雨上がりを待つ君とひとつ屋根の下で
秋日和
第一章 創部編
第0話 二年前の
「行ってきます」
玄関先で今更改まって出立の挨拶をする今日は、都立高校受験日。
諸々の併願校の受験が終わり、あとは本命の……と俺の場合それを言えるのか怪しいが、今日行く京両高校の受験を残すのみで俺の中学校での受験生活が終わる。
「大丈夫?忘れ物ない?」
そんな受験当日受験生あるあるの心配をされ、なんだかおかしくて苦笑する。
心配するのは俺の姉、
両親は平時と変わらず仕事。
車での送り迎えも必要ないし、今更息子にできることはないと普段通り振る舞うことに全力を注いでくれているのかもしれない。
「ないよ。ちゃんと全部入ってる」
そう返事をしたというのに成華はあれやこれやとお節介を焼き、なんだかんだで持ち物全部を確認する羽目になってしまった。
これじゃあ親の努力も水の泡だな。
………まぁどういう心境で仕事に行っているのか、子供である自分には分からないからこれはただの想像だが。
通りすがった犬の散歩中の老夫婦方にそのやり取りを見られ、それから察して激励までされてしまった。
かなり恥ずかしい。
笑顔で挨拶し受け応える成華を見て、我が姉ながら誇らしいというかなんというか。
昨日も夜遅くまでバイトのシフトに入っていたというのに、うちの姉はそれを感じさせないほどの気遣いっぷりだ。
成華は今年大学三年、来年四年生でもうすぐ社会人になる。
今のところ成華が目星をつけている企業には社員用のアパートがあり、いつ一人暮らしになってもいいよう準備が着々と進んでいる。
大学生活では卒業に必要な単位はあらかた取得し終え、授業に出向くことも少なくなり今朝こうして俺の見送りができるというわけだ。
「行ってらっしゃい。
ようやっと最初に発した行ってきますの返答が返ってきて、これで心置きなく家を発つことができる。
「うん。まぁ頑張るよ」
そんな緊張もへったくれもない適当な言葉でも成華は笑顔を崩さないでいてくれて、俺の背中を押す。
押された勢いのまま歩き出し、日差しが差し込む場所で眩しさに手を顔にかざす。
家並みが途切れ、公園の隣に差し掛かったからだ。
小さな公園には今は誰もおらず、静寂に包まれている。
照らされる公園の砂の上、一瞬だけ誰かが幻のように光の中に映って消える。
見覚えのある顔だった。
見知った、見慣れた、記憶の中で何度も現れる二人。
金網越しに見える公園の中は時間の流れと共に少しずつ変わっていて、隣の道を歩きながら記憶の中で過去と比べてみたりすれば、そこには確かな変化を感じ取ることが出来た。
塗り替えられた滑り台や、鎖が変わったブランコ。
新たに増えた防災倉庫によって外からは見えないところも増えてしまった。
砂場を覆うネットも穴が空いていたものから取り替えられ、街灯は今や点滅していた頃が懐かしいほどだ。
……変わっていく中でも、そんなの気にせずここに集まって……。
馬鹿やって、笑いあって、ちょっとした思い出が幾つも……いや、数えきれないくらい出来て。
………あいつらも、受験する高校は違えど受験日は変わらないよな。
スマホを取り出してLINEを開く。
メッセージでも送ろうかと思ったが、結局は無粋だと思い指の動きは止まってしまった。
今更……俺の言葉に意味なんてないか。
二人にさえ本音を言えない俺の言葉なんて。
その思いは、先に届いていたある一人からのメッセージに更に加速する。
所詮……俺の優しさは………。
振り向けば手を振る成華が目に入る。
どうやら姿が見えなくなる最後まで手を振るつもりらしい。
その姿を見て安心する自分が嫌いになりそうだ。
別れるために振る手が、ただ重い。
これから行く高校に、理由に、優しさに、俺は甘えている。
……甘え続けている。
団地から外れ、遊歩道。
駅までの長くも短くもない道を一人静かに歩んで行く。
この道もその遊歩道の中じゃほんの一部。
長さで言ったら……どのくらいだろう。
20分の1……くらいの距離しか駅への道のりで歩いていないのかな。
今日はまだでも合格発表日にはこの周りに連なる桜の木は花を咲かし、景色をその色で染めるだろう。
やがて来る日をどんな気持ちで迎えるか、慣れ親しんだこの道にいても心は落ち着くことなく想像の余地もない。
歩かないはるか先は当然見通しなんか立たず、選ばなかった、選ぶことのできた選択肢の多さに頭を抱えたくなる。
歩んできた、選んだ選択肢は嫌というほど記憶に残るのに。
駅に着き、改札を通り抜けホームに降りる。
急行の電車に乗り込み、窓の外へ目を泳がせる。
……せめて連絡は返さなきゃな。
『頑張ろうね』
なんてたった一言だけだけど、だからこそ返事が難しい。
お互い、今がどんな状況か分かってる。
それでも構わず言葉を送るのは特別だから、特別にしてしまったから。
………お互い、か……いいかもな。
なんだか、別々の道を進んでいくようで。
……ちゃんと終わらせられるだろうか。
『お互い頑張ろう』
そう一言送り、スマホの電源を切った。
電車を乗り換え乗り継ぎ、こういう言い方が失礼にあたらないか心配だが次第に俺と同じような雰囲気の人が増えてきた。
制服と私服が半々………いや、制服の方が少し多いか?
