09 懐の中に隠れるもの

 エフミシアさんはしばらく顔をこちらに向けてくれなかった。よっぽど恥ずかしかったのか、何も言葉にしないでいるものだから、僕はどうしたら良いのか分からなかった。むやみに声をかけても無意味なように思えてならなかったため、静かにエフミシアさんを待った。


 そう言えば、エフミシアさんが言っていた。『ヒトでない姿を異性に見せるものではない』。その時は、へえそんな考え方なのかあ、と思う程度だった。けれども、こう目の前で実践されると、教わるだけとは違う感覚がするものである。


 つまり何が言いたいかと言うと、僕のことを異性として見てくれているのだと思えてならないのである。こうやって恥じらっているのが何よりの証拠だ。パーティにいた頃にはそういったことに無頓着だったというか、ドードとメイフェルがくっついているが、それ以外な仲良しこよしといった感じだった。


 しばらくしてようやくこちらを向いてくれたエフミシアさんの第一声は、


「その時は私も酔っていて、ちゃんと記憶が残っているわけじゃなかったのです。まさかそんな、会って数時間でそんな姿を晒してしまうなんて。ごめんなさい」


となぜか僕に謝ってくるのである。


「そんな、謝らないでください。僕は、なんと言えばいいのやら。エフミシアさんの新しい側面が知れたのかな、と思うと嬉しいです」


 なんとか場を落ち着かせようと口にしてみたは良いものの、放たれた言葉のこっ恥ずかしさと言ったら。顔が急に火照っているように感じられて、おそらくはエフミシアさんと同じように顔を赤くしているに違いなかった。


 僕とエフミシアさんは目を合わせたまま、一瞬の沈黙が走る。互いに互いで勝手に恥ずかしくなっていると思っているとおかしさがこみ上げてきた。


 状況のおかしさを感じていたのはエフミシアさんも同じだったようで、途端口元が緩んだ。


「全く、ノグリさんはおもしろいことを言うのですね」


「エフミシアさんとはヒトの姿でしかちゃんと会っていないわけですから。前回のときはその、事故みたいなものですし。ちゃんとヒトでない姿を見せてくれたのは今回が初めてです」


「事故、事故。そうですね、事故ってことにしましょう、はい」


 エフミシアさんとのわだかまりが取り払われたところで、僕が触れるのは気になっていた点である。


 どうしてエフミシアさんはヒトでない姿をしているのか? 普段はヒトの姿なのだから、ここでもヒトの姿でいればよいのに、どうして?


 尋ねてみれば、エフミシアさんも同じ話をしたかったようで。


「私、意識のないノグリさんを宿へ運んだのです。御者に無理を言ってかなり飛ばしてもらいました。それで、宿で意識が戻すのを待っていたら、急に変化しはじめてしまったのです」


「ヒトでない姿になるのは、制御できないものなのですか」


「ヒペオのような瘴気が溜まっている場所で長時間何かしていると勝手に変化していることはありますが、普段は自分の意思で変化できるものです。でも、その時の私は変身したかったわけじゃないのです。だってノグリさんの前ですから。意識がないとはいえ」


「僕が倒れたその日にはその姿だったと」


「はい、それからずっとこの姿のままです」


 僕に見られると恥ずかしいと思う格好のまま、この治療院まで運んでくれたということになる。自らがはしたないと思われる姿であることを我慢して、僕の面倒を見てくれたのだ。


「最初はそのうち戻ると思っていたのですが、一夜明けても全くもとに戻っていなくて。もしかしたらノグリさんの身に起きたことが私にも影響しているのでは、と思っているのです」


 エフミシアさんは重たそうな椅子を簡単にずらしてベッドへと迫った。


「だから教えてください、あの場で何が起きたのか」


 エフミシアさんの求めに僕が説明を始めれば、たちまち顔から血の気が引いていった。エフミシアさんの常識でもあの出来事がただ事でないことを物語っていた。でも、途中からは話についていけていない様子だった。『淀みの炎』について触れだした頃からである。


 僕の意識が途切れるまでの始終を説明したところで、エフミシアさんを困らせてしまったらしい。


「まだ魔物が残っていたってことじゃないですか。すみません、やっぱりノグリさん一人をすべきでなかった」


「その話はもういいですって。で、分かることはありますか?」


「すみません、私も聞いたことのないことばかりだったので。待ち伏せする魔物ですか。そんな知恵を持つものがいるなんて今まで考えたこともありません」


「あと、淀みの炎という言葉に聞き覚えはありますか」


「すみません」


「謝らないでください。そうなると、互いに何も収穫はなしってことですか」


 その時、遠くの出入り口からノックする音が聞こえた。見れば、ロジ主任の姿があるではないか。


「やあノグリくん、今回は手柄だったね」


 なんの脈絡のない言葉を連ねるロジ主任にどう返せばよいのか分からなかった。魔物を倒したこと? でもそのぐらいなら誰でもこなしていることだから手柄ってほどでもない。では何に対して?


