を見て挟まれ万事休す。腰の痛みを堪え加速する思考に導かれ、受付の観葉植物の後ろでしゃがみ、雌豹から葉っぱになる。


(さあ!どうする!!あばばばばばば………あ)


 観葉植物の葉の隙間から気配無く現れた住民達の姿を見て息を呑む。所々破れた衣服には乾いた血が染みとなり、晒された素肌は死斑と無数の噛み傷に覆われ、意思や目的無く動き回る様は明らかにゾンビそのもの、スン…とシスターの精神が落ち着き熱が冷める。


(死者の眠りは、穏やかなもので無ければなりません。その眠り何者にも、たとえそのもの自身であったとしても妨げられる事勿れ!!」


 心の中で述べた気持ちは知らぬ間に舌を動かし、声となって二体のゾンビの注意を引き付けた。


 受付に備え付けられたボールペンとバインダーを掴み上げ、歯を剝き出し迫るゾンビの耳にボールペンを突き立て、バインダーで力いっぱい撃ち込み脳を破壊する。


 肩口に置かれたもう一体のゾンビの腕を捻り上げて後ろを取り、バインダーの側面を首元に押し付け頭を抑えて固定し、脚を掛けて共々正面に倒れ込むと二人分の体重と転倒の衝撃は立てられたバインダーを通じてゾンビの首、一点に集約され頸椎をずらし中枢神経を両断した。


「安らかにお眠りください………」


 ゾンビの亡骸をそのままにして置くのも忍びないとベンチに寝かせ、汚れた身体を給水機の冷水で清め身体を震わせた。


 全裸の解放感に慣れてきたシスターが油断して大胆になる。電灯の点かない施設内を星明りを頼りに散策し、バザーで売り出すらしい古着の詰められたダンボールを見付けて小躍りしたのも束の間、日本人準拠の衣服ばかりで西洋人準拠でも納まらない自身の長身に合う衣服が見つからず失望の溜息をつく。


「はあ………せめて朝までには何とかしたいですね」


 一応は隠れる腰丈サイズになったロングコートを肩に羽織り、公民館の散策を続け美術工芸室の扉を開けて見たものに今度は安堵の溜息をつく。


 石膏の像やマネキン、デッサン人形に囲まれて一体、椅子に腰かけた大きな女性像を覆う紫色しいろ絹布けんぷを見て、少し繕えば立派な修道服が出来そうだと足取り軽やかに近寄り、踵を跳ねて勢いよく剥ぎ取る………


「いいじゃないですかコレ、綺麗なキ「ひぃいいいい!!!」わ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」


 ………と同時に彫像が悲鳴を上げ、即座に勘違いを理解したシスターも悲鳴を上げる。


 長身のシスターさえ見上げる身長のダークエルフの呪術師、マイマズマは呪物の工作に夢中でシスターの接近には全く気付いておらず、紫色のローブを纏ったまま情けない悲鳴を上げると勢いよく立ち上がって更に呪術で浮き上がり、低い天井に後頭部を強打して死ぬ。


「あらららららら………!!?ありゃあぁあああ!!!?」


 その場に崩れ落ちるマイマズマの身体を支え床に寝かせるシスター、マイマズマの肉体を離れて天井に頭をめり込ませたまま浮き上がる生霊レイスを見上げてまた悲鳴を上げる。


「うぉおおおおお!!死んではダメですっ!!!」


 咄嗟に生霊の両足を掴み引き降ろすシスターの物理的干渉に度肝を抜かれ生霊が驚愕、声無く絶叫を上げ抵抗する間もなく元の肉体に叩き付けられてマイマズマが復活する。


「大丈夫ですか!?」「やっ!近寄らないでっ!!」


 抵抗するマイマズマの手がシスターの羽織っていたロングコートに当たり、下に何も着込んでいないシスターの痴態を見てマイマズマがビビり散らす。


「いやぁあああ!!変態ぃいい「誰が変態か!」っ………!!!」


 事情を鑑みない率直な意見にシスターの平手が唸りを上げてマイマズマの頬を打ち、脳を揺らして生霊をはじき出す。


「ああっと!?だからダメだってば………!!」


 当然のように腕を掴んでくるシスターに生霊が怯えた表情を浮かべ、引き戻されつつ平手を喰らいマイマズマ復活!


 両の頬を平手に挟まれ死んだように動かないマイマズマを覗き込み、本当に死んでいるのではとシスターが相手の息を確かめ胸に耳を当てて心音を聴き、本当に聞こえないので薄い目を限界まで見開いて自分が殺したのではと背筋を凍らせる。


「はわわ…そ~んな、不味いですよこれは!神職の私が人殺しだなんて、そんな………!?」


 シスターが羽織っていたコートをはだかせ相手に馬乗りになると間髪入れず迫真の心臓マッサージ、胸部を圧迫するたび生霊がちょっとはみ出す。


 修道女の心得として救命救急をむねとし紛争地帯で医師団の一員として血塗れの日々を送ったこともあるシスターにとっては、心肺蘇生など思考する間を惜しむほどに身体が覚えており、流れるようにマイマズマの鼻を摘まんで顎を引きクイっ!息を吸って顔を近づけると、見開かれた相手の瞳と視線が交わり口づけするすんでで止まる。


(よかった!生き返っ………うん………!??)


 窓辺から差し込む僅かな星明りに照らされ凄みを増す深く紫色の肌、闇夜の墨に浮かぶ膿のように黄色く濁った満月の瞳、何より特徴的な長く尖った一対の耳、ようやく相手の容姿をあらためて人ならざる者の気配を感じ取り、シスターの肌が薄っすらと冷や汗に濡れて油照あぶらでる。


「あらあら、あらあららら………この人?人間じゃないわよ………………??」

「いや~よ?や~~よ??叩いちゃや~~よ???」


「は………………」「………………きっ!」


「「きゃああああああああああああ!!!」」


 脅え切ったダークエルフといきり立った人間の悲鳴が夜の団地に木霊した。


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