俺も今日は学ランで来たし、そこら辺はアウェー感なく戦えるかもしれない。
そんな親近感こそあれど、受験や倍率の観点から鑑みれば今視界に捉えてる人が、または自分が落ちる可能性が大いにある。
ので、なるべく顔や容姿は記憶に残さないようにしたほうがいいかもしれない。
悪夢とかになって出てきたら困るし。
……単語帳でも開くか。
京両高校の最寄りの駅に着き、出勤している教師や警備員の誘導に従い受験会場へと歩いていく。
受験生の人の波の中、逆らわずに進めばやがて真っ白な校舎が目の前にそびえ立っていた。
ここが、京両高校………。
思い入れなんて限りなくゼロに等しい。
ただ、成華がここに通っていたという事実だけしかそこにないことに今更足がすくむ。
……それでも選んだ。
それだけでも選び、今日俺はこうしてここに来た。
首元に付けてある校章のバッジに軽く触れ、やがて覚悟を決めて高校に乗り込んだ。
受験生ごとに違う受験番号から指定されている席に座り、おもむろに受験票や筆記用具を出す。
すぐに時間は過ぎて試験開始の時刻はもうすぐとなり、試験官が問題用紙を配布する。
まずは国語、数学英語、昼を挟んで社会理科……これといった苦手教科はないが受験というだけで余裕で憂鬱になれる。
窓の外は今の自分の気持ちを映し出したかのような曇天。
春の天気は変わりやすいとはよく言うけども、ここまで露骨に変わるのは受験生への嫌がらせとしか思えない。
それから少しして試験監督が咳払いをし、都立受験の開始を宣言した。
一斉に受験生がテスト用紙を捲り解答を始める音が、静かな教室の中であちらこちらから聞こえてくる。
この教室だけじゃない、この高校……いや全国で受験生が今日、この受験に取り組んでいる。
まぁ……頑張るしかないよな。
成華にではなく他の誰に言うでもなく、今度は自分一人だけに届くよう言い聞かせ、焦らないことを第一に解答を始めた。
受験は終わり、家路を辿る。
が、雨。
家の最寄駅に降り立つのと同時に降ってきた。
電車に乗ってた時から悪い予感はしていたけどさぁ……。
駅舎の屋根の下で雨宿りをしながら、雨を降らせる空が煩わしくじっと睨め付ける。
ポツポツと、足元で雨は跳ねる。
降り止む様子は無く音は続く。
さて、困った。
誰か話し相手でもいれば気も紛れるんだけど……。
「笠真ー!」
「……ん?…あ、成華」
来てくれたのか、わざわざ。
差している傘とは別にもう一本、片手ずつに傘を持ってこちらに歩いて来る。
「はい、傘。持って行かなかったでしょ?」
「うん。まぁ、そうだけど」
朝荷物を全部確認したから、もしかしたら来るかなぁとは思ったけどさ……。
というか成華が外出て来たらしばらくして晴れそうな気がするんだけど、まぁ今は関係ないか。
傘を受け取り、手に持って見つめる。
それから不意に思った事と言えば、
「先に何か連絡すればいいのに」
とそんな疑問だった。
「したよ?連絡」
「え」
成華は淡々とそう言った。
慌ててスマホを取り出して……。
そういえば試験終わってからスマホ触ってないから……つまり、そういうことか。
短く電源ボタンを押しても反応せず、長押しでようやく画面が光る。
「ごめん……電源切ってた」
「だろうねー電話も繋がらなかったし」
傘を閉じた成華は、屋根の下にいる俺の隣に立つ。
帰る前にちょっとだけここで話を、みたいな。
家の中で改めて話すのもなんだか恥ずかしいし、多分それは成華も同じだろう。
「でもそれなら尚更俺の様子とか分かんないし、来るのが無駄になったかもしれないじゃん」
どうして来たのか、という問いを暗に込める。
「無駄になる?」
俺の言葉を聞いた成華は、不思議そうな顔でこちらを見て問い返してきた。
婉曲し過ぎたか……?
