逃走の果て 8

 逃げられたなぁ。

 瑠璃は鉄夫人から猛威から逃れ、今度はケイにターゲットにしていた。刀がないケイは逃げることしかできない。

 柱の影に身を潜めた清音はその様子を眺めていた。

 瑠璃が赤眼の子に気付いてくれたところまでは順調だった。清音がカンダタにくっついても悔しがってだけで瑠璃からのアクションはなかった。

 瑠璃が思い通りに動いてくれないのが不満だった。その上、清音を殺そうとした。

 脅しが全く効かない。

 その原因は8割ぐらい、この子のせいだと思えてきた。

「子供らしくできないの?また無視?」

 欠点を指摘しても赤眼の子は口を開かない。光を灯さない目は何も映さず、虚構しか見ない。これでは人形そのものだ。喋っているこちらが馬鹿みたいだ。

 やめてとか痛いとか叫んでくれれば、あの瑠璃でも同情したかもしれない。

 これでもは幼少期の少年は生意気にも清音の策にも文句を言っていたが、成長するにつれ、口数は減り、清音が話しかけても無視するようになった。

「そんなんだから親にも見捨てられるんだよ」

「違う」

 吐き捨てた台詞に赤眼の子が久しぶりに声を出す。すぐに反論したわりにはか細い声で一言だけの反論になった。

「何?何が違うの?」

 低音の声で問いかけても赤眼の子は再び口を閉ざす。

 清音は手を伸ばしてまだ小さい耳を摘んで爪を食い込ませる。耳に血が滲んで、清音の爪を汚す。

 その耳を引き千切る勢いで自信の方へと寄せると赤眼の子は蹌踉めいて四つん這いになり、嫌でも清音に近づく。

 清音は耳元でわざと上擦った高い声で喋る。

「何が違うのかって聞いてんの。ほら言ってみなよ」

 やはり少年は何も言わず、無表情。清音の話すら聞いていないのかもしれない。

「生意気に口答えできるなら言えるんだよね?言えないの?」

 変化しない少年に苛立って上擦った声は更に興奮して声量が増す。

「黙るなよ!私が悪いみたいじゃん!何?なになに?私が悪いの?悪いのは私なの?なんか言えよ!」

 甲高い清音の声は少年の耳の最奥にまで届いて、きんとした刺激が耳から脳内へと響く。それでも赤眼の子の顔に感情はない。

 そうした反応はいつも通りで清音も飽きていた。

 つまんでいた耳を突き放せば、赤眼の子は転倒して床に這いつくばる。一時的に片耳の聴覚が狂ったせいでうまく立ち上がれずにいた。

「どいつもこいつも使えない」

 溜息混じりに呟いた言葉は赤眼の子、ケイ、光弥に向けられたものだ。そろそろ光弥が着いてもいい頃なのにまだいない。

 未だに鉄夫人と決着がつかずにいるケイ。いつまでもあの状態から進めない。瑠璃を追わないといけないのに。

 内部に寄生する黒蝶が震える。蝶男が黒蝶を通してメッセージを送った。

 内容は清音を労いそして、対策とその後の行動を指示してくれた。

「ありがとう。やっぱり頼れるのはあなただけね」

 蝶男の気遣いに清音は安心して胸を撫で下ろす。

 安堵して朗らかになったら一瞬で、赤眼の子と向き合えば笑顔も消える。

「鬼を貸してくれるって。あと武器も。鉄夫人が鬼と遊んでいるうちに行けるわよ」

 せっかく蝶男が清音の為に用意してくれると言うのに赤眼の子は床に寝転んでぐずぐずと立ち上がろうとしない。

「死人が我が儘言ってんじゃないわよ。立てるの知ってるんだから」

 何も答えないものの、亀のようなとろい動きで立ち上がる。

 その時には4体の鬼が到着して、3体は鉄夫人とケイは引き離される。

 あとの1体は清音の元にくるのと、猫が毛玉を吐くように胸を上下させる。大きな口から吐き出たのは鉛色の刀だった。

 白い刀の代わりだ。ケイにはまだやることがある。

 鉄夫人ととケイが離されたので合流しよう。その前に清音は自身の身なりを確認する。

 走り回って転んでできた擦り傷や破けたた服の切れ端。顔を傷つけたのは同情を誘うのに効果はあった。

 片腕の関節が逆に曲がっている。あぁ、そういえば腕が折れていたんだ。

 関節が逆に曲がったままでは不格好だ。清音は折れた腕を捻って腕の向きを無理矢理戻す。

 刀を持ち、折れた腕を大事に抱えながら痛いフリをして柱から出る。

 ダンスホールの中心では鉄夫人と4体の鬼が交戦している。そこから離脱したケイは息切れを起こしながら端っこで膝をついている。

「ケイ」

 弱々しい声色で呼ぶ。一言では気付いてもらえなかったか、何度か呼びかけて近寄ればケイもさすがに怒りを収め、清音を慎重に守るようにして抱き止める。

 涙腺を刺激し、目尻に涙を溜めると上目遣いでケイを見つめる。

「今のうちにここを離れましょう。まだ瑠璃に追いつけるわ。これ使って。拾ったの」

 鉄夫人は鬼が引きつけているが、劣勢である。全滅するのは目に見えている。そうなる前に瑠璃を追ってもらいたい。

 ケイは刀に疑問も持たずに受け取ったものの困っている様子だった。清音の怪我を心配しているらしい。

 清音の惨状を見たケイは瑠璃に対して怒りが先に来た。それが過ぎれば、怪我の心配が残る。

 人間ならば、骨が折れてる時点で先に混乱か焦りが先に来る。医療関係のものなら治療だろう。心配と言う冷静な感情よりも怪我の対処という焦りが先に来るはずなのだ。

 ケイは猫であり、塊人だ。その上、痛覚が鈍い。生きてる人間の感覚がわからないのだ。

 人の倫理から作られたので、人間味のある心配をしているが、所詮は人間の真似事でしかない。人間らしい思考を持ち合わせていないから騙せる。

「私、会いたいの。瑠璃にも訳があったと思うの。だから会って話したい。お願い」

 ヒロインが口走りそうなありきたりな台詞を並べる。清音が読んだ恋愛ものの漫画にもあったような気がする。

 ケイは黙り、悩む。少ない脳みそしか持っていないからそれだけで戸惑い、自ら選択肢を狭める。

「清音が望むなら」

 迷った挙句、ケイは決断する。

 折れた腕を庇いながら清音を庇いながら支えるように抱く。

 ダンスホールの片隅から鉄夫人と鬼との乱闘をよそに横切る。

 微笑そうになる口角を堪え、潤る目を保つ。思考がないからいざと言うとき決められない。与えられた選択しか選択できない。

 ケイの存在理由はある男の願いからできたものだ。その願いを叶えるために約50年彷徨っていた。その年月で現世にいれば自然と存在理由は薄まる。忘れかけた存在理由を上書きするのはかなり気を遣う労働だった。その価値はあった。

 清音はケイの腕の中で確信していた。

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