第056号室 水底団地 触手甲冑

 決壊したダムの底より現れた”水底団地ルルイエ”のまさに中心で、上半身裸のボブの三叉槍トライデントと、千手観音と化した指揮触リーダーの鉄柱が交差する。


 支配触マジェスティーが死んだ。それが何を意味するか、ダゴンの触手の中で指揮触の序列が一つ繰り上がったという事だ。指揮触の感情には戸惑いの思いはあっても、怒りや悲しみといったものは存在せず、むしろただ巨大で力が強いだけのつたなく愚かしい、名ばかりの頭目の死に際して、その功績を誇示するかのように立ち上がり、天を指す客船に嬉々として感謝はすれど、同族を殺されたと恨む気持ちは欠片も持ち合わせていなかった。


 ボブが鉄柱を外へなし三叉槍をかえして指揮触の口元の触手ひげを散らす。指揮触が道路標識を下段から足払い、そのまま振り上げ触手を伸ばし、飛び退る相手の間合い管理を壊して叩き付ける。


《ダムの崩壊は余計だった。苦労して整えた環境が元の木阿弥もくあみ、団地の藻屑である。暫く白けて呆けてしまったが人魚共め、流石に車による突撃は効いた。お陰で痛みを思い出した。痛みは怒りを呼び、怒りが憎しみへと繋がる。再び生の糧を得た、次は貴様らの死を生の喜びとする。な~に………ダムはまた造ればいい、団地ここの有りようは大体分かった。次は地平の果てを水平線に変え、全てを大海の底へと沈めて見せようさ》


 ボブが半身に片手を伸ばし三叉槍の柄元つかもとに指を掛け、フェンシングを想起させるフォームで縦斬り。遠間とおまを貫く為伸ばし細まった触手を打ち払い、保持し切れなくなった道路標識が触手を離れ、ボブの頭上を掠め瓦礫へ返る。


《瓦礫と泥濘ぬかるみに覆われた足場、二足で立つばかりかあまつさえ戦闘をこなすとは、人間にしては良く動けている》


 がらくたを得物にした触手による飽和攻撃、懐中電灯の光が目を潰し、ポリバケツから砂利が放られ、捻じ切れた鉄柱がしなり、底の割れた酒瓶が風を切り、跳ねたタイヤが横合いから迫り、フライ返しが襲い掛かる。


《だが、無駄である》


 ボブが腕を突き出し懐中電灯の光と砂利から目を守り、三叉槍で鉄柱を叩くが束ねられた触手の力に押し切られる。酒瓶を腹筋で止めるもなじられ肉を削がれて、跳ねたタイヤが酒瓶を砕き鳩尾みぞおちにめり込んだ。


《手数が違う、膂力りょりょくが違う、間合いの広さも、スタミナも、素早さも、何もかも、触手ダゴンと人間とでは、種としての次元が違うのだ!》


 指揮触が四つん這いに突っ伏した相手の頭へ、スプレー洗剤を吹き掛けフライ返しで返して煽ると同時に、半数の触手を束ねて編み込み、重ねて固め、鉄柱絡めて大合掌、大上段に捻りもす。


《曲がりなりにも数合、打ち合えただけマシと心得え、散るがいい!!》


 お辞儀をするように振り下ろされた触手観音式兜割センジュカブトワリは不可避の一閃、受けの三叉槍もろとも叩き潰す威力だったが、僅かに横に逸れて地面をえぐった。


《………厄介な奴がいるな?》


 鉄柱を握る触手の束が円状に裂けている。一拍置いて響いた銃声を聞いて、自身が狙撃された事を悟った指揮触は、素早く伏せて追撃を躱し、首を一回転、全方位を見渡す八つの瞳を造り、狙撃手の位置を探す。その中でもボブへの警戒は怠らず、三叉槍を捌きつつ、狙撃地点に当たりを付けて遮蔽物へ身を隠した。


「いや~ギリギリでした。上に跳ねたけど当たりましたね。十分通用しています」


 甘い調整のスコープが取り付けられた重機関銃から教授が顔を離す。立ち上がった客船を目指していた教授は、行きがけに上がったロケット弾の爆発を見てボブと合流する為、爆発の痕跡を追う内に闘うボブと指揮触の姿を見付けていた。


「人魚の血、効くぅ………!」


 腹筋に刺さったガラスを払い、痛みは引かなくても傷が治癒している事を確認してボブが呟き、響いた銃声から使われた銃器の種類を、教授に預けた狙撃用に組み替えた重機関銃と同定した。


 狙撃手の技量を測る為、遮蔽物から頭に似せた触手を這わし、影から現わすと数秒おいて撃ち抜かれたのを見、指揮触が攻めあぐねて苛立ち、皮一枚で繋がり機能を失った触手を噛みちぎる。


(いい腕だ、教授は狩猟経験があると言っていたし、如何にも上流階級って感じするな)


 ボブは息を整えながら指揮触を分析する。相手の好む間合いで使われる触手、一本一本の力は自分の腕力と同等に思える。懐に潜り込めば太く縮めた触手に圧殺され、遠間では攻撃が届かない。お座なりな技術を補って余りある手数の多さ、一人ではとても捌き切れる量ではなかった。教授の参戦は有り難い、銃弾が通用するのも有り難い、教授が狙撃し易い立ち回りを取るべきだろう。


 指揮触が触手の外套を翻し、身体の内に隠していた錆び付いたナイフを投擲する。軍事基地で催された野球イベントで、本気のメジャーリーガーからホームランを量産したボブにとっては、何の変哲も無い甘く入った球であり、三叉槍でピッチャー返し、指揮触が逆に刺さったナイフを地面に叩き付ける。


 指揮触が全身から粘液を噴き出し、泡立ち、泥と瓦礫とゴミを取り込んで細動、猛烈な振動で弾けた水分子が気化すると、その表皮が乾燥してヒビ割れ、黒く変色し油の染みた鉄鍋のように硬質化する。


 指揮触が遮蔽物から姿を表し、空かさず教授の狙撃を側頭部に受けるも、反動により首を傾げた程度で意に返さず、銃弾の飛んで来た方向へ触手を真っ直ぐ指し示した。


「ああ、位置がバレたかも………?それより何ですか?色が変わったと思ったら、途端に銃が通用しなくなりましたね?人間だったら掠っただけで霧になるんですよ??」


 教授が指揮触の圧力プレッシャーに耐えかね、気合を入れて重機関銃を持ち上げて、引きずるように移動を始める。


「第二形態ってヤツか?」


 姿を変え重機関銃の狙撃を攻略して見せた相手に、ボブが独り言のつもりで言葉を漏らしたが、それを聞き指揮触が唐突に人語を返した。


『ナメテンジャネエ!!』


 人外の技巧から繰り出された触手の鉄拳は、全くの油断もおごりも、瞬き程の隙も無く構えていたボブの反応許さず、顔面へとめり込んだ。

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