成華ならこれくらい容易く伝わると思ったんだけど……。
「いやだからさ、俺がどっか雨が止むまで寄り道したりとか、仕方なく傘を買ったりとかさ」
「あぁそういう事ね」
なんだと思ってたんだ。
「試験が終わって連絡がつかない、というか電話にも出ないって事はスマホの電源はそのまま切ってあるって事が予想できるでしょ?」
「まぁ、たしかに」
片手にスマホ、片手に傘。
しばらく使わないだろうしスマホはポケットにしまおう。
「そして笠真のことだから行きと帰りの電車はばっちり記憶してるだろうけど、流石に寄り道するお店の方まで記憶してるとは思えないからスマホを使わざるを得ない」
「たしかに途中の駅にある店とか記憶してもな……まず調べもしなかったし。というか俺そもそも受験生だしそんなことしてる余裕も時間も無かったか」
まぁ、もしかしたらこの世界のどこかにはそういう変人?って言っていいのか分かんないがいるかもしれないけどな。
例外は考えないものとする。
なんて言ったって成華が推理する相手はこの俺で、弟なのだから。
「もし偶然近くにあって立ち寄った店に入ったとしても、雨が止むまでそこにいるなら結局スマホは使うでしょ?他に時間潰せるもの持ってないし、そこで折り返しの連絡をしてくれるはず」
ロータリーを囲んでいる店の数々。
この駅で例を挙げるとしたらミスドだろうか。
反対側の北口ならマックとかかな。
「時間から考えてこの駅まで来るならスマホの電源には気づかないし、寄り道してそのタイミングで連絡が来るとしたら家を出る前だったと思うよ。遠いからね京両高校」
流石に今日行った高校に通ってただけあるな、成華。
こういう知識は負けてそう。
というかいろんな分野で負けてそう。
勝てそうなのは……記憶力か?
「あとは傘、か。たしかに傘を買う選択肢もあったと思う。でも傘を新しく買うって言っても、買うのは本当に困った時だけでしょ?僅かにある可能性を挙げただけで」
「バイトもしてない中学生はもっと財布の紐が堅いはず、か。よく分かってんね」
相変わらず俺の姉には恐れ入る限りだ。
俺なんて足元にも及ばないだろう。
なんて慣用句で濁しながらなんとなくまた足元に視線を下ろしていると、成華は再び話し始めた。
「だから、笠真困ってるだろうなぁって。傘持って来たの」
あぁそういう。
『無駄になる?』
さっきの成華の言葉は、俺がこの場所にこの時間現れることが予想できて、傘が必要になるだろうと考えていたから出てきた言葉だったんだ。
ここに来る理由なんて、成華にとっては分かり切ったことだったんだな。
……まじで足元にも及ばないやん。
俺めっちゃ低次元な話してるじゃん……。
あぁ恥ずかしい。
受験で疲れてるからって事にしとこ。
頭回ってないんですわ今。
だから、普段では絶対言わないであろうこんな感謝の言葉もさらっと出て来てしまうのだ。
多分そう部分的にそう。
「ありがとう。助かったよ」
傘を開き、屋根がある場所を離れ歩き出す。
「どういたしまして」
隣を歩く成華は、俺の感謝に笑顔で応えてくれた。
さっきまで煩わしかった雨の音も、今は心地よく感じる。
姉と同じ
ただ姉と弟、家族だという繋がりでそれだけだけど……。
………やっぱり、当人からしてみればそれが一番大切だったりする。
もうすぐで成華は家を出る。
離れ離れだ。
一人になる。
父も母も変わらず家にいるが、一人になったという思いになる。
それが、きょうだいというものだ。
一人になった後も、それほど自分は変わらないだろうと思う。
弟も妹も関係なく、下の子は上の子の背を見ていたから、覚えているから。
立派だった姉、兄と同じものを欲するのはどうしようもない程自然な事になってしまう。
そして、同じものっていうのは何も形に残るものだけじゃない。
在り方や志し、夢や願いだって、気づいたら同じになってしまう事が多々ある。
それまでは仕方がないだろう。
だって一緒に過ごして、ちょっと後ろを歩いて来たのだから。
尊敬する対象、追いかけている背中、憧れの存在。
だけどあくまで、それ、までだ。
そこから先は自分で進まなければいけない。
大事なのは、それにどんな意味を見出すかだ。
名字はその第一歩だろうと、俺は思う。
同じ名字に、違う名前。
組み合わせが変われば、それは自分だけのものになる。
そうやって見つけるんだ、きっと。
遅れている事も、自分だけのものだから。
そこから見える世界で自分だけの意味を見つける事が、きっと自分にとって一番幸せな事で。
先を歩く人への、一番の恩返しになるんだと思う。
「京両高校、受かるといいね」
「……うん」
日々の中で見つけた些細な違いを一つずつ、この胸に、記憶に仕舞って歩んで行こう。
見つけたものは掛け替えのない財産となり、それを分け与える事が出来れば、誰かを助ける事だって出来るのだから。
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