第016号室 地下通路



 コンクリートの床と壁の境目を中心にカビと苔が繁茂し、崩れ落ちた外壁の隙間から生温かく湿気を帯びた風が呻き声を立てて吹き荒ぶ。天井のひび割れから酸性の汚水が滴り、石灰質を溶かして鍾乳洞に似た柱を立てれば、生ゴミと虫や小動物の死骸を分解した微生物の排泄物が結露した水滴と腐り混ざり合ってヘドロとなり、ゆっくりと流れ下水道と変わりない有様を晒す。何処からともなく射し込む、妖しく揺らめく明かりに照らされ、地下団地は不潔極まり人々を忌避し遠ざけていた。


 ガス検知器を腰に下げ歩を進める教授が、蛍光色に毒々しく輝くカエルをどうせ毒持ちでしょうと、蹴って端に追いやる。振り香炉を燻らせ続くシスターは彷徨う霊魂のヒソヒソ声に眼を細めつつ、片っ端から許して清め黙らせていく。


 直線一本道であるにも関わらず先は見通せず、崩れた壁や天井の瓦礫、隆起した床、底が沈み込み出来た大きな水溜まり、不法投棄された炊飯器や掃除機などの電化製品、流れ着いた流木と絡み付き乾燥した海藻がうずだかく積み重なり進路を妨げ、まるでこの地下道が無限に続いているかのような錯覚を持たらした。


「ああ、こんな所に………」


 シスターが突然、ため息混じりに呟くと片膝をつき、ヘドロに半分浸かり瓦礫に埋もれていた人の亡骸を抱き上げた。


 教授が一瞬振り返り、瞬時に前へ向き直ると頭の天辺から小さく悲鳴を上げ、自身の意思とは関係なく反射的に死因を分析する。


「いやぁ………そういえばだいぶ歩いて来ましたけど、どこも似たような景色ですし、一旦休憩を挟んだり、睡眠をとったりしてしまうと、進行方向が分からなくなって堂々巡りしてしまい、そのままお亡くなりに………なんて」


 そう言うと畳んだままのマルチツールナイフを取り出し、壁の汚れをこそぎ落として進行方向に矢印を刻む。


「もしパニックを起こしてしまえば、僕達だって彼のようになってもおかしくないですね」


 慣れた手付きで骨を集め、廊下の隅に塚を拵えていたシスターが小さく唸る。


「彼ではなく、彼女達のようです」


 シスターが大人の頭蓋骨に寄り添うように、掌で包み込めるほど小さな頭蓋骨を供えると、跪いて追悼の祈りを捧げる。赤ん坊にしても小さな頭蓋骨を肩越しに覗き込んだ教授は、この亡骸が妊婦であったことに気付いた。


「全く、酷いところだよ。………さあ、早く出口を探しに行こう」


 教授が励ますようにそっと、シスターの肩に手を置こうと伸ばし、途中で野暮だと気付いて引っ込める。すくっと立ち上がったシスターは、決意に満ちた瞳で暗がりの先を見据え、その肩を静かな怒りに震わせた。


「ええ、行きましょう!」


 啖呵を切って歩き出すシスターの背中を強い人だと思いながら教授は見詰め、戸惑うように矢印を刻んだ壁を見直す。


「あの!シスター!!そっち、戻ってますよ!!!」


 無理に止まろうとしたシスターがヘドロに足を取られ転んだ。


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