欲しいもの 7
そこからの時間は吐息すらも許さない静寂だった。カンダタも光弥も静寂に従い、じっと清音の後ろ姿を見守る。
輪郭がはっきりとわかる程に背骨が突出し、左右の肩甲骨のあたりから、天を目指すようにして皮膚が伸びていく。
伸びた皮膚の先端は人の手の形をしている。まるで、別の人間が内側から皮膚を押し伸ばしているようだ。
ゴムのように皮膚はどこまでも伸び、手の形は腕、肩、顔と繋がった人間へと姿を変えていく。伸びる皮膚は10代あたりの男の背格好の輪郭を描いていた。
静寂に支配されていたカンダタは体内で響く耳障りな鼓動を聞きながら、清音の背中から出てこようとするもう一人の人間という異様な光景を眺めていた。
その間、清音は呻き声1つもあげず、瞳孔が開いた目を剥き出し、心のない人形となっていた。
限界まで伸びた皮膚はついに破られた。破裂音が静寂を壊し、血潮が周辺に飛び散る。
清音の身体を裂き、出現した彼は母体から生まれた赤子と同じく全裸で血塗れとなっていた。
役目を終えた清音は全身の力が抜け、凍った床に素肌を投げる。
生まれてた彼は清音の背中から降り立った。髪の毛端や指先などから彼女の体液が滴り、生暖かい血が凍った大理石の床に落ち、赤い水玉を作る。
歳は瑠璃や清音と同じ16歳位だろう。彼は産声を上げる代わりに大きく息を吐き出し、顔にかかる長い黒髪を後ろへと掻き流す。露わになった額も血塗れで、肌色の部分が少ない。
両目も血塗れで目蓋が塞がれており、少年が拭ってそれを払う。
暗い静寂に少年の赤い瞳が目立つ。冷たく射る眼光はカンダタを軽蔑していた。
顔の輪郭や鼻筋はカンダタに似ている。
うるさい心臓の鼓動が更にうるさく鳴る。
電撃の麻痺はすでに治っていたが、身体は動けずにいた。目前の事象にいよいよ頭は処理しきれず、唖然とすることしかできない。
赤眼の子だ。清音の身体から赤眼の子が生まれた。
ずっと、まさか、ずっと、清音と赤眼の子が共にいたのか。いつから?
赤眼の子は胚羊水に閉じ込められていた。それを清音が回収していた?そこから共にいたのだろうか?
胚羊水から戻ってきて約一ヵ月くらいだ。それから、ずっと?
すぐそこにいるのにもかかわらず、気付かずにその時間を過ごしていた?
そういった考えに至るとこれまでの時間が無意味で無価値なものだと思い込んでしまう。
奪われたものが、傍にあったと言うのに、間抜けにも見抜けず、呑気に瑠璃と会話し、暇潰しに学校に行ったり映画鑑賞していた。自身の行動を思い返すと自分自身を殺したくなるほどの後悔と動画憎悪がごちゃ混ぜになって情報処理が更に遅くなる。
軽蔑の眼差しを向けた少年が口を開く。
「無様だな」
声変わりを覚えた青い声色をしている。
「あんた、映画観てたよな。阿呆みたいに。清音とも声を交わしたような」
彼の言う通りで何も言えない。
「清音に色仕掛けされてたよな。瑠璃からのヒントも気付くのが遅すぎたな」
左腕を失った瑠璃。気付くのが遅すぎたから失ったのだろうか?
「愚鈍で阿呆で愚図だな。あんたが考えも思い返しもせず。それまで俺がどう過ごしていたかなんて、あんたはわからないんだろうな」
瑠璃が回りくどいやり方で手掛かりを残していたのはこの子の為だろうか?
「全部あんたのせいだよ」
自分のせいだ。
焦燥ばかりが募り、その感情を優先したせいで周りの変化に無頓着になっていた。
気付いていたのに、気に留めず、そんなものに気力を削がれるより先へ先へと進みたかった。
カンダタは周囲の変化を「こんなもの」で片してしまったのだ。
考える時間はあった。瑠璃の回りくどいやり方で手掛かりを残したのもケイの態度が変わったのも、清音の接触が増えたのも考慮すべき変化はいくらでもあった。それを放棄した結果が今の状況を作った。
「死人は楽でいいよな。永遠に後悔を想い続けられる」
少年になっても父親に対する憎悪は消えず、寧ろ成長と同時に感情を大きくさせていた。
赤眼の子はカンダタが落とした白い刀を拾う。柄を両手で持つと感触を確かめようときつく握ったり、緩くしたりと繰り返す。
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