「ロジ主任、どうしてそれほど離れた場所にいるのですか。もっとこっちに近づけば良いじゃないですか」


 エフミシアさんの言葉にロジ主任は首を横に振った。


「すまないな、私はこれ以上近づくわけにはいかないのでね。ノグリくんは被曝している。高濃度の瘴気に曝露したと想定される」


「え、なんて言いました?」


「ノグリくんは瘴気に汚染されているのだよ。いわばノグリくんそのものが小さなヒペオだ。新たな汚染を生んでいる。だからエフミシア、お前は自分の姿を制御できなくなっている」


「私、ノグリさんと一緒にいるからこの姿なのですか?」


「そうだ、だから早く病室に戻れ。しばらくすれば元に戻る」


 エフミシアさんは耳のそばに顔を近づけると、


「それでは、もとの姿へ戻った頃に」


と行ってスルスルと部屋を出ていった。蛇の姿での移動は思いの外早かった。というか、エフミシアさん、入院扱いだったのか。


 さて、僕とロジ主任だけとなったわけだが。僕はベッド、ロジ主任は出入り口のそば、という不自然な距離感のままだった。ロジ主任はまだ帰るつもりがないようだった。


「ロジ主任、さっき言っていたことというのは」


「本当は医者が説明するところだろうが、まあ良い。ノグリくんが遭遇したのは、まず魔物ではない」


「でも、あれは黒い煙がヒトの姿をとったようなもので」


「形は何であれ、ノグリくんが持ち帰ったものを考えればそれは魔物じゃない。瘴気の源だ。話によれば、それに押し倒されたのだろう? ゼロ距離で相対したのだから、かなりひどい被曝だったはずだ」


 瘴気について聞いていた内容が復唱される。


 瘴気は危険。


 瘴気は魔物を生む。


 動物やヒトが魔物に変化する場合もある。


 魔物になる。


「僕、このまま魔物になってしまうのですか」


「そこは安心しておくれ。医者とも話をしてきたが、魔物になる予兆はどこにもみられないって。いやあ、何でだろうね」


「でも、エフミシアさんはヒトでない姿になってしまっています」


「魔物になる心配はないけれど問題がないとは言ってないよ。今のノグリくんはさっきも言ったとおり、ちょっとした瘴気の源になっている。瘴気が抜けるまで待たないといけないね」


「瘴気っていうのは抜けるものなのですか」


「もちろん。そうじゃなきゃエフミシアは元に戻れない」


 としたら、あとはその時を待つだけということだ。待てば抜けるというのは聞いていて気分がだいぶ楽になった。もしずっと抜けないとなれば、ここにはもういられない。人間の場所にも戻れない、ドラコの場所にもいられないと想像したら。ゾッとする。


「で、だ。これに見覚えはあるかい?」


 ロジ主任が出入り口で何かを掲げていた。何か黒っぽいものなのは分かったけれども、それだけしか分からなかった。が、次の瞬間には僕の手元に黒いものが落ちていて、一方でロジ主任の手には何もなかった。


 黒い石のようだった。四角い箱がいくつもくっついたような見た目だった。冷たくてつるつるしている質感。黒い色合いなのは確かだけれども、どこか透明感があった。端の方は透けて反対側が見えるぐらいだった。


 これほど奇妙な石を見たことがなかった。


「いえ、ないです」


「それがノグリくんの懐から出てきたそうだよ。これはエフミシアにも言っちゃいけない秘密事項なのだけれど、それが瘴気の核だ」


「しょう、え、そんなの持っていたらまた大変なことになるじゃないですか」


「それが不思議なことにね、見つけたときにはすでに瘴気は全く出さなくなっていたらしいのだよ。ちゃんと調べてみても、瘴気の核の姿をしたただの石。私達ではなし得なかったことがその石には起きているの。ねえ、何をした? ノグリくん、淀みの炎って何?」


「僕も分からないです。急にその言葉が降ってきて、念じてみたら――話を盗み聞きしていたのだから知っているじゃないですか」


「エフミシアに隠していることがないかなと思っただけだよ。じゃあ、知り合いにあたってみるか。それじゃ、その石はあげるよ。くれぐれも漏らさないようにね」


 ロジ主任が手を振りながら部屋を出ていった。壁越しにロジ主任と誰かが離している声が聞こえた。でもロジ主任の会話も一言二言交わすだけの短いもので、たちまち静寂に包まれた。


 意識が途切れる前の出来事をもう一度思い返してみる。あの声がいなかったら僕はどうなっていたのだろう。想像しただけで背筋に悪寒が走る。助けてもらったエフミシアさんを襲っていたかもしれないのだ。


 あの声の主は何を知っているかはともかく、助けてもらったのだ。もし会えるのであれば、礼の一つでも言わなければ怒られてしまうだろう。


 ふと石を見下ろした。心なしか、黒い色合いに少し濁りがあるように感じられた。

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